高校生殺人事件 警視庁・香川美優と雪菜の事件簿(一)
「殺された少年は西岡遊児というの。都内の一宮高校の生徒で、渋谷の人気のない路地を歩いているところを、背中をナイフで刺されて死んでいた。これは前に言ったわね。ショック死だったの。なぜその路地にいたのかというと、仲間とメールでやり取りして、いつも集まる『P』という店に、彼らと決着をつけるため出向いたから。でも、メールでウソをつかれていたわ。だから午後六時三十分に入店したけど、そのまま待ちぼうけを食わされて、午後七時に店を出た。この時間は店の従業員が証言している。その帰り道、店からもそう遠くないところで一突きよ。犯行時間は死亡推定時刻を割り出してくれた鑑識曰く、七時から八時なの」
「その犯行時間の七時から八時の間に、不良たちはパチンコをしていたんですね?」
「ま、そういうことになるわね」
と、美優はコーヒーをすすりながら言った。
「それで、離れ離れに席についている点と店内が騒々しい点。要するにアリバイになりそうもないんでしょ?」
雪菜は弱い点をついた。
「だったらどう思うのよ?」
と、美優がきいた。
「自然ですよね。犯人でない場合は自然だと思います。だけど、四人で結託して決めたアリバイだとすると不自然なアリバイなんですよ」
「冴えてるね」
と、美優が頷いた。
第六章 事情聴取
「あの、午後から僕一人ですか?」
と、雪菜は聞いた。
「だめよ。西岡家に行くんだから」
不良グループへの容疑は薄くなり、はじめに戻って、もう一度家族のセンを洗ってみる事にした。部下に任せず、自ら乗り込む。
「…」
雪菜の無言の圧力に、
「もう〜、しかたないわね」
美優は、譲歩した。美優は雪菜にどこまでも甘い。
二人は早めの昼ご飯を食べて、出かけた。
西岡家は井の頭線の沿線の池の上にあり、一戸建てで割と閑静なところにある。
「今日はどういったご用件で。あの、アリバイというんですか、事件が起こった時間帯は私たち各々のことをしていたと刑事さんにお話ししましたけれど」
妻の綾奈は、ほっそりした和美人だ。中学生が一緒にいるのを見て、怪訝な顔をしたが、二人分、丁寧にお茶を出してくれた。
大抵の人が刑事に干渉されるのを嫌がり、協力的なことは稀であると美優が言っていた。いやな顔をされてもそれが仕事で当たり前なのだから、いちいち気にしないと、美優は言っていた。
「ええ。面倒だとは思いますが、もう一度お願いします。これも捜査なんです」
と、美優は聞いた。
二日前からこのやり取りの繰り返しなのだから、被害者家族は大変である。娘の由紀も同席していた。雪菜はここへくる途中、美優から大学生だと教えられていたが、大学の学生生活の経験がないので、昼間に家にいることがピンとこない。雪菜はズル休みをしているが。
美優と雪菜は、由紀をちらと見た。華美すぎず、地味すぎず感じがいい。小刻みに震える手を合わせたり、離したりとせわしない。青い顔をしているし、心もとなさそうだ。それほど緊張するのはなぜか?
母親の綾奈が言った。
「何度もお話しましたけど、五月十一日の夕方は家におりました。夕飯の支度をして、娘と二人で食べ始めたのがちょうど七時頃からだったと思います。そのとき見ていた番組の内容なら話せるのですが…」
頷く美優。番組は録画もできるから証明にはならないが、その時分電話がかかってきたか、来訪者はあったのかを聞いた。
「はい。もう夜でしたし…来訪者はありませんでした。電話もなかったと思います」
その時、
「父はその時間、会社で部下や同僚と仕事をしていました」
と、由紀が突然言った。何か隠し事でもあるのか、心配事があるのか。言動が突飛だ。
「ええ。分かっています。というより、これから確認しようと思っていますわ」
「あ、そうですか」
由紀はか細い声で言った。そして俯いてしまった。
「事件の当日、遊児君にいつもと違った様子、態度は見られませんでしたか?」
「恥ずかしい話ですけど、あまり子供の事が分からなくて。不良グループの事で悩んでいたのか、イライラしているようでしたけど」
聞くとすぐ怒るのだと、綾菜は愚痴を言い始めた。美優は、適当に相槌を打ち、再び質問した。
「今まで出た以外に、何か人の名前や、あるいはですね、店の名前を聞いたということはありませんか」
「さあ、ありませんけど。最近は、あまり子供と話す機会がなかったものですから」
と、綾菜は答えた。
結局、目ぼしい情報は得られなかった。腰を上げると同時にお暇を告げ、車へ向かった。
「進まないものだな。不良たち以外に遊児と関係があるのは、塾も行っていないので、後は学校くらいなものだ」
と、雪菜が大人びた口調で言った。
玄関脇へ停めておいた車に乗り込み、美優がカーナビに次の目的地を入力していると、窓ガラスをコツコツたたく影が見えた。
「娘さんよ。何かしら」
美優が降りたので、雪菜もあとに続いた。
「まだお話があるんです」
美優は、場所を変えようかと提案したが、それだと母親に怪しまれてしまうからと拒否をした。
「あ、えと…」
自分の話す内容に、すでに混乱しているようだ。
「落ち着いて。どんなことでもいいから教えてちょうだい」
と、美優が促した。由紀は深呼吸をし、胸の前で手を合わせて言った。
「父が電話をかけていた相手は武藤さんというひとなんです。その電話の内容は、遊児も聞いています。その人は脱税の嫌疑がかかっているんです」
と、由紀は言った。
父親の西岡章介が、自室でこそこそ電話で話しているのを、由紀は聞いてしまったようだ。相手を武藤さんと呼んでいたと、はっきり証言した。とにかく、その場に足が凍りついてしまって動けなかったと、由紀はしきりに言っていった。自分が密告しているようで気が咎めるのだろう。
そして、由紀は、時間のあった日の夕方、父親は会社にいたと言うが、本当かどうか分からないのだという。
「こんなの、いけないって思うんです。でも、私は父を疑っているんです」
やはり混乱している。いくら息子に会社の脱税を知られたからといっても、わが子を殺す親はいない。
武藤か他の社員が、殺意を持ち、犯行を企てるかもしれないが。遊児に何か権力がある様でもなく、だから殺害するというのも、確率が低いような気がする。
「冷静になって。お父さんの会社が脱税しているのと、遊児くんが殺されたのが繋がっているとはまだ言えないわ。大丈夫よ。お父さんのアリバイは、私たちが証明してあげるわ」
関係があるとも関係ないとも、まだ判断はできないが、由紀に余計な心的負担をかけたくなかった美優は優しく慰めた。
「お願いします。弟は素行は悪かったですけど、根はいい子だったんです。私たちは被害者なんです。助けてください」
由紀は、心の奥では自分の家族を信じたかったのだろう。
「武藤って誰かしら。その人のところにも会いに行ってみたいわね。何か掴めるかもしれないわ。まずは、父親の西岡章介よ」
と、美優は言った。脱税疑惑では関係なさそうにも思えるが、今は少しでも情報がほしい。それに電話の相手が武藤さんだと決まったわけではない。だからその件でも章介に当たってみなければならない。
作品名:高校生殺人事件 警視庁・香川美優と雪菜の事件簿(一) 作家名:蒼井 紘