死に損いの咲かせた花は
一瞬の緩んだ空気は、そこで消える。
左門は軽く息吐くと、退却のために通路に向かって駆け出した。
走り出しても、信長を討って仇をとりたいと思う気持ちは、少しもおさまらなかった。むしろ背中の重みと体温が息苦しくて、いっそ泣き出してしまいたい衝動にかられる。
戦場の混乱を潜り抜け、脱出口へ向かう。強くなった火で髪の毛が焼け焦げたが、その頃の左門にはもう、そんなものに構う余裕はなくなっていた。
自分は一体何のために、これまで戦ってきたのだろう。恋人の死にどうして耐えてしまったのだろう――なんのために自分は、信長という男を守ってしまったのだろう。殺せばよかった、仇を討てばよかったのに。
左門の中で感情が暴れだして、上手く制御できない。
駆けずにいられない。駆けなければ、助けなければそれこそ左門のしたことには何の意味も無くなってしまうのだ。
そう思いながら、しかしわずかに見えた葛藤の答えから目を逸らして、左門は本能寺を抜けた。
しばらく駆けて、藪から山へ入る。もうじきに夜が明けるから、そうしたら山の中でも多少動きやすくなるはずだ。
山の中に入る。遠くでいまだ燃え盛る本能寺を確認し、紐を解いて左門は背負っていた地面に信長を放り出した。
信長は目を覚まさない。
「……私は、あなたを認めない」
口をついて出た言葉に、左門は大きく息を吸った。
「絶対に認めない」
気を失ったままの信長はかすかに青ざめていて、いつか見た寝姿を思い出す。あの時の信長は、一体何にうなされていたのだろう。
その記憶に、受け入れられないものを掘り起こされる予感がして、左門は横たわったままの信長から目を逸らした。
作品名:死に損いの咲かせた花は 作家名:葵悠希