拾い零したのはなあに?
重たい身体を動かしながら、私は毎日来ている研究室の扉を叩いた。
とはいってもカードと指紋照合なので、実際に叩いたわけではない。
「ハル、暇? 頼みがあるんだけど」
自動的に開いた扉の向こうには、こちらに背を向ける見慣れた男の姿。
「暇じゃないよ、ドリー」
「ドリーは止めてドリーは。羊思い出すから」
いつもならぶっ叩いてやるような軽い冗談。けれど今は返す体力さえ勿体ないと感じる。
とにかく、私は体調が悪いのだ。
無駄にツッコミとか入れさせないで欲しいのだが、ハル相手でそんな願い叶うはずがないと知っている。
「暇じゃないなら何やってんの。研究そっちのけで」
「一応研究しているよ? あ、その辺に転がっているの踏まないでね」
ハルの言葉に床を見れば人の白い腕が無造作に転がっている。いや、腕だけではなく足や手、腿に胸など人間の身体がバラバラにされ転がっている。しかも一人分ではない。肌の色も褐色もあれば私たちのような白もあり、モンゴロイドのような黄色もあった。
この研究室の担当が私のため、よく見てはいるが慣れない。いつ見てもぞっとする。
「ドール制作?」
「ううん。美味しいお肉の食べ方」
それは既に研究ではないと誰か突っ込んでやれ。と言うか料理本を見ろ。
「本職の研究しなさいよ、本職の」
「今は休憩中だよ」
そういえば先程からじゅうじゅうと肉の焼ける音がしている。鼻が詰まっているせいで私はわからないが、きっとおいしそうな匂いが室内に充満しているのだろう。ハルという男は私よりも料理が上手い。
私は椅子に座った。どうせハルもわかっているので断ることはない。にしても相変わらず私室のような研究室だ。
必要ないのに冷蔵庫やコンロ、そして毛布がある。ハルはここに住み込む勢いで私物を増やしている。既に、住み込んでいるようのだが。
「で、ドリーはこんな時間にどうしたの? 警備係は勤務中でしょ?」
ドリーはやめろと再び突っ込むべきか、お前も勤務中のはずだと突っ込むべきか。
寧ろどっちも言いたかったが私はあえてスルーした。この男に何を言っても無駄だというのは、幼い頃から知ってはいるのだから。何も言わないかは別として。
「私は休みを取ったの」
「へー。仕事のオニが珍しい」
オニと言う単語に内心首を傾げ、私は持っていた冊子を机に置いた。
「とりあえずこれを返しに。それから滋養の付くものでも作って貰おうと思って」
「あれ、体調悪い?」
「怠いのと何より鼻詰まりが酷くて」
「わかった。座っていていいからね。
で、どうだった?」
くつくつと煮えたぎる大鍋を混ぜる姿はまるで魔女だ、なんて見当外れなことを思いながら口を開いた。だってハルは男だから魔法使いの筈だ。
「取り敢えずハルがどれだけ自然に焦がれてるかが顕れてるな、と」
「あはは。そりゃ四六時中こんなところに篭っていればねぇ」
「それから書くような暇があるなら仕事をしなさい、と」
「書きたくなったのだから仕方ないよ」
「だからって仕事そっちのけで書かないでよ。まあ1日かからなかったのが救いね。後は時代背景がよくわからなかった。昔話かと思えば車が出てきたし。
そもそもいうかあれは何の話?」
「んー……『雀はだあれ?』ってとこかな」
「誰って……母親でしょ」
「ドリーがそう思うのならそうなのだろうね」
「……なにそれ。推理物ってわけ?」
「推理なんてないよ。強いて言うならただの気まぐれ。どちらかといえばミステリーに近い」
ドリー、冷蔵庫から野菜を取ってくれる? ハルの言葉に立ち上がる。ドールのパーツを踏まないように冷蔵庫へ近寄った。
「そういえばサクラガイって何?」
「極東で、ある種類の貝をそう呼ぶんだ」
「キョクトウ? ……ああ、ハルが研究している感情ドールの製作者の国か」
「人形に感情を組み込ませるなんて、ドリーは凄いと思わないか?」
「私はこの研究室の状況が凄まじいと思うよ」
野菜室から適当な野菜を手にする。床を選びながらハルに近付いた。
「研究室? この部屋がどうかしたの?」
「バラバラ死体遺棄場って影で言われてるのよ。
はい、野菜」
「ありがとう。
でも、大切なパーツだからどうしようも……」
「やたらリアルだしね……」
「リアルじゃなかったら人間に見えないでしょ」
「そうだけど。あ、糸が落ちてる」
「糸?」
「銀の……ほら。髪にでも使うの? いや、これ髪のパーツか……。掃除しなよ」
「うん、そうだね」
「ってか私、そのお肉でいいよ? ハル手間かかるし」
鍋の中身、しかも具だけを深皿に空けるハルに言った。もしかしてハルは私の食事を一から作るんじゃないだろうか。
「だぁめ。研究中だからドリーに食べさせるなんてできないの。
ほら、座って座って」
シッシッと犬のように追い払われる。いらっときたが、頼んだのはこちらなので拳を握る程度で我慢する。文句言うのも面倒だ。というか病人をこき使うな。
椅子に再び腰掛け、私はそういえばと口を開いた。
「後輩が言ってたんだけどさ。ハル、また告白されたんだって?」
「よく知っているね。流石警備班は情報伝達が速い」
ざく、ざく。ハルの持つ包丁がテンポよく野菜を刻む。
「誰に告白されたの?」
「確かドリーの後輩だったと思うけど……」
うーん、と考える様子からきっとハルは覚えていないのだろう。ハルの脳にはドールのことしかないに違いない。
「後輩って言ったって私一々覚えてないわ。何人いるんだかわからないし」
それにしてもハルに告白なんて変わった趣味をお持ちのことで。
白衣に包まれた姿態はお世辞にも肉付きがいいとは言えない。はっきりいって必要最小限の筋肉しかついてないんじゃないだろうか。まぁそれも篭っていたら仕方ないことだけど。
ハルは気にした風もなく調理を続ける。
「で、なんて言われたの?」
「食べてほしいって」
「…………はい?」
「うん、俺も初め頭大丈夫かと思った」
ハルの意外過ぎる言葉に思わず変な声が出た。熱が出てきて、耳までおかしくなったわけではないらしい。
「なにそれ……」
「でも彼女は本気だったんだよ。
どうせ好きになってもらえないなら、なってもらえても何れ別れてしまうのなら。せめて血肉になりたいって」
「……随分強烈な告白で」
「わからなくはないけど」
「え?」
じゅう。野菜がフライパンに放り込まれる。
「だって死んで土に還るくらいなら、大切な人の役に立ちたいと思わない? 肉となって身体を動かし、骨となって身体を支え、血となって身体を巡り」
「…………」
「死が二人を分かつまで、って陳腐な言葉があるけど、死んでも尚一緒にいられるのはとても幸せだと思う」
じゅうじゅう。野菜が掻き交ぜられて悲鳴を上げる。
「ドロシー」
「……何」
名前を呼ばれ、思わず身体を固くした。こういうハルはあまりよくない。何が、どう、なんて説明はできないけれど。
「ドロシーは、俺を食べてくれる?」
じゅうじゅうじゅう。悲鳴は止むことを知らず。
カン。木篦がフライパンの底を叩いた。
「……お断りね」
息を吐くと同時に声を出した。そこで私が息を止めていたことを初めて知る。
「そっか」
作品名:拾い零したのはなあに? 作家名:佳奈