その腕に焦がれて
その腕に焦がれて
ずっと片思いを続けている。けれど、告白しようと思わなかったし、相手はノーマルだ。
幼馴染で、親友というポジションを失いたくないとずっと思ってきたのに、その相手から意外な頼み事を受けて佐倉井捺は驚きを隠せず、もう一度聞き返した。
「……男と付き合う方法を教えて欲しいって、本気で言ってるの?」
「当たり前やろ。こんなん冗談なんかで言えへん」
思わず声が小さくなってしまうのは仕方ない内容だろう。
目の前で両手を合わせ頼んでいるのは、捺がずっと想い続けている親友の高野利久だ。
さっきからチラチラと視線を感じるのを受け止めながら、捺はため息をつく。
お昼のランチを目当てに来ているビジネスマン達の中で、かなり自分たちは浮いている存在なのかもしれない。
利久の赤みを帯びた少し柔らかい髪質に、グレイの瞳。他国の血を受け継いでいるせいか、どことなくまとっている空気の色が違う雰囲気さえ纏っている様な錯覚をさせる。
しかも、一見日本人には見えないのに、関西弁を使うのは母親が関西出身だからだ。関東に来てからの方の年月が長い筈なのに、一度染みついたものが取れなくなっているらしい。
少しタレ目ぎみな目を困らせている相手に、捺はもう一度息をついた。
自分よりも体躯のいい相手が、身を縮ませているのは忍びなく、また、目が閉じられるほんの少し前、眼鏡の奥の瞳が真剣さを帯びているのを捉えてしまい、内心胸が僅かに疼いた。
今は昼間で、場所は都内の賑わっているダイニングカフェの中。
頼みごとをするのには向かない場所だけれど、利久の職場がこの近くだから足を運んだのだ。そして、今はこれといった仕事もない捺は呼び出されたとしても断る理由がなかったけれど、内容が内容なだけに素直に頷き辛かった。
(まあ、こんな事言えるのなんて、僕しか思いつかなかったんだろうけど…ね)
ゲイで、男しか好きにならないと昔に伝えてあった。それでも友情は変わらないときっぱり返してくれて、受け入れてくれたのは正直ありがたかったが、まさか好きになったとは思ってもみないだろう。
おごりだと言われ、頼んだ店自慢の料理の味もよく分からないまま、話を促す。
「いや、そこまではいけなくても、仲良くなれる方法があったら教えて欲しいねん。このままずっと取引先でだけの関係にはしたないし。なあ、頼むっ」
「頼むって言われても、どんな感じの人かわかんないんじゃ、対処のしようがないんだけど」
「あ、それなら、これ持ってきたから」
鞄の中から出されたのは、一冊のタウンガイド。街中にフリーで置いてあるものだ。中に掲載されている記事は今の旬の話題や、その地域に密着したものばかり。そのタウンガイドの営業や、たまに企画をしているのが利久だが、今回仕事関係で訪れたデザイン事務所で出会った相手に、一目惚れしたらしい。
グラビアに写っているのは、眼鏡をかけた温厚そうな人物で、自分達よりも年上だろうというのが伺える。掲載されている簡単な経歴には捺でも知っている大企業のものばかりで、デザインセンスの鋭さも知る事が出来た。
(こういう人が好みなんだ…こいつ)
改めて、自分が持っている才能との違いに、きゅっと唇を軽く噛む。
片や一線で活躍しているクリエーター。捺といえば、カフェでバイトをしているフリーのデザイナーだ。もちろん実績なんて何もない。
写真の人物に比べ、捺の顔立ちは、少しつり目がちな目が印象的で、勝気さ醸し出している。髪もふわりとしていた五十嵐と正反対の真っ黒。短めな髪の毛の長さが、よけい童顔に輪をかけている気がする。
見た目だけだと、大学生にみられなくもない。
勝手に比べて勝手に落ち込んで。それでも、表情に出すわけにはいかないので、捺は困り果てている利久に手を差し伸べた。傷つくのは自分自身だとしても、困っているのを見捨ててはおけない。
「それじゃ、交換条件でもいい?」
「条件?」
「そう。最近告白されている人がいるんだけど、正直困ってるんだよね。一歩間違えたらストーカーに成りかねないし、その人を諦めさせるのを手伝ってくれたら、僕も利久の片思いを手助けしてあげるよ」
「確かに捺なら、ありそうな話やな。そやったら、俺は何したらええん?」
とっさに交換と口走ってしまったけれど、本当に頼んでいいのだろうかと悩みながら、捺はコーヒーで喉を潤した。それでも後には引けない……むしろ引きたくなかった。こんなチャンス二度とこないのだから。
(いい…よね)
こくりと喉を鳴らす。
「……恋人の役をしてくれないかな。ほら、すでに他人のものだって思われたら諦めるかもしれないしさ」
「俺と捺が?」
