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その腕に焦がれて

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 手渡されたのは、最近人気があるケーキショップのものだった。
「今は『仁科』じゃなくて、『治兄』として、部屋にあがらせてもらうからな」
 にっと笑い、お邪魔しますと部屋に入っていく。部屋の惨状を見て仕事中だったのかと聞かれ、ついこないだまでねと答えた。従兄弟とはいえ兄弟みたいな接し方をしているせいか、仁科の前では気楽でいられる。だから、ついついほっとしてしまい、迷惑をかけている事を改めて謝った。
「気を使わせてばっかりでごめんね。シュウにも、治兄にも沢山迷惑かけちゃって。……あ、一緒に食べるよねこれ。今、紅茶でも……」
 テーブルに箱を置き、キッチンへ向かおうとすれば、強く腕を引かれてぎゅっと抱きすくめられた。
 抱擁の優しさ。腕の暖かさに……どうしてだか泣きたくなった。涙腺が刺激され、目頭が熱くなってしまう。
「全部、橘から聞いた。……我慢しなくていいから」
 堪え切れなくなった涙が頬を伝い落ち、唇が微かに震えた。
 利久の想いの矛先が五十嵐に向かっている以上、捺に希望はない。友人という位置で我慢出来たらどんなに良かっただろう。ずっと保ってきた均衡を崩したのは自分自身で、一度崩れたものを元に戻すのは、もう不可能だった。
 好きという感情を吐き出したい衝動に駆られる。けれど、それは絶対にしてはいけない。
(でないと、利久に会えなくなる……っ)
 消したい感情。殺してしまいたい想い。
「何してんねん……」
「とし…ひさ……?」
 低い声にはっと意識が現実に引き戻される。
 ついさっき電話をしていたのを、すっかり失念していた。玄関が開く音にすら気付かなかった己の散漫さを、内心で叱咤する。
 気まずい雰囲気が流れる中、仁科の腕がぎゅっと捺を抱きしめる腕に力を込める。
「悪いけど、佐倉井君は俺と付き合う事にしたから」
 ぎくりと体が強張ったけれど、今、口を開けば泣いていたことが利久にばれてしまう。
(尚兄、なんで……)
「……冗談言うなや。捺はあんたに付きまとわれて困っとってんぞ」
「でも、現に今は違う。こうやって腕の中にいてくれる。そうだよね、佐倉井君」
 いっそ楽になった方がいいのだろうかと一瞬で考え、捺は思わずこくりと頷いて、利久に仁科の告白を受け入れたと誤解させた。……いや、その方がこの胸の痛みから解放されるかもしれないと、現実から逃げたのかもしれない。
 その後に生まれた沈黙が短いのか長いのか。
 しばらく続いた静寂を破ったのは利久の低い声だった。
「別に……捺がええんやったら、それでかまへん。…とりあえず、資料取りに入らせてもらうし」
 自分たちの脇を利久が素通りする。
机にあったものを鞄にしまい、また玄関に戻ってきたが、何も声をかけられなかった。無言のまま出て行った利久を目で追ってしまいそうになり、捺はぎゅっと目蓋を閉じる。
「……これで良かったのか?」
「別にいい……」
「ますます拗れさせたけど、それでもいいんだな、お前は」
 まあ、けし掛けたのは俺だけどなと、仁科が苦笑しながらくしゃりと捺の頭を撫でた。
 仁科としっかりと抱き合っていたのを見られてしまった。
 誤解したまま呆れられて。そして、いっそ振り回すだけ振り回した自分の事を見放してくれたら……どんなにいいだろうか。五十嵐に見せていた笑顔を思い出す度に、苦しい想いをするのはもう疲れてしまった。
 どうして利久の好きな相手が女性じゃなかったんだろうか。それなら、ノーマルだというので諦められる。いや……諦めようと、ずっとずっと努力出来たのに。
 今まで友人としていられたのは、異性しか対象じゃないと思っていたからだ。なのに、五十嵐は同性。だったら自分にも可能性があるかもしれないと錯覚して、あの遊園地の件でますます意識するようになった。
「本当にいいんだな」
「……」
「だったら、俺がこのまま捺にキスしても構わない……?」
「……え?」
 今、なんて……?
 仁科のセリフにぴくりと肩が揺れる。慌てて体を離そうとしても、腰にまわされた手ががっちりと捺を拘束して動けなかった。
「一度も考えなかったんだろうな、捺は。どうして俺がストーカー役を承諾したのか、毎週ミスルトに通っていたのか。高野君に仕事がある様に、俺にだって仕事はある。その間にある貴重な休みを使ってまで協力したのは、……お前が好きだからだ」
 ずっと前からだったんだけどなと続けられて、ただ動揺するしか出来ない。
「治兄…」
「だから、この機会は利用させて貰うからな」
 首筋に唇がそっと落とされる。肌に冷たい唇の感触がして、身をふるりと震わせた。
 抵抗したくても、体に力が入らなくて出来ない。
 自分の鈍感さから、二人を傷つけてしまったという罪悪感。そして、従兄弟だと思っていた相手からの告白に思考が思うように動いてくれなくて……再び視界がぼやけてしまう。
(何やってんだよ……僕は)
 利久の純粋な気持ちを利用して、仁科の好意にただ甘えて。
「……ッ」
 涙が後から後からぽろぽろと溢れてきてしまう。
「泣くほど嫌なのか? それとも、彼の事まだ諦められない……?」
 もうどうでもいいと投げやりになっていたくせに、図星を言われてますます涙腺が壊れていく。ひくりと嗚咽が漏れて止められないでいると、さっきまできつく抱きしめられていた腕が、今度は柔らかく捺を包み込んだ。宥める様にぽんぽんと背中を軽くたたきながら、仁科が髪に唇をそっと寄せる。
 さっきとは違う、優しい雰囲気にただ慰められる。
「俺の方に気持ちを向けさせてみせるって、強気でいけたらいいんだけどな」
「…ごめ……、治兄……」
 自分の心なのに、全然コントロールが出来ない。
「とりあえず、落ち着くまではいるから、……泣くだけ泣いていいぞ」
 利久も、仁科も。どちらも、結局傷つけてしまっている。困っているからと手を差し伸べてくれた友人の好意を無駄にして、告白してくれた仁科の気持ちを拒絶して。
 どうにか呼吸が落ち着いた頃、とにかく顔洗ってこいという仁科の言うとおり洗面所に向う。
「そのまま風呂入って、今日はもう寝た方がいいな。…それと、悪かった」
「……謝るのは僕の方だ。治兄…ごめんね」
「まだ返事は聞かない事にするから、よく考えてくれよ。でないと、俺が可哀想だからな」
 明るく返されて、少しだけ気持ちが浮上する。仁科の優しさに感謝しながらも、未だに心は揺れ動いたままだった。これからの利久との関係や仁科との関係を真剣に考えないと。
 それが捺に出来る精一杯の償いだった。





 次の日の日曜日。捺はミスルトで仕事を始めていた。
 橘には、もう一日休んでもよかったんだけどと言われたが、何かに集中している方が気が紛れるからと、積極的に仕事に専念する。いつも通りに過ごす方が気分的にも落ち着く気がするから。
 けれど視線がどうしても、いつも利久が座っている席に向かってしまう。それはここ一か月ちょっとでついた癖だった。
(…今日は来ないのに)
 きっと今日は、五十嵐と美術鑑賞を楽しんだに違いない。
「と、集中しなくちゃ」
作品名:その腕に焦がれて 作家名:サエコ