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死に損いの咲かせた花は

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「相手は誰だ? 今この辺りにいるのは……」
 思い至り、左門の全身が粟立った。
 一番近いのは二条御所にいる長男の信忠、あるいは信長の弟である長利。だが信忠はすでに嫡男として扱われているし、長利は信長の兄弟とはいえ末弟だ。最初からそんな大それた野望など持ちはしないだろう。謀叛など起こす理由がない。
 そして次に近いのは、先日の宴の主賓だった徳川家康という武将だろう。しかし彼に天下を望む気持ちがあったとしても、“今”ことを起こすことに意味があるとは思えなかった。本気で天下を狙うなら、信長が全てを掌握してからそれを攫った方がずっと簡単だし、だからこそ家来以外の多くの武将も信長に従っている。
 ならば今、信長の近くにいて、且つ、どんなに小さなことでもいい、“今”謀叛を起こす理由がある人物。
「……明智光秀」
 ――そもそも信長は理不尽に光秀を叱ったのではない。信長は光秀の不手際に対し腹を立てたのだ。そして信長の仕打ちに対し、光秀は不自然なほど落ち着いていた。
 では仮に、光秀の不手際が、最初から信長との遣り取りを予定していたためのものだとしたら。
 そしてその失態を理由に光秀が信長を攻めたのだとすれば、この謀叛は――。
「先生、たしかに明智殿の謀叛ですが、どうして」
「行くぞ、力丸。お前の使った抜け道を教えてくれ。それと梅子は置いていけよ。みすみす死なせることもないからな」
 自由になった両手足を軽く振り、様子を確かめる。
 帰蝶の侍女は光秀の縁者だったはずだ。ならば彼女と共謀していた彌助も、光秀側の人間だろう。その二人が左門を追い出する理由があるとすれば、信長の身を守られてはまずいからだと考えるのが、一番単純で一番簡単だった。なにせ左門は力丸の守り役で、力丸は信長の小姓だ。
 力丸の顔を見下ろし、思いのほか真剣な表情にふと頬が緩む。
「……それにしても“梅子”なぁ……雄なんだから、もっとそれらしい名前を付けてやればよかったのに」
「母犬が“梅”っていう名前だったんです。それで、梅の子供だから、梅子って」
「梅の息子なんだから、梅太郎とかあっただろ?」
 左門に言われた通りに、力丸が梅子の首に縄をくくった。それを壊した戸の残骸に結びつけると、置いていかれることを察したのか、梅子が寂しげに鼻を鳴らす。
それに梅子の頭を名残惜しげに撫で、思いきったように力丸が立ち上がった。
 何も言わず、左門が走り出す。それに力丸が続く。
「力丸、寺の中の様子は?」
「私が抜け出した頃は、まだ敵は敷地の中に入っていませんでした。掛矢も持ち出してこれたし……あ。だからみんな、武器はちゃんと持ってます」
「どのくらい俺を探してた?」
「えっと……小半刻くらい、かな?」
「そんなにか……覚悟しとけ。下手すれば、もう全部終わってる」
 駆けるごとに地響きのような怒号が近づいてくる。焦げ臭い匂いが鼻につき、その圧迫感に胸がいやな音を立てた。
 もともと戦は嫌いだった。人の怒号も悲鳴も、その全てが忌々しく、恐ろしい。特に伊賀の里が攻められて以来、戦にまつわる話を聞くことすら左門には苦しかった。けれど。
 寺の前に着く。指が震える。色々なことを思い出しそうになって、左門はてのひらを強く握った。思い出すなと、自分にそう言い聞かせる。今は感傷に浸っている時ではない。いつもそう自制してきた、今回だってできるはずだ。
「先生……?」
 息を切らせた力丸が、心配そうに呼びかけてきた。
