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その腕に焦がれて

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「はいはい。それはもう聞きましたよ。お前が本当にそれでいいなら構わないけど、顔には後悔してるってしっかり書いてあるのに、じゃあそうしろって助言する奴がどこにいるんだよ」
「別に、シュウに背中押してもらわなくてもいい」
「押す気もないけどな」
 終わりのない掛け合いを切ったのは仁科で、改めて構わないのかと確認される。偽りとはいえ利久と恋人同士という関係性を持てるのは今しかない。だから、その時間が欲しいんだと告げれば、仁科はただ分かったと頷いて承諾してくれた。
「いいのか?」
 橘が心配するのも理解出来る。
「捺は一度決めたら、最後まで突き通すからなあ。それは小さい頃から知ってるし、今更、条件取り消せないだろ」
「だよね。だから、この通りお願いします」
 幼い頃から自分に甘い従兄は、詳しい内容をもっと教えて欲しいと椅子に座りなおした。捺が男しか好きになれないんだというのも伝えてあるので、想い人が男性だというのは理解済みだろう。
 仁科は自分の性癖を知っても、態度を変えなかった数少ない親類だ。
 利久から預かったタウンガイドのページを開く。なるべく見たくない、一方的な恋敵の姿に胸をチクリと痛めつつ、捺は雑誌を仁科に差し出した。改めて見ても、朗らかな柔らかい雰囲気を醸し出している。
実際に会って話した利久が惹かれるのも無理ないだろう。
 簡易なインタビューも掲載されていたが、その答え方から性格もなんとなくだが想像出来てしまう。温和だけど頭の回転が速く、きちんと適格な仕事をこなす。きっとあまり外れてはいないだろう。
 そうでないと、若干三十歳弱で事務所の所長なんて勤まらない。
「これが、捺が好きな奴が好きになった人…か。年齢が離れてるけど、それでも構わないんだ」
「高野利久。それが僕の好きな人の名前。…利久にとっては、性別も年齢も関係ないみたいだよ。僕も純粋にすごい人だって、これ読んで思ったし」
 捺は再度、五十嵐咲哉と名前を刻みこむ。普通男同士というだけでもハードルが高いのに、それすらも考えられないくらい惚れたのだろう。利久も悩んだ結果、捺に相談しにきたというのは容易に想像がついた。
(応えたくないけど、力になってやりたいって言ったら、またシュウや治兄は呆れるかな)
 捺は苦しさを殺しながら、これからの事を仁科に話し始めていった。


  ◇ ◇ ◇


「あの人がストーカー?」
 こそりと話し掛けてきた利久に、捺はこくりと頷いた。
 今日は土曜日の夜。明日が休日というのもあり、ミスルトは満員に近い状態だったけれど、閉店間際にはようやくまばらになり、休憩がとれたのが少し前。
 それでも、片付けが残っているのでこの後が更に忙しいんだろうと思いながら、カウンターテーブルに粒のチョコレートが三つ乗った小さな皿を差し出す。
 キューブ型をしたミルクチョコレート。ミスルトが食後に出すちょっとしたサービスだ。甘いものは人の心を癒す。この食後のサービスが気に入っている女性客が結構多くて、毎回差し出す度に常連客からはお礼の言葉を頂いている。
 提案をしたのは捺だが、すぐさま取り入れる橘は、やはり客商売に向いているのかもしれない。
 捺がそっと視線を投げかけた相手は、にこりと表情を和らげながらコーヒーに手をつけた。利久の存在をきっぱり無視しているのは、あえてそうしてくれと頼んだからだ。
 改めてみると、利久とはタイプが違うが、仁科もかなり女性にうけるディテールをしている。すっきりと涼やかな目元に笑みを乗せるだけで安心感を与える。
さっきから女性からチラチラと視線を浴びているのに本人も気が付いているに違いない。
「仕事が終わるまで待ってるんだって。ほんとに困ってるんだよね。だから利久、今日はマンションまで僕を送って行ってね」
「俺がか?」
「だって、やってくれるんでしょ。恋人役」
 それが条件だと突きつけてみる。その代りに、どうやったら五十嵐の興味を惹くかを考えてあげるからと続ければ、かまへんでと二つ返事だった。
少し待って貰う事になると告げて捺は仕事に戻っていく。
 客が利久と仁科だけになり、閉店時間もあるのでクローズの看板を出そうとドアに近づけば、仁科が捺に話しかけてきた。
「今日、このまま待っていってもいいかな」
「困ります」
 にっこりと愛想よくしているけれど、きっぱりと拒否する。うっかり気を抜くとすぐに身内感覚に戻ってしまうので、あえて敬語で接すると決めたのだ。
「僕を待ってくれてる人もいるので、仁科さんが居たとしてもしょうがないですから」
「それってあの彼かな。さっきから心配そうにこっちみてるけど。あ、手でも振ってみようか」
 有言実行で、相手を煽る様にひらひらと楽しげに軽く振ってみる仁科に多少驚きつつ、ちらりと利久の反応を伺った。彼氏役を引き受けてくれると頼んでいたが、本当に実行してくれるのだろうか。
 自分たちの掛け合いに、スツールから腰をあげた利久がこちらに向かってくる。営業用のスマイルを浮かべているのは、穏便に済ませたいのと捺との約束があるから。その後すぐにすっと利久の手が捺の肩に回る。
(…え、手がっ)
 咄嗟の状況に身構えてしまう。恋人同士という設定とはいえ、まさか、利久がいきなり本当に行動に移してくるとは正直考えていなかった。
(……でも、ちょっと期待してたのかも)
 二人に気づかれないようにふるりと、ほんの微かに頭を振る。密着している利久には、動揺しているのが仁科の存在に捺が緊張しているんだと誤解されたらしく、小さな声で耳元に大丈夫だからと囁かれた。
 だから、黙って二人のやり取りを見つめ続ける。
「今日は俺と帰る約束してるんですよ。えっと…」
「仁科です。病院で整形外科医を。そちらは佐倉井君とどういう関係だって聞いてもいいかな」
 仁科の口元が微かにあげられる。状況を楽しめるまでの神経は持ち合わせていないので内心ハラハラしていると、利久も笑みを浮かべながらはっきりと、付き合っていますからと答えてくれた。思わずトクリと鼓動が跳ねてしまう。偽りの関係だとしても、こうやって言葉にされると重みが違うんだと実感させられた。
「でも、俺諦め悪いんだよ。付け入る隙がないのなら、作ってしまう主義だからさ。今日は帰るけど、また来るよ。じゃあ、佐倉井君」
 利久に軽く視線を向けてから、レジを済ませに行く仁科を眺めた後、揺さ振りをかけるのも上手い従兄の演技力に感嘆しつつ、隣に立つ利久に視線を投げかける。
 橘がレジ打ち終え、カランとドアが閉まるのを確認すると、ふっと利久の腕から力が抜けるのが分かって捺は微苦笑した。それでもまだ離されない手から伝導してくる熱に、どんどん高鳴りそうな鼓動をぎゅっとこぶしを握って宥めさせた。
「なんか牽制かけられてるって感じやったな。けど、あの人ほんまに捺の事好きなんやな、思いっきり見てたし」
 出て行ったドアを未だ見つめながら利久が呟く。
 それは従兄だから当たり前。きっと、今頃捺の提案に改めて呆れているに違いない。しかも、かなりに。
「捺、今日はもう帰っていいぞ。高野君待たせる事になるし」
「え、でも片付けが…」
「一人でも大丈夫だから。その分、明日に頑張って貰うからな」
作品名:その腕に焦がれて 作家名:サエコ