「そう。そうしたら、僕がこの人…五十嵐さんの好みを利久に教えてもらって、それをどう生かしたらいいか教えてあげるから」
今度はこっちが頼み事をする番になる。さっきとは正反対の構図で捺が利久に手を合わせてみる。明るめの声のトーンにしたのは、本気さを隠すためだ。
捺は「この通り」と頼み込む。
「自分がええんやったら、協力したるけど。でもほんまにストーカーやったら、警察に行くんやで。一人が嫌やったら俺もついていったるし」
本気で心配する利久に内心謝りつつ、捺は大丈夫だからと小さく首を振る。とにかく交換条件をのんでくれればそれでいい。嘘をついてまで繋ぎ止めておきたい本心を隠し、利久が仕事に戻る直前に二人はお互いに協力するのを約束して別れた。
「ほんと、馬鹿かもね」
カフェを出て地下鉄へ向かう道のりを歩きながら、ぽつりと呟く。
相手の幸せを応援するなんて、自ら失恋を決定づけさせるだけで何の得にもならない。むしろ自虐的なだけの行為に、捺は微苦笑を浮かべた。
友達としてならずっと一緒にいられる。このポジションを失くしてしまう方が恐怖なのだと自覚し、気持ちを切り替えていった。
それに、一時的でも恋人同士という関係になれる。偽りの関係だとしても、確かにその時は幸せな気分を味わえるかもしれないと、捺は自分に言い聞かせた。
捺がアルバイトしているカフェ「ミスルト」に、従兄の仁科治が姿を見せたのは、十時を少し過ぎた時間だった。捺の雇い主でもある橘修二と軽く挨拶を交わした後、すぐに捺のもとにやってくる。
クローズの看板を出していても気にしないのは、橘と仁科が大学から十年弱の付き合いがある友人でもあるからだ。
スツールに座り、用件を訪ねた相手に捺は数日前の出来事を掻い摘んで話す。
「それで、その役を俺にしてくれってわけか。でも、それで本当にいいのか?」
聞き終わった後、数瞬の間を置き、涼やかな目元を困ったと微かに下げながら、やめておいた方がいいと言外に滲ませた。
自分でも厄介な頼みをしていると思う。それでも、その間だけは利久が一緒にいてくれるのだ。
「仁科、もっと言ってやれ」
橘がグラスを拭きながら、鳶色の瞳を向け容赦なく呆れた声を出す。さっきも似た様な事を言われ、捺は橘に噛みつくように言い返した。
「いいじゃん別にっ。だって、とっさに言っちゃった事はもう取り消せないんだしさ」
ずっと片思いを続けている。けれど、告白しようと思わなかったし、相手はノーマルだ。
幼馴染で、親友というポジションを失いたくないとずっと思ってきたのに、その相手から意外な頼み事を受けて佐倉井捺は驚きを隠せず、もう一度聞き返した。
「……男と付き合う方法を教えて欲しいって、本気で言ってるの?」
「当たり前やろ。こんなん冗談なんかで言えへん」
思わず声が小さくなってしまうのは仕方ない内容だろう。
目の前で両手を合わせ頼んでいるのは、捺がずっと想い続けている親友の高野利久だ。
さっきからチラチラと視線を感じるのを受け止めながら、捺はため息をつく。
お昼のランチを目当てに来ているビジネスマン達の中で、かなり自分たちは浮いている存在なのかもしれない。
利久の赤みを帯びた少し柔らかい髪質に、グレイの瞳。他国の血を受け継いでいるせいか、どことなくまとっている空気の色が違う雰囲気さえ纏っている様な錯覚をさせる。
しかも、一見日本人には見えないのに、関西弁を使うのは母親が関西出身だからだ。関東に来てからの方の年月が長い筈なのに、一度染みついたものが取れなくなっているらしい。
少しタレ目ぎみな目を困らせている相手に、捺はもう一度息をついた。
自分よりも体躯のいい相手が、身を縮ませているのは忍びなく、また、目が閉じられるほんの少し前、眼鏡の奥の瞳が真剣さを帯びているのを捉えてしまい、内心胸が僅かに疼いた。
今は昼間で、場所は都内の賑わっているダイニングカフェの中。
頼みごとをするのには向かない場所だけれど、利久の職場がこの近くだから足を運んだのだ。そして、今はこれといった仕事もない捺は呼び出されたとしても断る理由がなかったけれど、内容が内容なだけに素直に頷き辛かった。
(まあ、こんな事言えるのなんて、僕しか思いつかなかったんだろうけど…ね)
ゲイで、男しか好きにならないと昔に伝えてあった。それでも友情は変わらないときっぱり返してくれて、受け入れてくれたのは正直ありがたかったが、まさか好きになったとは思ってもみないだろう。
おごりだと言われ、頼んだ店自慢の料理の味もよく分からないまま、話を促す。
「いや、そこまではいけなくても、仲良くなれる方法があったら教えて欲しいねん。このままずっと取引先でだけの関係にはしたないし。なあ、頼むっ」
