その腕に焦がれて
物というより、出来れば時間と場所が欲しいと急に思い浮かぶ。けれど、それを口にしてもいいのか迷っていると、もう一度利久が訪ねてきた。それに背中を押される様に、最近行きたいと思っていた場所を伝えれば、利久の顔が一瞬ぽかんとする。やっぱり言わない方が良かったかと後悔したけれど、次の瞬間「かまへんで」とくすくす笑いながら返された。
「けど、遊園地ってこの年で聞くとは思わへんかったわ。捺って、アクションや絶叫系好きなタイプやったっけ」
「違うよ。今、期間限定で『音楽と空間』っていうイベントがやってるんだ。それが見たいなーって思ってたんだけど、ああいった場所に一人で行くのって空しいでしょ」
「せやな。確かに一人でってのもさみしいしな。で、そのイベントっていつまでやってるん?」
「今月末までだったかな。店の出勤だけど、シュウに頼み込んでみるから、来週の日曜とかいい?」
「かまへんで。詳しい事は橘さんとの交渉が終わってから、また言ってくれたらええし」
「うん、ありがと」
休憩時間が終わり、再び接客の仕事に戻ったけれど、どこか浮足立っているのは気のせいじゃないだろう。橘に休みが欲しいと頼んだ時も、よほど必死だったのか微苦笑されてしまうぐらいだった。
行きたいのも本当で、お互い社会に出てから一緒に外で行動する事が難しくなっていたので、余計に嬉しさが募ってしまう。
(利久と見たいのも本当だけど、もう一つ確かめたいんだよね)
あれから数か月。自分の手から離れていったものが、どういった形になっているのか知りたいという気持ちが芽を出していく。
捺は、そっと息をつくと心の中で日曜日までの日にちを数えていった。
朝から晴天に恵まれた日曜日に、捺は思いっきり背伸びをして深呼吸をする。
行楽地として定番になっている場所でもあるので、駅についた途端、人の波にはさすがに辟易してしまったけれど、ゲートに着く頃には楽しみの方が勝っていた。親子連れやカップルが多い中、男二人というのもどうだろうかと最初は懸念したが、よくよく見れば自分たちと似たり寄ったりな二人組も結構歩いていた。
利久も久々にアトラクションを見て、乗りたそうにしている。日曜日もたまにスーツを着ていたが、今日は完璧にオフモードになっている為に軽装なので、捺も利久も開放的な気分になっているのかもしれない。
ゲートをくぐって賑やかな場所へ足を進める。
ポップコーン売り場からしてくる甘い香り。街中の喧噪とは違い、心地よい賑やかさ。
「晴れて良かったなあ。やっぱり遊ぶ時は天気も良い方がええし」
「そうだね。結構早く着いたから、アトラクションも一時間待ちくらいでいけそうだよ。利久の乗りたいやつがあったんじゃないの?」
「けど、自分行きたい所あるんやろ?」
「そっちは暗くならなかったら大丈夫だから、先に思いっきり遊ぼうよ。貴重な休みを満喫しないとね」
入口に置いてあった地図を広げて、二人で回るルートを決めていく。絶叫系は外せないやろと楽しそうに話す利久に、捺は小さく微笑んだ。大学時代でも、遊園地で遊んだ記憶はない。ここ数週間の間にぐっと縮んだ距離に最初は戸惑っていたけれど、今ではこの関係が心地よかった。
今は朝の九時。これから利久が一番行きたがったアトラクションに向かい、その後は待ち時間があまりなさそうなアトラクションものから攻めていくと決め、利久が地図を片手に歩きだした。
「ほんと、子供みたい」
「ええやろ、別に。大人が楽しんだら悪いって法律、ここにはないんやし」
「まあね」
一つ、また一つと乗っては並んで、並んでは乗るのを繰り返す。意外にも落下するものに弱いんだと、捺は自分で初めて知る事になったのだが、にやりと笑う相手にバカにされたくなくて二度も同じアトラクションに挑んだりもした。
待ち時間に話すのは、最近観た映画や雑誌。雑誌に掲載されている常連の話で盛り上がったりもした。
「さすがに、乗り物三個連チャンはきつかったか。飲み物買うてきてやるし、そこで座って休んどき」
「うー…なさけない」
「まあまあ、そういう事もあるて。じゃ、ちょっと待っといてな」
すっかりベンチにへばった捺に対し、利久が優しく声を掛ける。近場にあるフードショップに歩いて行く後姿を眺めながら、今日ここに来て本当に良かったとつくづく実感した。利久自身は自覚していないからいいけれど、ミスルトに通っている間に利久を気に入った女性客がちらほらいるのを捺は気づいていたから。
もともと目立つ容姿をしているのだ。すぐに気づいて、勝手に妬いたりした時も少しだけある。
(自覚がないのは良い事だって、ね。…でも、五十嵐さんはどうなんだろう)
年下で同性とはいえ。性格も大らかで気が利いて、そして男としても魅力はあると思う。仕事に対しても真面目だし、柔軟性があるから営業としてもやっていけるのだ。
一見温和に見られるけれど、性格は直情型の自分と違いすぎていて。
「ほら、これ飲んで休み」
冷たいスポーツドリンクを手渡され、こくりと喉を潤す。
この後どこに行くと訪ねた利久に対し、イベント会場と答える。遊園地に設けられた一角に、数週間から数か月と不定期な催し物が開催されるのだが、今回の目的でもある『音と空間』には見たい作品があるんだと話す。
「そういえば、利久には会社辞めた理由話してなかったよね」
「何や、唐突に」
「うん、ちょっと話したくなっちゃった。今から行く場所にある作品の中に、僕がデザインしたやつがあるんだ。……でも、名前は違う人で登録されてるんだけど」
「それって……」
すぐに分かったのか、盗作かと尋ねられた。実際にはそうなんだろう、会社内でコンペをしていたが、まったく同じデザインを考え付くなんて不可能だ。捺は小さく頷いて、カップを両手で包みこむように持つ。
相手は数年先輩だったが、捺と感性が似ていて入社当時は可愛がってもらっていた。同じものを作る仲間という事もあり深夜まで色々な討論を交わしたりもして、頼もしい相手に信頼を寄せていたのだが、それが裏切られたのが、作品のデザインを見せられた時だった。
その企画から内部まで、すべて捺が考えたものと酷似していたから。先に出したのが向こうだったので、同じものを提出する事が出来なく、そのコンペを捺は辞退した。
「ねえ、行こうか」
先にベンチから立ち上がり、捺はにこりと微笑んだ。
悔しいという気持ちは徐々に収まり、空しいという感情にすり替わっていったのはいつだっただろうか。そして、今はどんな風に自分がデザインしたものが完成されているのかを確かめたかった。
会場に向かう人は疎らだが、興味がある者が楽しげ小さなコンテナがいくつか備え付けてある場所へと足を運んでいた。
緑に囲まれた一角。
そこの中央には細かい細工が施されたカラクリ時計が立っていた。一時間ごとに音楽で時を刻むのだろうと推測する。