地球が消滅するとき
第1章
「人獣共通感染症には、鳥インフルエンザ、SARS,エボラ出血熱、ペスト、黄熱、ウエストナイル熱、狂犬病、ニパなどたくさんあります。
ペストは14世紀に、ヨーロッパを中心に大流行しました。中央アジアからイタリアへ、毛皮に付いたノミの媒介によるものとみられています。
1918年から19年にかけてはインフルエンザが世界で大流行し、2000万人もの死者を出しました。鳥や豚を経由してウイルスが変異することは、よく知られているとおりです。
エイズ、いわゆる後天性免疫不全症候群の最初の感染例が報告されたのは、アフリカのウガンダで、1959年のことです。が、1900年ごろにはすでにあったようです。その後、アフリカ全土に広がりました。これは、レトロウイルスが発見され、サルから感染したものと見られています」
ここで井伊さくらは一息ついて、再び話し始めた。
「1996年2月、コンゴにてエボラ出血熱が確認されています。チンパンジーやゴリラからの感染によると考えられています。コンゴでは他に、蚊を媒体とする黄熱病、アフリカオニネズミなどのげっ歯動物がウイルスを保有するサル痘が、風土病として定着しています。
2000年夏、ニューヨークを中心にウエストナイル熱が発生、2003年にはコロラド州で流行しています。これには蚊やニワトリからウイルスが発見されています。
同じく2003年初頭、中国南東部でSARS・重症急性呼吸器症候群が、発生源はキクガシラコウモリとみられています。
鳥インフルエンザも2003年中国で発症、2006年にかけて欧州・アフリカへと広がりました。これは、家禽の輸出や渡り鳥によって拡大しました。
そして、日本では2015年ごろからウエストナイル熱の発症が確認され患者数が増えつつあります。死者も出ています。SARS・エボラ出血熱・黄熱病の感染も数例ですが確認されました。
興味深いのは、SARS、エボラ出血熱、ニパ、ヘンドラ、狂犬病などの自然宿主はオオコウモリであり、DNA分析からオオコウモリの出生地が、アフリカ合衆国のコンゴ州に収束されるということです」
「すみません、『ニパ』と『ヘンドラ』とはどんなんですか?」
榊原康男は考古学を専攻している学生である。
大阪都立大学では毎年3月に、学内の各研究所間の学術交流を目的として、研究発表会が行われていた。自由な意見交換がなされ、思いがけない発想が研究のヒントになることもある。
2023年のこの日は、疫学研究所研究員の井伊さくらが発表していた。
医学部長の本田道雄始め、微生物学、獣医学、理学、工学、はては文学部や経済学部の研究者・学生ら、ざっと200人もの人たちが、階段教室の席をうずめていた。
井伊さくらは、やっぱりね、と前髪をかきあげながら説明を始めた。
「ニパは1998年9月にマレーシアで豚と養豚業者が感染し、高熱・昏睡という脳炎の症状を呈して、両者多数が死亡しました。
ヘンドラは1994年、オーストラリア・ブリスベーン郊外の町ヘンドラを突然襲い、忽然と姿を消したのですが、多数の馬が死亡し、調教師も数名亡くなっています。高熱・呼吸困難・顔の腫れ・鼻や口から血の泡を出しました。人の場合、腎臓機能停止・自力呼吸不能となっています。
町の名にちなんで付けられたヘンドラウイルスが、牧場にあるイチジクの木に集まっているコウモリから見つけられています。ウイルスは、何千年にもわたってコウモリに受け継がれていたらしいことが分かりました。
馬は、イチジクの木の下の草を食べ、コウモリの排泄物も一緒に摂取したようです。コウモリは、近くの森が開発されたことにより移動してきたものとみられています」
井伊さくらは榊原を見て、にっこりほほ笑んだ。
「さて、自然宿主自体は無症状で体内にウイルスを保有しているため、見極めが難しいのです。
ところで、各感染症初期の発生地点がコンゴ近辺に集中しているらしい、あるいはコウモリの出生がコンゴと関わりがあるらしい、ということに興味を覚えるのです」
「人類科学研究所の山内です。
コンゴといえば、エチオピアから東アフリカ一帯にグレート・リフト・バレーと呼ばれる大地溝帯があって、その周辺では初期人類の化石が多数見つかっているところです。人類発生の地と考えられていますよ。
まさかとは思いますが、その頃からウイルスが存在し、彼らの間でも流行していたなんてことも考えられますね」
「それは分かりません。
コンゴは今でも秘境地帯が多いらしく、昔、伐採や金鉱を求めて人々が森を切り崩していたそうです。その時にウイルスが拡散したと考えられています」
「大木を揺すると、びっくりするほどの数の鳥や虫が飛び立つんですよ。そういうことでしょうね」
こう発言したのは、獣医学部講師の石田翔太である。
「あるいはウイルスを保有している動物を食べたり、排泄物に触れたのでしょうね。コウモリも多数生息していますし」
「中央アフリカには今もって、人跡未踏の地があるといわれています。飛行によって地質を確認するにしても、世界第二といわれる熱帯雨林地帯でしてね。樹林の上部しか見渡せないそうです」
「密猟や、無許可の鉱山師が入り込んでいると聞きました。金やダイヤモンド、レアメタルが豊富にあるのだと」
「ピグミーと呼ばれる種族が暮らしていますよね。彼らにそういった感染はないのですか?」
自由な意見が交わされている中、井伊さくらは今の言葉に、ギクッとした。
そうだ!ピグミーという人種がいるのだ。話には聞いていたけど・・・
「今、ピグミーの発言をされた方にお聞きしたいのですが」
「先ほどの山内です。なんですか」
「ピグミーって、大人でも背が低い人種ですよね。どこへ行けば会えるのでしょうか」
「会わはるつもりですか」
「分かりません。機会があれば感染症の調査をしてみたいとは思います」
「コンゴ州北東部にイトゥリの森というところがあって、ピグミー居住地域になってるんや。ピグミーという呼び名は蔑称なんで種族名でいわなあかんのやけど、天然資源の宝庫で、アフリカ合衆国になる前に隣国やったルワンダやウガンダがそいつを狙うてて、内戦がずっと続いてたんとちゃうかな」
井伊さくらは少し顔をしかめた。発表の場で大阪弁丸出しなんて!
「ご存知でしたらもう少し詳しくお願いします」
「ピグミーは過酷な環境で暮らしてるから、早く成長して早く子供を産むんで、12歳ぐらいで成長が止まるらしい。身長は大人で140センチぐらい。狩猟を中心としてる種族と農耕をしてるのんといるそうです。それ以上詳しくは知りません。」
「分かりました。後ほど調べてみます。ありがとうございました。」