春雨02
片づけを終えると、もう陽が傾き始めていた。一足先に片づけを終えて、川で遊んでいたメンバーも徐々に車に乗り込み始めた。
「みんな片づけ終わった? 忘れ物ない?」
サブリーダーのめぐみ先輩がみんなに声をかけている。こういう所はリーダーの鷹凪先輩よりも気が利く。女性だからというのもあるのだろうけど、それがなくても彼女は気が利く人だった。誰かが困っていれば必ず手を貸す。女の子の中にはその出来すぎた性格に疑問を持っている人もいたけど、私は素直にすごい人だなあと思っていた。
「克哉、みんな片づけ終わったみたい」
めぐみ先輩は荷物を車まで運んでから戻ってきた鷹凪先輩に言った。克哉とは鷹凪先輩のことだ。お互いに名前で呼ぶところから彼らの仲の親密さが窺える。
そういえばあの2人、付き合っているんじゃないかって噂があったな。鷹凪先輩は彼女いないっていっていたから付き合ってはいないんだろうけど、もしかしたらお互い憎からず思っているのかもしれない。
彼らは何事か2人で相談していたけど、きりがついたのか、鷹凪先輩がみんなに集合をかけた。
みんな早く帰りたかったのか、あっという間に集まってくる。
「今日はお疲れさま。予定より遅くなったから、家が近い奴同士で乗り合わせて、学校に寄らずに帰っていいよ。で、来週は…」
そのまま来週の予定だけ確認して、今日はお開きになった。
みんなそれぞれに帰途につく。
私は香と聖の姿を探した。2人とも車ではないけど、今朝は彼女達と来たから、彼らが乗っていく車に一緒に乗せてもらうつもりだった。
「香ー、誰の車に乗って帰る?」
「あ、美智ごめん、私一度学校に寄ってから帰るけどいい?」
学校からなら、一人でも電車で帰れる。私が一緒に学校まで行くといいかけたとき、後ろから、というよりは真上から声がした。
「お前はこっち、家まで送ってやるよ」
首の後ろ側を掴まれたので、首だけ回して上を見ると、鷹凪先輩だった。
「え? いいですよ。遠回りになっちゃいますよ。私、一度学校に行ってから帰りますから」
「今朝言いそびれたけど、俺の家に帰る時にちょうど通り道なんだよ。お前の家が」
彼に地名を聞くと、確かに結構近い。それで今朝うちの近くの迂回路を知っていたのだろう。
「それに秋田が乗っていく車はもう乗れないだろ?」
「え? そうなの?」
香が運転手の同級生に聞くと、彼はもうしわけなさそうに苦笑いを浮かべた。
「ああ、わりぃ、いいそびれてた」
「えー? じゃあ、仕方ないかあ。鷹凪先輩、美智の事をいじめないで下さいね」
「俺がいつ、こいつのこといじめたって? …お前がそういう顔するから誤解されるんだろ」
台詞の後半は白い目で見上げた私に対するものだった。言葉と同時にに首を掴んでいる力が強くなる。
「ぐっ、…くるしいっですっ」
「ほら、行くぞ」
「じゃあねー、美智。また明日!」
元気な香の言葉に私は手だけで応えた。喉が絞められて声が上手く出なかったのだ。
半ば後ろ向きに引きずられる様な格好で彼の車まで連れていかれた。
「きゃあっ、克哉! なんてことしてるの?!」
そこにはめぐみ先輩の姿があった。彼女は私の姿を見て悲鳴の様な声を上げる。そしてやっと開放された私の首を気遣ってくれた。
「ごほっげほっ…せんぱい、なんて事するんですか…」
「いいから2人とも早く乗れ、帰るぞ」
「…え?」
めぐみ先輩の戸惑ったような声がした。あれ? ってことはこの3人で帰るってこと?「あのっ私やっぱり、誰か別の人に乗せてもらいます」
何故かここにいてはいけないような気がして、辺りを見回す。
しかし私の期待はむなしく、ほとんどの車は出発してしまっていた。
まだ動いていない車は一台だけあったけれど…
「…」
私の視線を追って、2人とも気遣うような視線になるのがわかった。
「美智ちゃん、気にしなくていいから、一緒に帰ろう?」
めぐみ先輩が、私を後部座席に乗せてくれた。
私はおとなしく従う事にした。私の視線の先には、一組のカップルの姿があった。
めぐみ先輩は助手席に、鷹凪先輩は運転席に乗り込むと、車を発進させた。何も言わないけど、2人とも私のことを知っている。なんか、この調子だと、メンバーみんな知ってるのかなあ。気を使わせちゃって申し訳ない。ってゆうか、私ちょっと格好悪いなあ。
頭の中で必死に別の事を考えようとした。ここで泣き出したくはなかった。
ちょうどこちらが彼らの車に近づいていく形になった。見覚えのある、私も何度か乗った事がある黒のスポーツカーが近づいてくる。運転席には、彼が座っていた。そして助手席には彼女。後ろに人はいないらしい。彼が手に持っていた缶をホルダーに置くのが見える。車のダッシュボードには可愛らしいぬいぐるみが並んでいた。私が乗っていた時にはなかったもの。それが私と離れてからの彼らの幸せな時間を物語っているようで辛かった。
私も彼にたくさんもらった。別れた後にけじめをつけるため、ほとんどは捨てたけど、1つだけ、一番最初にもらったウサギのぬいぐるみだけは、捨てられなかった。
その時私は少し気を緩めていた。先輩の車は後ろの窓がスモークガラスになっていて、外からだと中の様子は見えにくくなている。だから辺りが暗くなったこの時間なら、私の顔は分からないだろうと、そう思っていた。いつもは目の前を通っても直視できないから、今だったら遠慮なく見てやろうと、そう思っていた。
しかし車が彼らの正面を横切った時、助手席の彼女と目があったような気がした。見えてはいない、そう思ったけど。彼女はこちらを見てはっとしたような顔をして、次の瞬間、ひどく傷ついたような顔をしていた。
全部私の気のせいだったのかもしれないけど、その一瞬の表情の変化が、私の心に染みついて離れなかった。
車の中は、しばし無言だった。
それが私のせいだということは明らかで、私は何とか話題を探そうとしていたのだけど、こんな精神状態では、それも無理で、結局は黙っていることしかできなかった。
そのうち昼間の疲れがあったのだろうか、いつからかうつらうつらとして、気が付けば、寝てしまっていた。
寝ていたのが一瞬だったのか、長い間だったのか…。ふと気付くと、周囲の景色は山の中から、街のそれに変わっていた。
目を開いたり閉じたり、そんな状態の時に、前の2人が喋っているのが分かった。
私が寝ている間にも、彼らの話し声が聞こえていた。といっても、私は完全に寝ていて、話の内容までは耳に届いていなかったのだけど。ぼそぼそという音が聞こえていた感じだった。
「…でしょ。でもあの時は笑っちゃった。あの時に土岐くんの顔見た?」
「ああ、あれは笑えたなー。あいつ今何やってんの?」
「さあ、たまに駅で会うんだけど、フリーターやってるみたいよ」
どうやら共通の友人の話をしているらしかった。
一瞬話がとぎれたところで、めぐみ先輩がこちらをみている気配がした。
私は思わず目をしっかりと閉じて寝たふりをしてしまう。
「…美智ちゃん、すっかり寝ちゃったみたいね」
「その台詞何度目だよ」