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拾い零したのはなあに?

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「大体、ハルを食べなければならない程食生活に苦労してないわ。それに生憎、私にはカニバリズム思考なんて持ってないから」
「大丈夫、冗談だよ」
 ふふ。笑い声を漏らしたハルは火を止めた。
 私はずっとハルの背中を眺めていたから表情なんてわからないけれど。ハルは調理の手を淀めることなくその話をしていた。
「次、ふざけたこと言ったらぶん殴るからね」
「うん。……ごめんね。冷蔵庫からパック一つ取り出してくれる?」
「はいはい」
 人使いの荒いハルに溜息を吐きながら再び冷蔵庫に近寄り扉を開ける――と。
「あれ、ハルお肉がいっぱいある」
 スーパーで見かけるような白いトレイじゃない。ラップに包まれていたりタッパに入れられたりした生肉が沢山冷蔵庫に敷き詰められていた。
「あー……うん」
「あ、パックってこの赤い液体の?」
「うん。それ」
 普段ならお肉は腐ると困るから、と少ししか入れないのに。珍しい。
「貰い物だから捨てるのも、人にあげるのもできなくて」
 さっきまで私が座っていた椅子の隣に椅子を置き、テーブルの上には野菜の入ったスープとお肉と野菜の入ったお皿を並べる。
 ハルは困ったようにふにゃりと笑い、私の手からパックを受け取った。
「あー確かに貰い物はね……残しちゃ困るからあげてもいいかって聞かなかったの?」
 とくとくとくとく。透き通る真っ赤な液体を深皿に注ぐハル。零さないようにと気をつけているのか視線はパックに注がれたままだ。
 その目が澱んでいるように見えるのは光のせいだろうか。研究に支障が出ないよう、蛍光灯をそろそろ換えないといけないのかもしれない。
「気にしてなかったから」
「そっか……」
 それは困ったねと天井を仰ぐ。
 ああ、確かに蛍光灯が黒ずんで見える。事務に報告して調達しなければ。
 きっと研究とか言って肉の料理方法を探していたに違いない。ハルは変なところでこだわる人間だから。それよりあれ程の量の肉。一人で食べ切る前に飽きてしまうんじゃないだろうか。いや、飽きる前に腐ってしまう。
「一部、 私が引き受けようか?」
「ありがとう。でもダメ」
 空のパックを雫が落ちないように注意を払ってハルはビニール袋に入れた。
 深皿に並々と注がれた、さらりとした透明な赤い液体。
「そっか。じゃあ消費頑張って」
「うん」
 渡されたスプーンで野菜の入ったコンソメスープを飲んだ。鼻詰まりで嗅覚がないからいつもみたいな感じじゃないけど、おいしい。
 ハルは黙々と真っ赤な液体から野菜や肉を掬って口に運んでいる。食事のときはいつも黙りっぱなしだから気にすることはないんだけど。
「……ねぇ」
「ん?」
「それってトマトジュース?」
 その問いにハルはにっこりと笑った。


****


「ふう……」
 スプーンを手から離して感嘆の溜息を一つ。
 相変わらずハルの料理は美味しい。
 嘘偽りのない率直な感想だ。体調が悪いというにも関わらず私はスープを一滴残さず平らげていた。
 ハルは私の食べる速さに合わせてくれたのか、スプーンを置く。真っ赤な液体はハルの咥内に運ばれ飲み下された。深皿は多少赤みが残っているものの、元の無機質な白さを見せている。
 ハルが研究に戻ると言ったので私は退室するために席を立った。
 ドールの研究は私にはわからないし理解できないし、いても邪魔にしかならないからだ。ハルは決して邪魔とは口にしないのだけれど。
「じゃあドリー、ちゃんとベッドで寝るんだよ」
 がしゃがしゃと音を立てながら洗い物をしているハル。
 私はふと疑問が浮かび、扉を開けようとしていた手を止めた。
「ねぇ、ハル」
「なに?」
 がしゃがしゃかちゃん。食器が当たった硬質な音。流しっぱなしの水が排水溝に吸い込まれる。
「あのお肉、誰からもらったの?」
「うーん……誰だったかな」
「あんた相手に失礼よ……」
 本気で覚えていないらしい幼なじみに溜息が出た。あれだけの肉を貰っていて、なんで忘れることができるんだ。名前くらいメモでも取っておけばいいのに。
 女も女だ。ハルに好意を持っているのなら覚えてもらわなきゃ意味ないのに。名刺くらい渡しておきなさいよ。
「うん、もういいわ……」
 扉を潜り、廊下に踏み出す。ひやりとした風が私の肌を撫でていった。
「ああ、でも確か」
 思い出した、というような声に振り向く。
「月のような子だったよ」
 自動ドアが閉まる直前。バラバラしたいに囲まれて、空っぽの笑みを浮かべたハルがいた。



拾い零したのはなあに?



「あ、先輩おはようございます! 体調大丈夫なんですか?」
 数日後、出勤した私に駆け寄ってきた後輩。にこにこと笑う彼女は懐いた犬にも見える。
「ええ。怠さはマシになったから」
「でもまだ鼻声ですね……。無理はしないで下さいよ?」
「大丈夫」
 ロッカーから服を取り出して袖を通す。あまり休んだ実感はないのに、この服も久しぶりに思えてしまう。
「で、今日の欠勤は?」
「えっと……今来てないのはバージニアと……あ、バージニア来ました。だから、シンシアさんだけです」
 カツカツと音を立てるブーツで床を蹴る。この音を聞くと仕事をしなければ、と気が引き締まる気がする。
「一人ね。じゃあそこには誰かを補完して……あら、この人……」
 私が休んでいた間の報告書にざっと目を通していると見過ごせない文字が目に入った。
 私の言葉が切れたのを不思議に思ったのか、後輩が手元の紙を覗き込む。そして合点がいったように頷いた。
「ホント、困りますよね。シンシアさん」
 プラチナブロンドの女性の顔写真。記されているのは出欠記録。
「無断欠勤、何日続けるつもりなんでしょうか」
「……本当ね。電話くらいしてこればいいのに」
 バツ印の続くそれに違和感を覚えたのはほんの一瞬。掴みきれなかったそれを大したことではないと意識の外にやり。
「とりあえずあなたも場所につきなさい」
「はい! じゃあ先輩また!」
 私はその紙を他の報告書と共にボードに止め、仕事のために足を運んだ。
 数日とはいえ休んだことに変わりない。上に口煩く言われなければいいのだけど。



(20090704)
 あなたは幾つ気づきましたか
作品名:拾い零したのはなあに? 作家名:佳奈