「頼むって言われても、どんな感じの人かわかんないんじゃ、対処のしようがないんだけど」
「あ、それなら、これ持ってきたから」
鞄の中から出されたのは、一冊のタウンガイド。街中にフリーで置いてあるものだ。中に掲載されている記事は今の旬の話題や、その地域に密着したものばかり。そのタウンガイドの営業や、たまに企画をしているのが利久だが、今回仕事関係で訪れたデザイン事務所で出会った相手に、一目惚れしたらしい。
グラビアに写っているのは、眼鏡をかけた温厚そうな人物で、自分達よりも年上だろうというのが伺える。掲載されている簡単な経歴には捺でも知っている大企業のものばかりで、デザインセンスの鋭さも知る事が出来た。
(こういう人が好みなんだ…こいつ)
改めて、自分が持っている才能との違いに、きゅっと唇を軽く噛む。
片や一線で活躍しているクリエーター。捺といえば、カフェでバイトをしているフリーのデザイナーだ。もちろん実績なんて何もない。
写真の人物に比べ、捺の顔立ちは、少しつり目がちな目が印象的で、勝気さ醸し出している。髪もふわりとしていた五十嵐と正反対の真っ黒。短めな髪の毛の長さが、よけい童顔に輪をかけている気がする。
見た目だけだと、大学生にみられなくもない。
勝手に比べて勝手に落ち込んで。それでも、表情に出すわけにはいかないので、捺は困り果てている利久に手を差し伸べた。傷つくのは自分自身だとしても、困っているのを見捨ててはおけない。
「それじゃ、交換条件でもいい?」
「条件?」
「そう。最近告白されている人がいるんだけど、正直困ってるんだよね。一歩間違えたらストーカーに成りかねないし、その人を諦めさせるのを手伝ってくれたら、僕も利久の片思いを手助けしてあげるよ」
「確かに捺なら、ありそうな話やな。そやったら、俺は何したらええん?」
とっさに交換と口走ってしまったけれど、本当に頼んでいいのだろうかと悩みながら、捺はコーヒーで喉を潤した。それでも後には引けない……むしろ引きたくなかった。こんなチャンス二度とこないのだから。
(いい…よね)
こくりと喉を鳴らす。
「……恋人の役をしてくれないかな。ほら、すでに他人のものだって思われたら諦めるかもしれないしさ」
「俺と捺が?」
「そう。そうしたら、僕がこの人…五十嵐さんの好みを利久に教えてもらって、それをどう生かしたらいいか教えてあげるから」
今度はこっちが頼み事をする番になる。さっきとは正反対の構図で捺が利久に手を合わせてみる。明るめの声のトーンにしたのは、本気さを隠すためだ。
捺は「この通り」と頼み込む。
「自分がええんやったら、協力したるけど。でもほんまにストーカーやったら、警察に行くんやで。一人が嫌やったら俺もついていったるし」
本気で心配する利久に内心謝りつつ、捺は大丈夫だからと小さく首を振る。とにかく交換条件をのんでくれればそれでいい。嘘をついてまで繋ぎ止めておきたい本心を隠し、利久が仕事に戻る直前に二人はお互いに協力するのを約束して別れた。
「ほんと、馬鹿かもね」
カフェを出て地下鉄へ向かう道のりを歩きながら、ぽつりと呟く。
相手の幸せを応援するなんて、自ら失恋を決定づけさせるだけで何の得にもならない。むしろ自虐的なだけの行為に、捺は微苦笑を浮かべた。
友達としてならずっと一緒にいられる。このポジションを失くしてしまう方が恐怖なのだと自覚し、気持ちを切り替えていった。
それに、一時的でも恋人同士という関係になれる。偽りの関係だとしても、確かにその時は幸せな気分を味わえるかもしれないと、捺は自分に言い聞かせた。
捺がアルバイトしているカフェ「ミスルト」に、従兄の仁科治が姿を見せたのは、十時を少し過ぎた時間だった。捺の雇い主でもある橘修二と軽く挨拶を交わした後、すぐに捺のもとにやってくる。
クローズの看板を出していても気にしないのは、橘と仁科が大学から十年弱の付き合いがある友人でもあるからだ。
スツールに座り、用件を訪ねた相手に捺は数日前の出来事を掻い摘んで話す。
「それで、その役を俺にしてくれってわけか。でも、それで本当にいいのか?」
聞き終わった後、数瞬の間を置き、涼やかな目元を困ったと微かに下げながら、やめておいた方がいいと言外に滲ませた。
自分でも厄介な頼みをしていると思う。それでも、その間だけは利久が一緒にいてくれるのだ。
「仁科、もっと言ってやれ」
橘がグラスを拭きながら、鳶色の瞳を向け容赦なく呆れた声を出す。さっきも似た様な事を言われ、捺は橘に噛みつくように言い返した。
「いいじゃん別にっ。だって、とっさに言っちゃった事はもう取り消せないんだしさ」