Father Never Say...
高校生に知り合いはいなかったはずだ。
「聖人です。出所されたんですよね?」
「……あ、ああ、聖人くんか。びっくりした。……見違えたな」
「無理もない。以前お会いしたのは、まだほんの子供の時でしたから」
兄の息子。つまり甥である聖人は、苦笑いを浮かべた。
理人は彼の子供時代のことを思い出そうとして、頭に浮かんだのは息子のことだった。
一瞬の未練を打ち消すように、目を細くする。
「この数年で、この街もすっかり変わってしまったな」
「そうですね。あそこの角を曲がった先に、昔ながらの駄菓子屋があったでしょう?あの店も、つい半年前に潰れてしまった。俺が通っていた小学校は、統廃合で廃校になった学校に通っていた児童を受け入れても、俺がいた頃の三分の二くらいしか子供がいないそうです」
「……俺がいても、いなくても、何も関係ないみたいに普通に回ってやがる」
「理人さん……?」
「聖人くん、悪いが携帯を貸してくれないか」
「あ、はい」
唐突な依頼に快く携帯を差し出した聖人は、相棒がボチャンと川に落とされるのを目の当たりにする羽目になった。
「んなっ!ちょっ!理人さぁん!?」
慌てて行方を探すが、流れが速いせいか、もはや携帯の姿は見当たらなかった。
「なんてことを!」
別に携帯の機体自体が惜しいわけではない。どうせ近々買い換えるつもりだった。問題は、五百件を超える“ともだち”のアドレスデータだ。
(全員に連絡して登録し直して!?冗談じゃないよ!)
切実な裏事情を胸に押しとどめ睨みつけてくる甥を、理人は笑顔か泣き顔かどっちつかずな表情で見返した。
「おとなしく拉致されてくれないか?」
*
聖人は理人をじっと見つめていたが、やがて目を伏せため息をもらした。
「俺が、おとなしくついていったら、それは拉致には当たらないでしょう?同意の上なんだから」
「……まあ、そうだな」
理人は一瞬苦虫をかみつぶしたような顔をして、頬を掻いた。
「二年七ヶ月」
そんな理人の全体を改めて観察しながら、聖人は静かに告げた。
「短いですよね。飲酒運転ってやつに課される量刑は」
「……そうだな。軽い。軽すぎると思う」
理人が罪を犯すまで、白河家は山谷の家とはかなりの間疎遠になっていた。だから聖人は刑務所に入る以前の彼の事をあまりよく思い出せない。
だが、昔の写真に映る姿と比べて、目の前の彼はそれほど変わったという印象を受けない。
厳しい規則に縛られているとはいえ、彼の獄中生活は税金によって守られていたのだ。
「塀の中はどうでした?」
「……自分の犯した罪の重さと、どうやって償っていくのかを考えさせられる、考えさせてくれる……そんな日々だった」
自分では誠意をこめたはずの遺族への手紙も、何度もダメ出しされ、認識を改めさせられた。取り繕うのではなくて、丸裸になって心を砕く事を教えられた。
「……むしろこれからが本当の意味での償いの日々になるだろう。俺はあそこで、償い方を叩き込まれた」
「父さんに甘えたら償いとは言えないから?」
理人は問いかけにただ頷き、拳を固く握り締める。聖人はもう一度彼に目を合わせた。
「ちょうど俺、何もかも投げ出したい気分だったんだ」
「は?」
「協力しますよ、狂言誘拐」
犯行声明が善人の携帯にかかってきたのは正午過ぎの事だった。
「身代金を用意しろだとさ」
通常の仕事の合間に東海林に連絡をとった善人は、犯人からの要求を伝えて苦笑する。
「用意して差し上げればいいんですか?」
「そうしてくれ。悪いな、身内のいざこざに巻き込んでしまって」
警察沙汰にする事ではない。理人が聖人に危害をくわえるようなことはまずないだろう。
「いえ。むしろ愉快ですよ。面白い弟さんですね」
「ああ、昔からあれはやることがめちゃくちゃでね」
問題は聖人の方だ、と善人は思う。普通に学校へ向かっていたなら、聖人が理人に鉢合わせるなどありえないからだ。
(やっと来たかな、反抗期ってやつが)
「さて北澤くん、君は聖人の行きそうな場所に心辺りはあるか?」
善人との電話を終えると、東海林は学校を早引けしてまで聖人の捜索を申し出てきた北澤に尋ねた。
理人は身代金の要求だけして場所の指定はせず、自力で探し出せよ、と言い捨て通話を切った。制限時間はないし相手は徒歩、タクシーや電車を使う可能性もあるが、理人に手持ちはないだろうし、そうなると路銀の出所は聖人ということになる。移動経路は聖人の考えによるだろうと、東海林は推理したのだ。
「あいつの行きそうな場所……?」
首を傾げる北澤の横で、成り行き上、捜索を手伝う羽目になった春日は肩身の狭い思いだった。
とりあえず招き入れられた白河の屋敷は、想像以上に広く立派なものだ。これまであばら家同然の古い家に住んでいたせいか、どうしても気後れしてしまう。
お城然とした内装、格調高い家具やインテリア、階段に引かれたグリーンのカーペットすら、春日には眩しく、目がチカチカしてくる。
この屋敷での生活など想像できないし、わけがわからない事件は勃発するしで、すっかり混乱していた。
「あっ……もしかしたら」
春日が黙って冷汗を流している間に、何か思い当たったらしい。北澤は急に腰を上げて、ひとりで飛び出そうとした。
この人も相当テンパっているな、と考えながらも、同じように動揺している春日は、茫然とその背中を見送る。
「待ちなさい北澤くん」
当然、東海林が彼を引き止めた。
「俺達も行こう」
「えっ、俺も、ですか」
東海林は当然のように春日も頭数に入れている。
「聖人は君の兄だろう?」
神妙な顔付きで、言い聞かせるように告げられ、言葉に詰まった。
「そうですが……」
聖人が兄であるということに抵抗はない。むしろ誇らしいくらいだった。
打算的で合理主義な印象のある父に比べ、聖人は清廉で気高い人間だと感じる。
だからこそ春日は恐れていた。
「あの人は俺を、弟だって……認めてくれねぇんじゃねぇの」
「!」
東海林の顔色が変わった。伸ばした腕を下ろし、気まずそうに目を逸らす。
(やっぱりな)
春日が自嘲を浮かべたとき、
「東海林さん!俺が走って行きます!」
「待て、車を出すから」
「いえ、すぐ近くですから!」
呼び止める間もなく北澤は飛びだして行った。
「近くって……まさか敷地内か?」
やれやれと肩をすくめ、東海林はひとりごちる。
「東海林さん」
春日に目を遣って、ウッと唸りそうになった。
「俺はここにいていいのか?」
膝の上にのせられた拳は力を入れすぎて痛々しい。顔面蒼白で、唇はわななき、折角の美形が台なしだった。
「……許可がいることだと思うか?」
「え?」
「君がここにいたいならいればいい、いたくないなら、ひとりで生きていく方法を考えるしかない。いずれにしても、君が決めることだろう」
「……俺は、」
言いかけて、春日は唇を噛む。暫く逡巡してから、もう一度口を開いた。
「利用できるものは全部利用する。白河さんが金を出してくれるなら、大学まで卒業します。払ってもらった分はそれから返していく」
「現実的だな」
作品名:Father Never Say... 作家名:9.