「……行くぞ」
 信長に死なれては困るのだ。受けた任務を遂行するために、ひいてはこの戦乱の世のためにも。
「力丸。お前の兄はどこにいる?」
「あの、それが……」
「お前は二人を、特に乱丸を信長のそばに置け。外で兵と戦ってるなら、首根っこ捕まえてでも奥に連れていくんだ」
 黙って頷いた力丸に、左門も頷き返す。
「……信長は死なせん」
 言葉の余韻が消える前に、二つの影が火の海へ飛び込んだ。



 煙にまかれて息が苦しい。左門と二手に分かれてからも、力丸は懸命に戦場を駆けていた。
 兄の名を呼ぶ。二人の兄。ずっと尊敬していた彼らなら、今もどこかで主君のために戦っているはずだ。
 叫ぶようにして兄を呼んでいても、自分の声すら聞こえない。そこら中で色々な声が響いているのは分かるのに、何一つ耳は音を拾わなかった。
 悔しかった。
 屋敷にあがった時から兄の手を煩わせ続けて、こんな時でも自分は役立たずでしかないのか。せっかく師が自分を信じて任せてくれたのに、二人を主君の元へ連れていくだけのことが、こんなにも難しいなんて。
 叫ぶ。聞こえない。自分の声なのに、どうして。
 刀を振り下ろされそうになって、力丸は夢中で掛矢を振り回した。相手の動きは左門よりずっと遅くて、兵士の攻撃は意外と簡単に避けられる。
「……る兄上……坊丸兄上! 乱丸兄上!!」
 それが何かのきっかけになったのか、音がだんだんと耳に戻ってきた。自分の声も聞こえる。どこだ。どこにいる。兄たちの気配はないかと、力丸は懸命に顔をめぐらせた。
 不意に聞き覚えのある叫び声を耳が拾って、力丸は進行方向を変える。迷いはなかった。
「坊丸兄上!!」
「力丸!? お前、今までどこに!」
「よかった、無事だったんですね!! それで、乱丸兄上はどこに!?」
 一度に二人掛かりで切りかかられた兄に、力丸も加勢する。打ち返し、顔を見合わせた。
「兄上なら隣の間だ!!」
「分かりました! 坊丸兄上は、大殿の所に!!」
 肩を軽くぶつけ、互いに頷く。それを合図にして、力丸は坊丸に背を向けた。
力丸の口元に笑みが浮かぶ。これで坊丸は信長の元へ行く、絶対に。あとは乱丸だ。
力丸が飛び込むように隣の間へ駆け込むと、意外にもそこは静かなものだった。
「あれ……?」
 呟きながら目を凝らすと、乱丸が正座をしてこちらに背を向けていることに気付く。純粋にそれを不思議に思い、切れていた息が整う頃になって力丸は慌てた。
「ちょっ、乱丸兄上!!」
 まさか早まったことをしたのでは、と青くなって相手の肩を引っ張ると、乱丸は抵抗もせずぼんやりとした目で力丸を見返した。
 怪我がないらしい様子をみて良かったと思うが、どうもあまり良さそうではない兄の空気に、思わず唾を飲み込む。
「……乱丸兄上?」
「待っていたのだと」
「え?」
 力丸に肩をつかまれたまま、乱丸は目を伏せた。
「大殿はこの謀叛を待ち受けていたのだそうだ。もう助からん。あのお方は……やると決めたら、絶対にそれを、成し遂げる……」
 信長が死ぬ、と、乱丸は言う。
「……え? それで?」
 乱丸が何を言いたいのか、力丸にはよく分からない。
「えっと……大殿に、死にたいから邪魔するなって言われてたんですか?」
 力丸の疑問に、乱丸が驚いたような表情になった。
「違うんだったら、乱丸兄上は大殿を助けないと。だって乱丸兄上は大殿の小姓でしょ?」
 不思議に思って乱丸の肩を引くと、乱丸は呆気にとられた顔になった。そんなにおかしなことを自分は言っただろうかと、力丸は混乱して眉根を寄せる。
そしてしばらくすると、乱丸がいきなり弾けたように笑い出した。
作品名:死に損いの咲かせた花は 作家名:葵悠希