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冷たい唇

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 前垣純は、憂鬱な気分で目の前に立ち塞がる扉を見ていた。

 もう何度目か知れない重いため息がこぼれる。

 生徒会室とプレートが掛かった扉が、今の純にはRPGのラスボスが待ち構えてでもいるような、重苦しいものに見える。だが幾らため息を吐き出してみても、ここで逃げ帰るわけにはいけないのだ。

 両手に持ったプリントの束を片手に抱え直す。顎を引いて、意を決したように息を吸い込んだ。

「二-Cの前垣です」

 ノックをしてみても、扉は沈黙。

 ぴくりともしない。

 そもそもなかに人がいるかも疑わしいくらいに、室内の気配は静かだった。

「……あのー」

 室内に誰もいないとしたら、こうして扉に声を掛けている自分の姿は、さぞかし滑稽だろう、と皮肉に思いながら、もう一度声を掛ける。

 応じる声がないのに扉を開けるのは気が引けたが、中の様子を窺おうと躊躇いがちに扉に手を掛ける。

 と、その時である。

 がらり、と勢いよく扉が開き、人懐こそうな顔をした男――確か生徒会長だったはずだ――が、純を迎え入れた。

「うわっ」

 突然開いた扉に驚き、純は裏返った声をあげた。

 会長が不思議そうに目を瞬かせる。純は、なんでもない、と慌ててかぶりを振った。

「そう? ――ごめんね、待たせて」

 会長は口許にやわらかな笑みを刷いて、そう言った。

「あいつに出ろ、って言ったんだけどさ、頑として聞かなくってさ」

 顎でしゃくった先には、スチール机の前で山積みになった書類と睨めっこしている男がいた。純と同じく二年の栗山時弥だった。確か副会長を務めているはずだ。

 いかにも冷たそうな眼差しは書面に向けられていて、こちらをちらとも見ようとしない。

「はあ」

 純は生返事で答える。

「まったくひどいよねー。この生徒会長様を平気で顎で使ってくれるんだよ」

 会長は嘆息する。

「大体さ。今日は他の子たちもいないんだから、会長の俺がふんぞり返ってたら、栗山が開けに行くのが普通だろう? それなのに、あの男は軽く無視ですよ。信じられる?」

「……はあ」

 なんとも言いようがなくて曖昧に頷くばかりの純に飽きたのか、言いたいことを言い終えてすっきりしたのか、会長は純の手元にある紙束に視線を転じた。

「――あ、それ。今日締めのアンケートだよね。遅かったね、今ちょうど集計してるとこなんだよ。ごめんね、重かったでしょう」

 言うやいなや、会長は純から紙束を軽々と奪い去った。

「いえ、特には」

 B5用紙、四十枚程度の紙束だ。重いとは感じなかったが、これをクラスメイトたちからかき集める苦労を思い出せば、精神的な重荷が幾分外された気分になった。

「あの。それじゃ、おれはこれで」

 室長としての役目は、生徒会室にこのアンケート用紙を持っていくことだ。それが終わった今、この部屋にいる理由はない。

 純はそそくさと踵を返した。

「ちょーっと待った」

 だが、会長がそれを許さなかった。

 ご丁寧に純の首根っこを掴んで、純の身動きを止める。

「……あのー」

「さっき言ったよね」

 会長を肩越しに見上げると、爽やかな笑顔がきらめいていた。

「人手がないんだよ。みんないなくて」

「はあ」

「だから、手伝って?」

「…………なんでおれが」

「それは、君。今、ここに来たのも何かの縁だよ。それに、君は生徒会役員のひとりでもある」

 普通、クラスの室長は役員に数えないのではないか、と疑問が掠めたが、執行部員でなくとも生徒会の末端にいることは変わりない。

「何より、俺が困ってる。困ったひとは助けなさい、ってご両親に教わらなかった?」

「……あー」

 純は、明後日の方向に視線をやった。

 両親の顔を思い起こす。教わったような、教わらなかったような。微妙な線だ。

「終わったらジュース奢るからさ」

 猫撫で声で告げられても、あまり気乗りがしない。

 純は、ちら、と黙々と仕事を片付けている時弥に目をやった。

 視線に気付いたわけではないだろうが、時弥が顔をあげる。

「会長。暇つぶしもそのくらいにしておいてください。第一、やる気のない人間に手伝ってもらっても、仕事ははかどりませんよ」

 冷ややかな物言いに、純の眉尻がピクリと吊り上がった。

 時弥の言葉には確かに険がある。

「そう言うなよ、栗山」

 会長は苦笑した。

「ごめんね。仕事多いせいか、あいつ気が立ってるみたい」

「………いえ」

 会長は詫びるが、純は時弥の不機嫌な態度がそれだけでないのを知っていた。じっと、時弥の怜悧な横顔を睨み据える。

 むくむくと、腹の底から言いようのない感情が浮き出てくる。

「……先輩。おれ、やります」

 時弥に視線を定めたまま、純は静かに言った。

 既に書面に視線を戻していた時弥が、わずかに顔をしかめる。

 かすかに暗い悦びが湧き上がってくる。

 そんな感情はおくびにも出さずに、明るい顔で会長に笑んでみせた。

「ジュース奢り、ですからね?」

「おっけー。じゃ、こっち来て」

 会長は破顔して純を室内に迎え入れた。仕事の指示をしながら、時弥も座っているスチール机に純も座るように促し、自分も腰を落ち着ける。

 やると決めたら手は抜かないのが、純の性分である。第一、ここでいい加減なところを見せたら、時弥に鼻で笑われるに決まっている。それだけは、絶対に御免だった。

 時弥のはす向かいに腰をおろし、アンケートの集計結果を別紙に書き連ねていく。

 人がいなくて困っている、という言葉は本当で、集計は三分の一も終わっていなかった。放課後とは言え、下校時刻までそう余裕があるわけでない。自然、室内に響くのは紙をめくる音と、シャープペンを走らせる音だけになる。

 カーテンを引いた向こうから、グラウンドで練習をする体育会系のクラブの勇ましい掛け声が聞こえてくる。新入部員を迎えて、より一層気合が入っているようだった。

 それから一時間ほど経ったときだろうか。

 校内放送のアナウンスが流れ、三人の視線が書面から離れ、天井近くに掛けられたスピーカーに移った。会長を呼ぶアナウンスだった。

 会長は心当たりがあったのか、わずかに顔をしかめる。すまなそうに席を立った。

「ごめん。ちょっと出てくる。――悪いんだけど、先、進めといて」

 慌しげに生徒会室をあとにする背を見送って、純は椅子に座ったまま腕を思いきり伸ばした。

 ずっと同じ姿勢でいた所為で肩が重たい。

「なあ、なんか飲む?」

 一息入れようと、一応時弥に持ちかけた。

「――」

 返事はない。純は鼻白んだ表情で時弥を見た。

 まあ、いつものことだ、と思い直す。休憩をいれる気もそげて、結局作業に戻ることにした。

 先ほどまではあまり気にならなかったのだが、こうしてふたりきりになると妙に沈黙が重たく感じる。内心でため息をついて、けれど表情は変えずにシャープペンの頭をノックした。だが字を書こうとすると芯が引っ込んでしまう。舌打ちをして、シャープペンの先から芯を引き出した。

「悪い。シャー芯貸してくれない?」
作品名:冷たい唇 作家名:いちや