死に損いの咲かせた花は
しかし子供はすぐに目を眇め、左門は急に居心地が悪くなった。
「あ……どうも」
草むらを掻き分けて突然現れた子供は、隠しもせず品定めするような目で左門を見た。
「お前、誰だ?」
梅子と同じくりくりとした丸い目を眇め、形のいい眉が顰められる。全体的にこざっぱりとした品のいい出で立ちは、どう見ても山育ちでのものではない。
拙いながらも張りのある、どこか詰問し慣れた風の声は、警戒しているようで左門に近寄る気配はなかった。
「誰かと聞いている」
「え、っと……?」
ふたたび左門の耳が拾い上げる、不自然な木の葉ずれの音。
音のする方へ流した左門の視線が、小さく光った矢尻の影をとらえた。
「おい、聞いて――」
「伏せろ!」
とっさに動かない子供へ手を伸ばし、無理矢理頭を抱きこんで地に伏せる。寸でのところで頭上を鋭い風が通り過ぎて、鈍く響く音と共にばねのしなる音が鳴った。
いきなり巻き上げるような風が吹き、森を通り過ぎる。
風にまかれながらも首をまわして、左門はなんとか矢の飛んできた方を見た。しかしすでに人影はなく、草木の奥に目を凝らしても人の気配はうかがえない。風のせいでろくに音も聞こえなかった。
通りすがりの風を忌々しく思いながら、左門は起き上がると木の幹に刺さったままの矢を引き抜いた。おそらくそうだろうと思った通り、どこで手に入れたか分かるような印は何もなくて、軽い溜息をつく。
鋭く高い梅子の鳴き声に、左門は意識を自分の足元へ戻した。
「……なんだ、今……?」
梅子が少年に鼻を寄せ、うかがうように細く鳴く。その一方で、たったいま命を救われた子供は左門の手の中に矢を見つけると、呆けた顔でその視線を左門の顔に移した。
先ほどまでの警戒はなりを潜め、子供の丸い目は本来の大きさでまっすぐに左門を見上げている。
「……矢を射かけられたのか? どうして気がついた!?」
勢いこんで尋ねる子供の目は、気のせいでなければきらきらと輝いていて、思わず左門の頬が引き攣った。子供の相手をすることはこれまでにそれほど多くなかったけれど、それでも分かる視線の力はどうにも――なんというか、面倒な予感がする。
「いや……別にただ、そこが光って見えたから……」
ごまかそうかと笑って見せるが、そうすると子供はなおさら嬉しそうな顔になった。なんだかよく分らないが徒に期待をあおる結果になったらしいと、左門は心の内で天を仰ぐ。
「私は気付かなかった!」
「だって坊ちゃんからは背中だったで……」
「すごい! お前は戦の心得があるんだな!!」
聞いてください人の話を。
詰め寄る子供に仰け反りながら、左門は昼中から黄昏た。まるで慰めるように梅子が指を舐めてくれて、余計に肩の力が抜ける。慰めるということは、諦めなさいということなのか、梅子。
「なぁお前の、じゃないな。そなたの腕を見込んで頼みがある!!」
「はぁ……?」
「私に戦を教えてくれ、ください! 強くなりたいんだ!! ……です!!」
育ちはいいらしいのに敬語もままならない子供の、勢いだけはいい懇願に、左門は面倒くさいという思いを隠しもせず半眼で相手を見た。何にしてもこの子供の今の態度は、人に物を頼む態度ではない。
思いきり白けた左門の表情がようやく目に入ったのか、半分以上乗っかっていた子供はあわてて身を引くと居住まいを正し、地面に両手をつく。
唐突に改まった子供の態度に、左門は片眉をあげた。
「大変失礼を致しました。私は織田信長が家臣、森力丸と申します。かような突然の申し出、無礼は重々承知しておりますが、なにとぞお聞きとどけ下さい」
おや、と思いながら、左門は子供――力丸の顔を見る。左門は事前に仕入れていた情報を頭の中で手繰り寄せた。
森姓ということは、織田信長の重臣だった森可成の息子だろうか。勇猛果敢で知られる一族だが、可成は姉川で、さらに長男の可隆は天筒山で戦死しており、また次男の長可は現在信濃を治めている。
そして今、この織田の屋敷で信長に次ぐ権力を誇るのが森乱丸という小姓。乱丸は長可の弟のはずだ。
「坊ちゃんはもしかして、乱丸様の弟さんですか?」
「うん! ……じゃない、はい!!」
好機だ、と直感が承諾を後押しする。乱丸の弟の指南役という立場は、信長に近づくのに悪くはない。少なくとも下男よりはずっと信長に近く、またさらに近付くのもそう難しいことではなくなるだろう。
しかし、だがしかし。
「先生のお名前は何と仰るんですか?」
いや待てだからまず人の話を聞け最後まで。
先ほどの口上はそれなりに小姓らしく思えたのに、気を抜くとそうなるのか、力丸は正座のまま無理な体勢で左門に詰め寄ってきた。
「坊ちゃん。その、先生というのは……」
悪い話ではないし、頭ではそれを理解している。にもかかわらず躊躇ってしまうのは、上手い話に簡単に乗る底の浅い男と思われないため――というだけではなかった。
どうだろう、力丸のこの薄ら寒いほどの食いつきようは。
「じゃあ、師匠って呼んだらいい?」
「俺まだお受けするって言った覚えはないんですがね坊ちゃん!」
「じゃあダメなの!?」
爛々と輝く力丸の瞳に迫られ、ダメ押しとばかりに梅子が鳴く。
「……ダメ、ってことは無いです……」
根負けした体で左門がうなだれると、顔を覗きこんできた力丸の顔がぱっと明るくなった。
「先生、お名前は?」
力強くこちらを見つめる二つの眼。可愛らしい造作を挑むように引き締める様子が、不思議と凛々しく感じられて、左門の口からは知らず溜息がもれた。それは、力丸のあんまりな強引さに対する諦め――とは、実は少し別の思いがあり。
ともあれ。
「……桜と言います」
「え、変な名前」
「へん……」
この少々口がすぎる子供の、お守り役という立場を利用させてもらう。
そう決めると、左門は立ち上がった。
つられて慌てて立ち上がった力丸を見下ろし、着物についた土ぼこりを軽く払ってやる。それに嬉しそうに笑った力丸は、尾を振って足元にまとわりつく梅子を抱き上げた。
それを見ながら、左門は左門で刈った柴を適当にまとめる。
「……私の名前、ですけど」
「え? はい」
「“元服まで性別を入れ替えて育てると丈夫に育つ”って言うでしょう? 私は幼い頃に体が弱かったのでね、この名前はまじないですよ」
薪をかついだ左門が歩き出すと、それに続く格好で力丸も帰り道を歩き出した。
「へぇえ……女の名前で丈夫に育つなんて、私そんなの、初めて聞きました」
「そうですか。なら坊ちゃんは戦の前にまず、書物をたくさん読むことから始めないと」
「あ。あとね、先生。その“坊ちゃん”っていうのはやめてください。それに私は弟子なんですから、もっと雑に扱ってくださってかまわないです。力丸、って」
左門の顔を見上げて話していたせいで、力丸が木の根っこに蹴躓く。衝撃に力丸の腕から梅子が飛び降りて、ちょこちょこと駆け出した。
「……坊ちゃん」
「力丸です!」
「ぼ・っ・ちゃ・ん! ……その、先生というのなんですけどね」
梅子の小さな体が二人を待たずに駆けて行くのを目で追い、転びそうになった体を抱きとめながら、左門は言う。
作品名:死に損いの咲かせた花は 作家名:葵悠希