高校生殺人事件 警視庁・香川美優と雪菜の事件簿(一)
と、「半分一緒に暮らす者」は、空気から察していた。雪菜は夕食の支度に取り掛かかった。炊飯器にスイッチを入れ、魚を焼き、大根をスリおろして、味噌汁の味噌を溶かす。すると美優が帰ってくる。人目を引く容姿だし、スーツを着ていて警察官には見えない。
「ただいま」
と、美優は、靴を下駄箱に入れながら言った。
「お帰りなさい。…あ、早いんですね。事件が起きたのかと思ってました」
と、雪菜は家事の手を止めて言った。
「事件は昨日起きたの。でもいいのよ、帰っても。今日は食事をしたら、警視庁に戻るの」
「はぁ。殿様商売ですね」
いつもにまして暗い雰囲気で話す。
「せっちゃん、何かあったでしょ。隠してもだめよ。そういう口調のときは何かあるんだから」
そう言われて、胸の中が顔に出てしまう。
「どうしたの?話して」
雪菜は泣きそうになった。相談してみようと思った。詰まりながらも見たことを報告した。
「どうしてこんなことが…あるのか…公園でネコが…」
「そう。雪菜が落ち込むことないわ。なんなら私が猫を捨てたやつに天罰を下してあげる」
まだ外は明るかったので、食事は後にして公園へ行くことになった。
「これね」
公園にはまだ子供たちの姿があった。なるべくこっそり、何をしているかバレないように雪菜が猫を運んだ。積んできた軍手を二重にはめていて、手が動かしにくく、ゴミ袋をめくるのがじれったかった。どちらが車まで持って行くかで争い、負けたのだ。美優の言い分は、自分が車に乗せて運ぶのだから、車まで運ぶのは雪菜のパートだというものだった。
美優の二台目の愛車三菱ランサーエボリューションが郊外を抜け都心をひた走る。
音楽もラジオもつけてない車内は静まり返っていた。緑色の車内表示が浮かび上がり、遠くのビルの窓から漏れる明かりと合わせてキレイだな、などと無意識に考えていた。美優は飛ばして次々と車線を変えながら、スカイラインGTRやホンダMSXを追い越す。運転にも美優の強気の性格が現れている。外車が世間に多い割には、抜くのは国産車ばかりだ。
「ちょっと遅くなるけど、帰ったらちゃんと勉強するのよ」
どこか現実感がなくなっていて、勉強なんて手につかないと思う半面、不思議と落ち着いていて、頭は冴えている。
「はい」
遅れて返事をしても何も言われなかった。
車は、奥多摩の主要地方道を走って、農業用のため池が見えるところに差し掛かった。ため池の向こうに空き地が見えた。
「ここはどうかしら?」
と、美優は聞いた。
「ここにしましょうか」
雪菜は言った。というよりも、猫を早く楽にしてやりたい気持からだった。もう三時間も、箱の中に押し込んだままだ。
夜の帳に包まれた空。あたりは暗くなっていた。山は真っ黒になったが、まだ空との境界線ははっきりしていて、薄気味悪さを助長させる。時折通る車のヘッドライトやテールランプが人の気配を知らせ、暗闇への恐怖心を紛らわす。雪菜は、もって来たシャベルで大きな穴を掘った。美優が、箱から子猫を取り出して、穴の中へ埋めた。途中で積んできた花を猫の頭のあたりにおいてやった。雪菜は、ゆっくりと土を猫の体にかけた。近くにあった石を墓標にして、二人は手を合わせた。さすがに線香までは用意してこなかった。
「禁じられた遊びみたいね」
と、美優が言った。
「僕たちがやったんじゃありませんよ」
と、雪菜。
「でも、こうしてるんだし、安らかに眠ってくれるわよ」
雪菜はこうした楽観さにイラつくことはなく救われるのだった。
ネコの死体は家庭の生ゴミに捨てることができる。美優は食事のあと仕事に行くと言ったのだから、当然そうするのだと思っていた。ところが、雪菜が頼む前に、奥多摩を目指してくれたのだった。
第四章 捜査開始
マンションに車を乗り入れて、ベンツSLKの隣に止め、503号室を目指した。エレベーターの中はマナー違反者のせいか、タバコの臭いがした。部屋に入ると、明かりを点けた。リビングは広く、適度に片付いていて、全体的に物が少ない。夕方作っていた料理がテーブルの上に手つかずのまま、原形をとどめていて、すっかり冷めてしまっている。
「美優さんのおかげで、心がすっきりしました。僕、何もできなかったけど…」
雪菜は、うつむきながら、少しだけ笑顔を作った。
「気にしなくていいのよ」
と、美優は優しく返した。雪菜は、料理を温めなおした。
さんまのお皿と味噌汁の間で携帯が鳴った。何と携帯を置いていったのだ。
美優が携帯を取ろうとしたため、肩が雪菜とぶつかった。
「あ、ごめん」と美優。
雪菜はよろけて、うしろへお尻から落ちた。
すぐに起き上がり、聞き耳を立てると、聞こえてくる隣室の美優の話し声があった。移動していても、詰めが甘く扉が開いているのだ。事件のことを話しているらしい。一瞬ネコのことかと閃いたが、昨日起きた殺人事件かと思い直す。すると、急に刑事の仕事に興味が湧き、無知なフリと真剣なフリを決め込んで、早速食いついてみた。
「あの、事件のこと話せないのは分かってるんです。でも」
うまくいって欲しい。
「たまには教えてほしいわけね。いいわ。平成二十二年五月十一日つまり昨日ね。渋谷の路地で、都内の一宮高校の生徒が背中を刺されて死んでいたの」
聞いたのは僕だけど、あっさり言うな。感想が出てくる間も、頭は言われたことを反芻していた。
「渋谷なら目撃者が多そうだ」
「ええ、でもね、人通りのないところで、目撃情報は今のところ出てないの。部下が今家族にあたっているわ。ナイフからは指紋も出なかったし、行き詰ってるわね。ありふれたサバイバルナイフだし。せっちゃんも、学校の登下校には注意するのよ」
「はい。あの…」
雪菜は、殺人事件で忙しくなるというのに、猫の捜査までしてもらうことに、引け目を感じた。
「大丈夫よ。ネコの件も目撃者を探ってみるわ。常習化するのを防いで罰してやらなくちゃね」
分かってもらい、胸のうちが温かくなる。雪菜にしては、いろんなことがあった日だ。その日は、自宅に戻るとすぐに眠り込んでしまった。
五月十三日、夕方。
「公園で見つかったネコの死体だって?そんなの一々調べてられないだろ。一宮高生の件、担当してるんだぞ。時間がないよ」
と、藤川が言うと、
「すぐ行けって。上司命令なんだから、逆らうわけにはいかないだろ。警視正サマサマだよ」
と、沢木が言った。
「待てよ、高校生の殺人事件と猫の死体の遺棄と、何か関連があるとみているかもしれないぞ」
と、沢木が言った。
「どう関連しているんだ?」
「分からないから調べろというのだろう」
沢木は、先回りして答えた。
刑事の沢木と藤川は、雪菜が猫を見つけたという公園まで出向き、付近の民家にしらみつぶしにあたった。地味だが根気のいる仕事だ。見えにくい所に隠れるようにして、死体は転がっていたので、存在を知らない人が大多数だった。しかし、数日前から四、五人の若者が公園で騒いでいたことが分かってきた。彼らは酒を飲んで、大きな声で叫んだりしていたようだ。その苦情なら、住民は口々に言っていた。
作品名:高校生殺人事件 警視庁・香川美優と雪菜の事件簿(一) 作家名:蒼井 紘