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死に損いの咲かせた花は

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 さてどこで休ませよう、と左門は片手で木刀を拾い上げ、とりあえず家来の棟に向かって歩きだした。力丸の部屋に戻してやってもいいが、どうせ目が覚めたらすぐ飛んでくるに決まっている。手当てをするのに勝手もいいし、自分の部屋で休ませよう。
「待て、どこへ行く!」
 そんなことを考えて歩いていたら、背後から半ば怒鳴るような声がかけられて、左門は足を止めて振り返った。
「げ……」
「なんだその顔は。力丸をどこへ連れていくつもりだ」
 振り返った視線の先には、今にも食いつかんばかりの表情で睨む乱丸の姿。そのなんとも言い難い気配に、揃いも揃って面倒な兄弟だと左門はつい明後日の方向を見た。多少の無礼は仕方がないだろう。
「無視とは失礼な男だな……それにしても、あの力丸を誑しこんで情報を得ようとは、畏れ入る」
 それにしても“あの力丸”という言葉をたびたび聞くが、この子は一体どういう子供なのか。やんちゃに過ぎると言われれば別に反論もしないが、それだけでこんなに話題に出るものなのか。それとも左門の前でだけおとなしいのか。全然おとなしくないが。
「聞いているのか? 桜」
「聞いてますよ」
「力丸をどこに連れていくつもりだ?」
 現実逃避をしかけた左門に、乱丸は目を眇めると、左門に向かって一歩踏み出した。
「どこって……稽古中に気を失ったので、部屋で休ませようかと」
「ならばこちらに与る。よこせ」
「しかし乱丸殿、あなたお忙しいのでは?」
 ぴくり、と乱丸の眉がわずかに弾く。
 言い返さずに、おとなしく力丸を渡した方が簡単だろうというのは分かる。しかしそれだと、いつまでも乱丸は左門に対してこのままだろう。それはいい加減に面倒くさい。
「力丸の指導は私の仕事です。私にお任せいただけませんか」
「信用できん」
「ならば大殿にそう仰ってください。桜は信用ならんので、力丸のお守りから外してほしいと」
 ぴり、と緊張した空気が走る。
「……力丸を、こちらに」
「ですが、乱丸殿」
「私の弟だ!!」
 乱暴な動作で腕を伸ばした乱丸から、まるで守るようにして、左門は背中に乗った力丸を隠す。それで頭に血が昇ったらしい乱丸は左門の胸ぐらを掴むと、もう片方の手を振り上げた。怒りにまかせて手を振り下ろす。左門は目を逸らさない。
 急に視界の横から黒いものが伸びてきて、それにはさすがに左門も目を見張った。
「……彌助」
 同じく驚いたらしい乱丸の呟きに、左門も横に視線を流す。視線の先では、乱丸の腕を掴んだ彌助が心配そうに彼を見返していた。
 それをどうとらえたのか、乱丸は悔しそうに刃を食いしばると、緩慢な動作で手から力を抜く。
「……すまない、桜」
「いえ……」
「彌助も。……少し、頭を冷やしてくる」
 うなだれた乱丸は片手をあげて詫びると、そのまま左門に背を向けた。
 残された彌助は、黙ってその姿を眺めている。
「……彌助殿」
 小さく声をかけると、彌助は振り返って左門を見下ろしてきた。遠目にも長身だと分かっていたが、間近に見ると、その肌の色も相まって妙な圧迫感がある。
「ありがとうございました」
 礼を言う。
 しかし彌助はまったく口を開こうとせず、左門は曖昧な表情で笑った。それでも彌助は何も言わず、表情も変わらない。
 さてこの場をどうしようかと緊張する左門の様子を察したのか、彌助は左門の背中の力丸へ手を伸ばした。力丸の頭をなで、桜を見てなぜか頭を下げると、そのまま立ち去っていく。
 終始口を開かなかった異人の後姿は、異質なはずなのに不思議に自然と、屋敷の中に溶け込んでいった。



「そりゃあ変わった子でね。乱丸様もずいぶんと心配していらっしゃってさ」
 まかないの女が、慣れた手つきで西瓜を切り分ける。
「仕事は熱心にこなしていたけど、それ以外はずっと森で。たまに怪我した動物を拾ってきちゃ、怒られながら世話をして、森に返して」
「小姓として何か不足があったんですか?」
「いいや。年のわりに腕も立つし、頭もいい。器量もああだろう? それに優しいし」
 小さく切り分けたものを皿に乗せ、差し出した。
「けど、あんたがここに来てからだよ。楽しそうなあの子が屋敷で見られるようになったのは」
 ありがとう、と付け足された言葉に、左門は困ったように笑い返すと、礼を言って台所を出た。
 聞かされた話は意外なもので、少し戸惑う。自分のおかげだと感謝されたところで、左門がしたことといえばせいぜい、稽古をつけたり勉強をみたり、今だって手当てをして、気付けにと西瓜をもらってきた程度だ――わりと甲斐甲斐しく世話をしていたことに今更気付くが、乱丸や坊丸、それに屋敷の者たちの様子からして、誰にも意識を払われていなかったわけではないだろうに。
 西瓜の乗った皿を手に廊下を歩いていると、縁側に腰掛けた人影を見つけた。よく見ればそれは信長のようで、目を閉じて微動だにしない。
「信長公?」
 声をかけてみるが、眠っているらしい信長は目を開かなかった。
 いくら自分の屋敷とはいえ、立場上常に命を狙われているようなものだろうに。こんなに気を抜いて無用心なことだと、左門は呆れて溜息をついた。
 辺りには誰もいない。
 それ以上口を開かず、左門は信長の側に寄った。手を伸ばせば届く位置に立ち、大丈夫だと自分に言い聞かせる。今ではおおよそ問題なく自制できるようになった。
 さて、と左門は信長の脇に膝を折る。
 このまま放っておいて脱水症状からくる頭痛に悩まされていただいても大変結構だが、このまま無防備にされていても困るのだ。もう少し自分の立場を自覚してほしいものだと思いながら、とりあえず部屋の中に入るか、もしくは誰か側に置けと言うために信長の肩に手をかける。
 信長の額には玉の汗が浮かんでいて、眉間には深い皺が刻まれていた。心なしか息も荒く、少し心配になる。昼寝だと思ったのだが、もしかして具合が悪いのだろうか。
「信長公、起きてください。体に障りますよ」
 思い切って揺らすと信長が呻き、段々と息が荒くなっていく。投げ出されていた信長の手が、指先が触れたせいだろう、左門の着物の袂を掴んでこぶしを握り締めた。
「信長公?」
「……で……」
「どうしました?」
 聞き取れないうめき声が信長からもれる。信長のこめかみから流れた汗は、おそらく季節のせいではない。
「……るせ……」
「信長公! 大丈夫ですか?」
「頼む……っ!」
「信長公!!」
 強引に肩を揺らして、やっと信長が目を覚ます。
「……目は覚めました?」
「っ……さく、ら……?」
 呆然とした信長の目が焦点を結び、左門の姿を認めて大きく息を吐いた。
「……儂は……」
 こめかみを揉み解し、落ち着こうと顔を伏せた信長を見下ろして、左門も溜息をつく。
 尋常でない様子だったが、目を覚ましてしまえばそれほどでもなかったかもしれない。信長は特に正気を失った様子もなくて、わざわざ突っ込んで聞くこともないかと左門は緊張を解いた。
「昼寝してたんですよ。こんな炎天下で寝てるから悪い夢なんか見るんです。……で?」
作品名:死に損いの咲かせた花は 作家名:葵悠希