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冷たい唇

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「――」

 時弥が苛立たしげに吐息を洩らす。

「――会長のペンケースからどうぞ」

「………」

 確かに筆記用具を持っていなかった純に、シャープペンを貸してくれたのは会長だった。だからと言って無断で借りるのは気が引ける。

「会長、いないじゃんか」

「それが厭なら、購買に行ったらどうだ?」

「……………あんたが貸してくれれば済む話だろう?」

「何故、俺が」

「…………」

 純は、怒りをやり過ごそうと何度か口を開閉させた。

「………あのさぁ、おれが何かしたわけ?」

 時弥はようやく顔をあげて、冷ややかに純を一瞥した。

「――判っているんだろう? それくらい。それとも本当に知らないのか?」

「……………」

 純は困惑げに瞼を伏せた。

 確かに、時弥が自分を目の敵にする理由を知らないわけではない。

 しばし思い悩み、しかし決意して吐息を短く吐いた。椅子を引き、パイプ椅子の背にゆったりと背中を預け、挑発的に時弥を見やる。

「へえ。おれのほうこそあんたは何も知らないと思ってたよ。――お兄サマ」

 時弥は、純の異母兄だった。

 純の父親は、恋愛と結婚を別に考えられる人間だった。純には考えられないことだが、父親には奇異なことではないらしい。

 父は、栗山グループという複合企業の総帥をしている。さかのぼれば明治以前から脈々と続く上流の家柄らしく、今では日本を代表する一流企業だ。そんな雲の上の話では、結婚というものは政略的であって当然らしい。

 かくして、当時付き合っていた女性がいたにもかかわらず、会社のため、家のために、父は他の女性と結婚をした。それが時弥の母だった。普通ならばそこで付き合っていた女性との縁を切るなり何なりしそうなものだが、父はそちらの女性との交際も続け、籍は入れられないにしても家庭を作った。純の存在も認知されているし、父は週の半分以上は純の住む家に帰ってくる。

 ここは現代日本だぞ? と眉をひそめる話だが、事実は事実だ。

 純にはいわゆる妾の子としての負い目はまったくなく、同い年の兄がいることにも興味を覚えこそすれど取り立てて嫉妬も憎みもしなかった。

 だが正妻の子である時弥は違うらしい。

 さすがに好感情で受け入れられるとは思っていなかったが、はじめて会ったときから敵意を剥き出しにされて正直辟易していた。

 ただ、高校の入学式で目が合っただけだ。それなのに、相手はこちらの存在を認識した。

 それからろくな会話も交わさないまま、一年余りが過ぎた。そもそもただの同級生としてしか接してないのだから、話す機会もそうはない。

 時弥が自分たちの関係をほのめかしたのも、これがはじめてだった。

 時弥が秀麗な眉をひそめる。

「俺に弟などいない」

「………さいでっか」

 斬り捨てる声音に、純は苦笑する。

「じゃあ、あんたの言う、おれが気に食わない理由ってなんだろうねえ」

 くるくるとシャープペンを手元で弄ぶ。

 時弥が不快そうに席を立った。

「おい、仕事はいいのかよ」

 つられて、純も腰を浮かす。

「――これ以上、君と同じ空気を吸う気にはならん」

「……………ふうん」

 純は面白そうに、時弥の忌々しげな顔を眺めやった。

「おれのことが気に入らない理由は教えてくれないわけだ」

「――理由など必要ないだろう」

 時弥の言葉に、こらえきれず声を立てて笑った。

「そりゃそうだ。……奇遇だな。おれも、あんたのことが嫌いなんだ」

 にっこり、と極上の笑みを貼りつけてやる。

 相手の不愉快そうな顔に、してやったり、と小気味好い気分になる。

「でもおれにはちゃんと理由があるぜ? ――――――その目が、気に入らない」

 時弥は冷ややかに純を見下ろしていた。純は真正面から時弥の眼差しを受け止める。

「まるで、動物を見るような。人を人とも思ってないような。そんな目だ」

 父の嫡子として育てられた時弥は、帝王学を学んでいる。その影響もあるのか、冷たい微笑の奥に、人を道具か何かのように思っている光が見え隠れしていた。だがいつでも物腰はやわらかく、人身掌握に長けている。同年代の少年少女は言うに及ばず、時弥は大人でさえも手のひらで転がしているようなところがあった。

 それが、純には気に喰わない。

 澄まして泰然としているあんたを、高みから引きずりおろしてやりたいな――純は思う。時弥の姿は、いっそ憎々しいほど純の気に障る。

「憎いな。――――――あんたも、親父も」

 時弥は、純が嫌っている父によく似ていた。

 小さく呟いた言葉に、時弥が冷たく微笑む。

「それはよかった。俺も、君のこともあの女のことも憎たらしく思っているから」

 純はわずかに目を眇めた。

「君たち母子は、何故そんなにものうのうとしていられる? 日陰の身でありながら図々しいにも程がある。父の援助がなければ日々の暮らしにも事欠くようになるのに」

 時弥が憎々しげに顔を歪める。

 母も自分も、父に縋らなければ生きられない、と思ったことは一度もない。それどころか今まで母子ふたりの生活は、すべて母の稼ぎで賄っていた。第一、母がそんな女々しい人ではないことを、自分はよく知っている。知っているからこそ、何も知らない時弥の言葉が許せなかった。

 気付いたときには、純の腕は時弥の襟元を掴み上げていた。

 怒りに抑えた声で告げる。

「……………ふざけるなよ」

「何が違う? 妻のある男に媚びへつらって生活を養っているなど、売女と一緒だ」

 時弥の声は揺るがなかった。蔑みの眼差しが、純を見下ろす。

「――君も同じだ。身の程を弁えていないのは母親譲りか?」

「―――――――――――ッ」

 怒りで目の前が真っ赤になる。

「……それ以上、言ってみろ」

「どうすると?」

 時弥が鼻で笑う。純の言葉を、怒りを少しも恐れていない口調だった。

 純は吐息をひとつ吐き出し、うっそりと口角を吊り上げた。

「――――――――こうするんだよ」

 掴んだ襟元を引き寄せて、やにわに唇に噛み付いた。

 間近で息を呑む気配がする。

 振り払われる寸前で、唇を離す。睨み上げた先に、目を白黒させている顔を見つけ、胸がすく気分になる。相手の胸を押しやった。

「ザマミロ」

 相手の血がついた唇を舐め上げる。

「――ッ」

 その仕草に反応して、時弥が後ろによろめいた。唇を手の甲で荒っぽく拭う。

 純は笑い出したい心地に襲われて、喉の奥を震わせる。時弥の顔は耳まで真っ赤に染まっている。混乱しきっていて、いつもの冷静な面差しとはまるで違った表情だった。

 羞恥と怒りでない交ぜになった眼差しで、激しく純を睨む。

 それが、心地好いと感じてしまう自分は、もうおかしいのかもしれない。

 一歩踏み出す。

 時弥が一歩下がる。

 歪んだ表情が、嗜虐心をそそる。

 もう少し遊んでやりたい気もしたが、そろそろ頃合だ。相手が正気に返り、怒り狂って暴力でも振るわれたら、体格差から言っても純が勝てる可能性はないだろう。

「ばっかじゃねえの? 動揺してみっともないの」
作品名:冷たい唇 作家名:いちや