春雨02
先輩は顔色1つ変えず即座に否定した。もちろん、何もないんだけど。あれ以来、変わった事と言えば、お互いに目を合わせて挨拶するようになったくらいだ。
「先輩が興味なさすぎるんですよ。てゆーか俺は先輩のそういう噂聞いた事ないんですけど。彼女とかいないんですか?」
「いない!」
いつかと同じ様に誇らしげに言う先輩を見て、なぜか笑ってしまった。
「ふ~ん。でもそれならなおさら、美智って凄いねえ。声だけで先輩だって分かったんだ」「あー、そうだねぇ」
香が尊敬する様な声を上げる。全くの偶然だったんだけど。なんか複雑な気分だ。
「もしかしてこういうの得意? ちょっと聞いただけで誰の声か分かるとか?」
「あ、それじゃあ今度美智の携帯に非通知で誰かから電話かけさせて、誰の声か当ててもらうっていうのは?」
「あ、それいい考えだね」
香と聖の楽しそうな声が聞こえる。こういうイタズラを考える時は意気投合するんだから…
「やめてください、そんなことしたら、私非通知設定の電話とれなくなるし…」
悲痛な声がそんなにおかしかったのか、私の声を聴いて3人は一斉に笑い出したのだった。
壮大な景色の中で、お肉の焼けるいい匂いがしている。
私たちは、今日は『河原でバーベキューをしながら希望者はカヌーをしよう』という計画で集まっていた。毎回メンバーが持ち回りでこういう計画を立てるのだけど、今日は肝心のカヌーが手配できなかったらしくて、結局はバーベキューだけになっていた。
それでも最近はテーマパークとかスポーツが続いていたから、私ははバーベキューだけでも十分楽しめた。幸い天気は快晴。年頃の女の子としては日焼けが気になるところだけど、空にぽっかりと浮かぶ雲は綺麗だし、川のせせらぎは涼しげで気持ちいい。
今日は全部で40人弱いたので、5つのグループに分かれている。私たちのグループは一番端で、男女3人ずつ、計6人で同じ焼き網を囲んでいた。
「美智ー!ぼーっとしてないでこっちもひっくり返してよー」
友達の慌てた声が聞こえてきた。私は慌てて目の前の肉をひっくり返し始める。
目を離していたのはほんの少しのはずなのに、お肉はほとんどいい色になっていた。
中には真っ黒になってしまったものもある。
「あ~あ、黒くなっちゃった」
「食べれればいーんだよ」
焼いたそばから箸が伸びてきてお肉は男性陣の胃の中に収まってしまう。さっきからもっぱら女性が焼き、男性が食べるという構図が出来上がっていた。
私はどちらかと言えば小食なほうだから、彼らの底なしの胃にはあきれてしまう。
「よく食べるねぇ…」
追加のお肉を出しながら呟くと、
「こういう時じゃないとまともな食事食えないからな」
口にものを入れながら器用に返事が返ってきた。当の彼は一人暮らしで、普段の食事はほとんどコンビニ弁当だと言っているのを聞いた事があった。
普段どんなもの食べてるんだろうか?
こういう話を聞くと、私は実家暮らしでよかったと思う。家に帰ればご飯が出来ているのだから。もれなくうるさい小言も付いてくるけれど。
「美智、全然食べてないでしょ? 私が代わるから食べなよ」
ふと見ると、香がお皿と箸を持って横に立っていた。
「あ、ありがとー」
私は手に持っていたトングを彼女に渡し、代わりに自分の皿と箸を手に取る。
ずっと焼く方に専念していたから、ここでやっと一息ついた。
私は幾つか金網から肉と野菜を見繕うと、近くにあった岩に腰掛けた。
金網から離れたことで、みんなの姿が少し遠くなり、全体の様子が良く見える様になった。
一番端にいたので、ちょうど全部のグループが見える。まだどこも食事の真っ最中のようで、私みたいにのんびり辺りを見回している人はいない。中には熾烈な食材争いを繰り広げているグループもあった。
私は一通り周囲を見回し…
「…はあ」
即座に後悔した。これなら食べれなくてもずっと肉を焼いていた方が良かった。
見つけてしまったのだ、あの2人を。よりによって目の前に。
たくさんの人がいるはずなのに、私の目はすぐに彼らを見つけてしまう。
片桐元と霧埜知里。片桐先輩は私の1つ上で、知里ちゃんは私と同じ年で、彼らは数ヶ月前から付き合っている。
彼らは2人でベンチの隣に寄り添う様に腰掛けて、一緒に食べていた。
それは誰の目から見ても仲のいいカップルに見えて。時折お互いに目を合わせて笑いあっている。周りの人とも話してはいるけど、完全に2人の世界を作っていた。
何よりも私を打ちのめすその事実。一番辛いのは数ヶ月前までは私が彼女の代わりにその位置にいたことだ。でも今は、私はここで一人皿を抱えていて、彼らは2人で笑っている。
何が違うのだろうか。どこが違ったのだろうか。
どうして、私ではだめだったのだろう?
本当は彼に聞きたい、いまだって私の中にはたくさんの「どうして」が渦巻いている。でも彼は私と別れたあの日から、私と決してまともに話をしようとはしなかった。電話も、メールもこない。私が思いきって一度電話をした時には、見事に無視してくれた。それ以来私からは怖くて連絡が出来ないでいる。
わかっている。私ではもうダメなのだと。彼にはあの子でなきゃだめなのだろう。
それでも、連絡が来るんじゃないかと期待している私がいて。
今朝の電話だって、一瞬「もしかしたら…」と思ってしまった。
連絡なんて、来るはずないのに。
未だに彼が話しかけてくれるんじゃないかと思っている。でも彼は決して私の方を見ようとしない。あの怪我の時だって、心配そうにはしていたけど、ただ黙って見ているだけだった。
このメンバーがたくさんいて良かったと思う。もし人数が少なくて、みんなと一緒にいる時に嫌でも話をしなければならなかったら、辛くてどうしようもなかったと思う。彼らの様子を、実際仲良く離している所を間近で見せられたら、私は狂っていたかもしれない。「…美智?」
いつの間にか箸が止まって、俯いていた私に香が声をかけてくれた。
彼女の心配そうな様子を見ると、私はよっぽど酷い顔をしていたのかもしれない。
「大丈夫?」
「うん、ありがとう」
無理に笑顔を作ったけど、笑えていたかはわからない。
「あんまり食欲ないみたい」
「じゃあ、焼くの代わってくれる? 私もうちょっと食べたいなあ」
そう言って笑う彼女は、いつも私を助けてくれる。ありがたい。
その時私たちのグループから声がかかる。
「こらー!そこ、さぼってないで焼くの手伝えー」
その彼女も私のことを知っていた。きっと気にしてくれていたのだろう。私たちが2人で行くと、私の頭をはたいた。
「いたいー」
「さぼってたバツ!」
言葉はきつくても、私のことを気にかけてくれているのは分かって、嬉しかった。
その時、ふと彼らの姿が視界の端にうつった。
彼らは代わらず2人の世界に浸っていた様だけど、彼女がこちらを見たような気がした。 でも私は目の前の攻防に夢中で、というよりは彼らを直視するのが嫌で、見ない様にしていたから、その時彼女が一瞬辛そうな顔をしたことには気が付かなかった。