春雨02
わかりにくい場所ではないけど、凄くわかりやすい位置にあるわけでもない。朝と夜でも景色が違っている。私の家にくる友達は大抵一度は迷ったことがある。先輩の記憶力に脱帽しながら車を降りた。
お礼を言って窓を閉めようとしたら、先輩に引き留められた。
「…お前の家って、リビング奥にあるの?」
「は?」
何を問われているのかわからずに間抜けな声を出してしまう。
「だって、家の電気付いてる様子ないから。もしかして家に誰もいないのか」
「…そんなこと言ったって、家にあげませんよ」
「誰もお前の家にあがりたいとは思ってないよ。一応心配してやったのに、そういう態度をとるわけだ」
いや、冗談でごまかそうとしただけなんだけど。やっぱりこの人相手にごまかそうとするのが無理だったのかな?
「今日は両親が外で夕食食べてくるって行ってたから、まだ帰ってないだけかと思います」
「それで、お前飯はどうするわけ?」
「コンビニかファミレスですまそうかな、と思ってますけど」
「今から? 一人で?」
やっぱりあきれた様な声を出される。だから言いたくなかったのに…。
「だったらそう言えばいいだろ。とにかく車に乗れ」
有無を言わさぬ口調で、私はしぶしぶ、今度は助手席に乗り込んだ。
「ったく、そうならそうと言えばいいだろ。それなら先にコンビニ寄るなりしてやったのに…」
尚もぶつぶつと呟いている。私は車に乗った事を後悔し始めていた。
「あのー、先輩?」
「何だ?」
「これからどこに行くんですか?」
ふと、いたずらっぽく笑うのが見えた。
「俺の家」
「…は?」
「嘘」
どっちなんですか、と言いそうになってふみ留まった。どうしてこう、この人は他人を、特に私をからかうのが好きなんだろう。
「今、一瞬期待しただろ? やらしいねー」
「期待なんかしてません。先輩があまりにも馬鹿らしいことを言うからあきれただけです」 力一杯否定したらやっぱり笑われた。
その後連れていかれたのは、洋食のレストランだった。最近流行のスパゲティやピザのお店だ。手作りのカントリー風の建物に木のテーブルとチェアー。ひらひらの制服を着た店員。いかにも若い女の子が好きそうな店だ。
意外と私の家から近かった。こんな所にあるなんて知らなかったから、もし今日食べておいしかったら今度友達と来ようと中を観察する。
「俺がこんな店来るの珍しいか?」
「先輩好みの感じじゃないですよね。彼女とか連れてくるんですか?」
「まあ、どっちかっていうと男とは来ないなあ」
向かい合わせに座って、お互いメニューを見ながら会話だけは進む。中にいるのは女性か家族連れかカップルだけで、確かに男性同士のお客はいなかった。一応私に気を使ってくれたらしい。
しかし料理の食べっぷりを見ていると、自分が食べたかったかのような気がしてならない。彼は自分で頼んだナポリタンをほとんど無言で食べ終えると、私がまだ食べていたカルボナーラを物欲しそうな顔で見つめ、視線に耐えきれなくなった私から半分くらい取り上げた。
「彼女と来てもこうやって取り上げるんですか?」
「ん、彼女ならしないよ。お前ならいいだろ」
その言葉の意味がよくわからない。
「私は格下の扱いってことですか?」
素で質問したのだけど、先輩はちょっと困った様な顔をした。
「おまえさ、そんなに自分を卑下するなよ。確かに今のは俺の言い方も悪かったけどさ。別に格上とか格下じゃない。俺はお前の事見下した事なんかないよ」
「…でも」
何とか反論したい。だっていつも子どもだといってからかうのは先輩の方だから。でもここでそれを言うのは反則の様な気がした。あれはあくまで冗談なのだから。冗談と本音との違いなら分かる。今は本音の話だ。ここで冗談を引き合いに出しても意味がない。
「おまえさあ、自分が霧杢より格下だと思ってるのか?」
先輩の言葉に少し驚いた。そこでいきなり知里ちゃんが出てくるとは思っていなかった。
「格下、なのかは分からないけど。私じゃダメで彼女なら良かったってことなら、私はきっと負けたんだろうな、と思います」
「別に勝ち負けの問題じゃないだろ?」
「そんなこと私だって知ってます。でも、私じゃなきゃだめだって。そう思って欲しかったんです。でも彼にとってはきっと、私よりは知里ちゃんの方が格上なんだと思いますよ」
確かに恋愛は勝ち負けだけじゃない。誰かにとっては一番なのに、他の誰かにとってはそうじゃない。それが当たり前。でも私はみんなの一番になりたかったわけじゃない。たった一人、「片桐元」という人間の一番になりたかっただけ。
「でも必ずしもそのお互いの一番が一致するとは限らないんですよね。どうしてあの人の一番は私じゃなかったのかな」
なまじ一度はその一番になりかけたのに。最初から問題外だったら、まだあきらめもつくのかも知れない。でも一度は受け入れられて、その上で拒絶されてしまったのだ。
何も知らずに否定されたのならいい。でも本当の私を知った上で断られたのなら、それは本当に私自身を否定されたのだと感じた。自分の全てが否定された様な気がした。
「そうだな、最初からお互いが一番の相手に会えればいいのにな」
珍しく、しんみりとした口調で先輩が呟いた。私はつい、聞いてしまっていた。
「先輩も、失恋したことあるんですか?」
「この年で失恋したことないやつの方が少ないだろ?」
帰ってきたのはしれっとした返事だった。まあ、確かにそうだろうけど。
「そうじゃなくて。…先輩にもどうしても辛くて忘れられない人がいるんじゃないですか?」
先輩はちょっとびっくりしたような顔で私の顔をまじまじと見つめた。しかしすぐにふっと笑った。
「おまえさあ、どうしてそんなくさい台詞平気で言えるわけ?」
「なっ、からかわないで下さいよっ!」
「だって『どうしても辛くて忘れられない人』って、映画かなんかの台詞みたいじゃん」
そしてあろうことか、その場で笑いだしたのだ。いつかの保健室の場面を思い出した。なんだか、面白くない。
「人が真面目に聞いてるんですよ。どうしていつも笑うんですか」
「笑う様な事なんだよ」
「私が真面目に話してるのがそんなに笑える事なんですか?」
「違うよ、だからさ。お前がそうやって死ぬ程悩んで真面目に考えてることだってさ。他人から見ればきっと笑えるような事なんだよ」
ふっと真面目に話し出した先輩に、私は怒る気持ちを忘れて、話を聞き始めてしまう。なぜか、胸のどこかにそれが引っかかったのだ。
「他人にとっては私の悩みなんてたいしたことじゃないってことですか?」
「それもあるけどさ。それよりも、お前にとって一番だって悩んでるモノって、本当に一番なのか?」
「…一番じゃないんですか?」
「一番じゃないかもしれないだろ。今は一番だと思ってても、いつか一番じゃなくなるかもしれない。そもそも一番とか2番とか気にならなくなるかもしれない」
あまりに抽象的すぎて、頭が着いてこなくなってきた。つまり、私の一番は他人や未来の私の一番ではないかもしれないってこと?