Father Never Say...
望まない、今更逃げ場なんかどこにもない/北澤
白河聖人が有名人の子供だと知ったのは、出逢ってから数年経ってからの事だ。それまではただ父親が多忙なだけの、仲の良い父子だとしか思っていなかった──事実を知ってからも認識はさほど変わらなかったけれど。
北澤史朗は真面目で誠実なごく普通の少年である。特に目立つ特徴はないが、彼を知る誰もが彼を信頼し、ここぞというときに相談を持ち掛ける。その人柄に惹かれる女子も少なくはない。難を言うなら、少しばかり世の中の話題に疎い、いい人過ぎて苦労する、などが挙げられる。
彼にとって最大の幸福にして最悪の不幸は、白河家の隣家に生まれついてしまったことだ。
広大な庭を囲う塀に隔たれ、屋敷自体からは1キロほども離れている北澤家を、隣家と呼べるならの話だが。
そんな事情もあって、北澤ははじめから聖人と親しかったわけではない。小学校にあがるまで、隣に自分と同い年の子供がいることすら知らなかったのだ。
きっかけは、同じクラスになったこと。
その頃の聖人は、あまり身体が丈夫ではなかった。度々体調を崩しては保健室に避難する彼を北澤は放っておけず、その都度介抱した。
「元気になりたいな」
ベッドに横たわる羽目になるたび、聖人は寂しそうに呟いた。
「そしたらきみと外でおもいっきり遊べるのに」
北澤は休み時間、外崎などの友人達と球技や鬼ごっこに興じることが多かった。聖人がそんな北澤を教室や保健室から眺めていたことを、北澤はその言葉ではじめて知った。
早退する聖人を迎えにくるのはいつも彼の父親だった。父に手を引かれて車に乗り込む時、聖人は一度振り返って空いている方の手を振りながら「またあした」と笑う。セリフ通り、聖人は一回たりとも学校を休まなかった。
「あの子は君に会うために毎日学校に行く。いつもうちで君のことを話してくれるんだ。小学校にあがって本当に明るくなった。君のおかげだと思う。ありがとう」
聖人の父に頭を下げながら言われて、何とも言えない気持ちになった。
嬉しい一方で、それだけではないような違和感を覚えたのだ。
それからの聖人はみるみる体力をつけ、四年生になる頃にはすっかり健康体になった。北澤や友人達に混じって遊ぶようになると、彼はまたたくまにクラスの中心になっていった。
友人が増えるたび、彼が北澤と過ごす時間は減った。寂しさを感じながらも、北澤はそれをいいことだと思った。もう聖人がひとりきりで膝を抱えて泣くことはないのだからと。
それがとんでもない誤解だと知ったのは十二歳の夏。
「これじゃちっとも史朗ちゃんと遊べないよ」
ある夕暮れに北澤家に訪れて泣いた、聖人の涙でようやく自覚した。
誰よりも何よりも聖人が大切だと。
相手の性別のことは何故か考えなかった。そんなことで、胸が潰れるほどの苦しみを感じてきたわけではない。
「史朗くん」
高校に入りたての頃だった。帰宅途中、聖人の姉である愛美に呼び止められた。彼女はいつもなら気の強そうに見えるキリリとした眉を下げ、弱り切った様子だった。
「どうしたんですか?」
「最近、聖人の態度がおかしいの。史朗くん、何か心辺りは?学校で変わったことはなかった?」
原因があるなら、こちらが聞きたいくらいだった。聖人は新学期がはじまってからやたらぼんやりしていて、話し掛けても反応しないことが多かったのだ。
「俺もおかしいとは思っていましたけど、理由まではわかりません。愛美さんこそ、何か思い当たることは?家で何かあったんじゃないですか」
問い返せば愛美は気まずそうに目を逸らし、少し躊躇ってから切り出した。
「やっぱり、アレかな……」
「アレ?」
「……史朗くんだから言うけど、あの子と私は半分しか血が繋がっていないの」
「え?」
「父親が違うのよ。私のお父さんは、私がまだ小さい頃に飛行機の墜落事故で亡くなったみたい。聖人は、そんな母と、善人さんとの間に生まれた子。ああ、大丈夫、この事は聖人もはじめから知っているから」
「あ、そうですか」
予想以上に深刻な話題に青ざめる北澤に、愛美は軽く手を振って否定した。しかし次の一言がまたも安堵を打ち消す。
「問題は、その時善人さんにはもうひとり想う女性がいたということなの。母と結婚する前に別れて今は何の関係もないけど、その人との間にもうひとり、聖人のひとつ年下の子供がいるって。それを善人さんが今になって明かしたのよ」
「そんな……」
他人の自分がこれだけ衝撃を受けるのだ。当人のショックはこれの比ではないだろう。聖人の気持ちを思うと、やるせなさに胸が張り裂けそうだった。
(何故アイツに嘘なんかついたんだ)
そのことを意識すると、どこまでも冷たい感情を自分の中にみつけて愕然とする。疑問と許せない気持ちが沸きあがってきて、吐き気すら覚える。
(どうせ騙すなら、欺き続けてくれればよかった)
北澤は聖人ほど家族を愛している人間を他に知らない。特に父親に対する敬愛は異常とも言えるほど深く、しかもそれは嘘を知った後でも変わらなかった。
「あの人、言い訳は一切しないんだ。その女性をどれだけ愛していたか、それがお母さんに対する気持ちより強いものだったのか……そんなことあの人は説明しない」
聖人が心境を吐露したのは一年後。春日怜──聖人の異母弟が、入部してきた日のことだった。
「だから汚いのは、受け入れてあげられない俺の方なんだよ。知ってるのに。お母さんに話してもらったのに」
聖人の母との結婚は、家同士が決めた政略にすぎないこと。善人が愛しているのは今も変わらず春日の母であろうこと。
自分の想いを殺しながら家族を支えてきた善人を、責められる筈などないのだ。
それでも。
「違う」
「え?」
「絶対違う。お前は汚くなんかない!」
たとえどんな理由があっても受け入れられない気持ちは当然あるだろう。それは罪ではない。
「……はは、ありがと」
少し俯きがちに、聖人は弱々しく笑った。
「わかってるのか?」
「うん、わかった、から。この話は終わりね?」
自分のもどかしさがちゃんと伝わっているのか不安になる。真面目な話をするほど、聖人ははぐらかそうとする。
「終わらせるな、お前が納得してないのに」
怒りすら覚えた。うまく言えない自分に対して。
(結局こいつは自分が悪いと思ってるじゃないか)
「そんなの……、」
目を逸らしたまま否定しようとする聖人の顔を掴んで、無理矢理上向かせる。
「痛い、北澤……」
「お前が目を見ないからだ」
「……、あんまり……優しくしないでよ」
それまで笑顔だった彼の表情が、くしゃりと歪んだ。掠れた声で呟きながら、聖人はそっと北澤の手を掴む。
「っ!」
今度はこちらが逃れたくなった。
「甘えないように、寄り掛かっちゃわないように、がんばってんだからさ……」
下の名前で呼ばれなくなったのは、いつだったのだろう。気付いたときは、ただ照れ臭くなったのだろうと思っていた。だが、もしかしたらあれが、サインだったのだろうか。
「お前ってさ、白河の事相当好きだよな」
「!?」
作品名:Father Never Say... 作家名:9.