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その腕に焦がれて

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 常に人が出入りしている店にも「穴」という時間がある。ディナーの時間が終わり閉店までの時間がそうなのだろう。さっき女性客二人が出て行ってから、店内には橘と捺しかいなかった。
なので、ちょっとした瞬間に気が緩んでしまいがちになる。
 あと三十分もすればクローズの時間なので、それまでにテーブルの上にある備品チェックでもしようかと思った時、ドアが開くベルの音がして、捺は接客用スマイルを浮かべた。
「いらっしゃいま…」
「いつものコーヒー一つ」
「…かしこまりました」
 昨日の今日なので、心の準備が出来ていない。
 それでも仁科は客としてここに来ているのだ。店員としてはちゃんと仕事をしなくては。
 橘が慣れた手つきで淹れたコーヒーを、捺が仁科のテーブルに置くと、「耳かして」と手招きされた。
「あの後、メールで高野君にばらしたぞ、お前の計画」
 どうして今になってと……どうにか問いかけようとすれば。
「捺には悪いと思うけど、俺も本気だから。ストーカーとしてじゃなく、ちゃんと認識してもらわないとな。…彼にも」
 仁科は運ばれたコーヒーに口をつけ、にこりと笑む。
「捺、今日はもうあがっていいぞ。それから、仁科もギリギリに来て俺の仕事増やすなよな」
「カフェに客が来て何が悪いんだよ」
「まあ、それもそうなんだけどな。とにかく、あんまり捺をいじめるなよ」
「いじめてるんじゃなくて、可愛がってるんだ。まったく、口うるさいのは学生の時から変わらないんだから」
 助け船を出してくれた橘に感謝し、捺は足早にスタッフルームに向う。
(……どうしよう)
 仁科が本当にばらしたのなら、捺が利久の事を好きだというのを伝えたのも同然だ。今までの嘘や、協力すると言っていた自分を相手はどう思うだろうか。
 着替えながら、利久と会ったらどうしようとか、そんな事をつらつら考えていたけれど、今は会うのが怖くてしょうがなかった。恋人役だと条件を出した自分に何度も後悔してしまう。
 ノックの音がして、橘がスタッフルームのドアを開ける。
「大丈夫か。顔色悪いけど、仁科が何かしたのなら俺に相談しろよ。あいつ、コーヒー飲むだけ飲んですぐに帰ったけど、何かあったのか?」
「別になんでもない。それより、店閉めたんだ。手伝えなくてごめんね」
 これ以上橘に心配掛けさせないよう、捺は明るめの声を出す。
「いや、それは構わないけど……。今、仁科と入れ違いに高野君がお前に用事があるって来てるけど……どうする?」
 聡い橘の事だ。内容を知らなくても、三人の間で何かあったのかだけは雰囲気で察したのだろう。
「利久が……」
 今日は、立て続けに心が揺さ振られる。
 逃げたかったけれど、それじゃ何も解決にならない。
 捺は震える手をぎゅっと握りしめると、会うから待って貰っていてと橘に伝えた。





 店内で話す内容じゃないからと、無言のまま腕を引かれる。沈黙が重いと感じ、何か話しかけようとしても利久の不満そうな表情見ると口が自然と閉じてしまう。
 電車に乗っている間も二人で流れる景色を車窓からただ眺めるだけで、会話は一切ない。それでも繋がれた腕だけは離れなくて、それだけで胸が疼いて痛くなる。
(騙す結果になったんだから…怒るのは当たり前だよね)
 この沿線なら利久のマンションがある駅になる。いったい何を話すのか怖くて、友情で満足していればよかったと後悔した。悔やんでもいいと思ったけれど、やっぱり離れるのは身を切る痛さを伴うのだと痛感して、滲みそうになる視界を慌てて手の甲で擦る。
「降りるで」
 はっと気づけば、やはり利久のマンションがある最寄り駅で。
 これから自分たちの関係はどうなるんだろうかと心が竦む。
「ほら、さっさとせんとドア閉まるやろ」
 苦笑。ようやく声が聞けた安堵感が胸に広がっていく。それだけで緊張していたのが少しだけ和らいだ気がした。
「あ、うん……」
 慌ててついていき、そのままマンションまではまた無言になる。
 エントランスを過ぎ、エレベーターに乗り、ようやく付いた部屋に入って玄関の明かりをつけるなり、利久の腕が捺を引き寄せていく。行動の意味と小さく落とされる「ごめんな」という謝罪に、いったい何が起こったのか捺の思考回路が一瞬止まってしまう。
「…利久……?」
「なあ、小学校の時の話してもええ?」
 唐突に飛躍する会話に戸惑いつつも、こくりと捺は頷いた。
「別にいいけど……」
「俺が転校してきて、クラスの皆から注目されとった時…確か、外国人なんてやつはいない。俺、その会話から捺との関係が始まった気がすんねん」
 利久の腕にぎゅっと力が込められる。どんな表情をしているのだろうか、見たくても力強い抱擁で身動きがとれなかった。観念して肩口に顔をうずめ、耳に届く声に意識を傾けていく。
「言葉が通じて、話せるだろって。髪の色も目の色も、違うってだけで騒ぐなんてバカだって、あの時お前言いきっとったしな」
 小学生にしては、やけに落ち着いている、その言葉が印象的だったと続けられた。
 まだ好奇心旺盛な年頃で、しかも転校生に興味があって当たり前。そしてその相手がハーフだとしたら注目されるのは当然で、利久自身も内心少しだけ身構えていたらしい。それが、捺の一言で騒がしかったのが収まったのだから、たいしたものだと微苦笑されてしまう。
 くく…と体を通して振動してくるものに、あの日初めて出会った日を思い出していく。
 最初に目に留まったのは印象的なグレイの瞳。純日本人の捺にとっては、ちょっとした衝撃だった。けれど、緊張している中でも相手の余裕さが僅かに伺えて興味が出たのだ。
 友人になりたいと、すぐに声をかけようとしたが、興味を持ったクラスメートに先を越されて面白くなかった。そして、興味や好奇心というよりも、それ以上に奇異な眼差しを向けているのが分かって、無性に腹が立ったのだ。
「…当たり前だろ。そんな事で騒ぐなんて……」
「馬鹿じゃないの、やろ」
 捺のセリフを利久が引き継ぐ。
「それって、もう口癖になってるみたいやけど、そうやって言う時はいつも俺を心配してくれてる時やねんな」
「……」
「…五十嵐さんに言われてん。本当は誰が好きなんか、ちゃんと気づいた方がいいって。きちんと会ったんて、これで二回目やのに、あの人は的確に俺の心の痛い場所を衝いてきて、ちょお面食らったわ」
 ぴくりと肩が跳ねる。動揺しているのを悟られたくないのに、一度牙城が崩れてしまった心は体裁を保つことが出来なくて、ダイレクトに精神と体を結びつけさせてしまう。
(利久が好きな相手……)
 期待してもいいのだろうか。このぬくもりを享受しても構わないのだろうか。
「今日な五十嵐さんと別れた後、仁科さんと付き合うって捺が認め時にどうしてムカついたんやろとか、ショック受けたんやろうかって改めて考えたんや。捺はどんな事があっても、ずっと俺の隣に居てくれるもんやって、勝手に思い込んで……。そんで、辛い時には慰めてくれるんやろうなって、いっつも甘えて。……ほんま、阿保やろ、俺」
「……」
 それは捺だって同じだった。
作品名:その腕に焦がれて 作家名:サエコ