夢路を辿りて
そのことは先日、彼の妻と絵美子がお通夜で遇った際に話したことで、本来であれば、昔のように3人で食事しながら、想い出話しでもして過ごそうとしたらしいのだが、急遽、彼の妻に抜けられない仕事が入ったため、絵美子に一任という電話の内容だったのである。
「とうさん、頭が真っ白になってシワも増えちゃったね。」
「ああ、もういい歳だからね。自分の誕生日にも気付かない耄碌ぶりだよ。」
「ホントだよ。うちの旦那と2つしか変わらないのに。」
「そうそう。はいコレ、プレゼントだよ。お誕生日おめでとう。」
「あっ、わざわざ済まないね、ありがとう。」
「ううん。かあさんにね、何がいいかって聞いたらコーヒーかタバコがいいだろうって。」
「でもどっちも変わってるから、今朝、かあさんに教えてもらったお店を探して買ったんだ。へへへ。」
「こっちが私で、こっちがかあさん。」
「ねぇ、あの曲。まだあるのかなぁ?あるなら掛けてよ、あの頃みたいに…」
「ええ、ありますよ。」
そう言うと光彦はソファから立ち上がって、棚から1枚のレコードを取り出すと、古いMarantzのスイッチを入れて、DIATONEのターンテーブルの上に乗せて針を落とし、スピーカーをBOZEに切り替えた。
コーヒーメーカーから香るコーヒーの匂いが、店の奥で充満してくると、光彦はカップにコーヒーを注いで、妻が用意してくれていたサンドイッチと一緒にテーブルへと運びながら、何故妻が眠い目を擦りながらも、朝からサンドイッチなどを作っていたのかを理解していた。
こうして何度か同じレコードを聴きながら、絵美子が当時のように「へへへ」と笑っては、懐かしく会話をしていると、店の外で小さくクラクションが鳴る音が聞こえたのだった。
「あっ、迎えに来てくれたみたい。」
「そですか?じゃ、今日はありがとう。」
「とうさん、あの絵。私が貰ったのとは違うね。」
「ええ、あれは…」
「あれ、とても悲しそう。ココに置いとくの良くないよ、きっと。」
「だから私に頂戴、あれも大切にするから…ダメ?」
「いいですよ。今日は素敵なプレゼントを貰ったからね。」
「ありがとう。」
絵美子がそう言って、店の外の車に何かを告げに行っている間に、光彦は店の奥のその絵を梱包すると、車の中からは、絵美子の若い頃にそっくりな娘が出て来て、店の中へ入ると光彦に言った。
「母が無理を言ったみたいで、どうもすいません。」
「ああ、構いませんよ。」
「それじゃこれ。」
「ありがとうございます。母はお別れを言いたくないそうなので、これでけを伝えて欲しいと。」
「私は今も頑張って幸せに暮らしていますから、奥さんを大切にして、いつまでもお元気でと。」
「お気遣いありがとう、いつまでもお幸せに。そう伝えてください。」
「はい。では失礼します。」
光彦は絵美子の娘とそのような会話を交わし、店の外へは足を運ばず車を見送った。光彦がそうしたのは、車の中に在った彼女の姿を思い、それを見せないようにしたいという、彼女の気持ちを汲んでのことであった。
こうして店の奥にあった4枚の絵は、とうとう1枚だけになってしまったのだった。