小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

LOVE HOTEL

INDEX|9ページ/12ページ|

次のページ前のページ
 

「美江ちゃん今日は何時に帰るんや?」
 おかあさんが首を伸ばして小声で聞いた。
「夕方……。なるべく早く戻らないと……」
 わたしはまた嘘を吐いた。明日の予定は確か、午後に一本取材が入っているだけだ。
「ほうか……、ほんならもうちょっとしかいられんのう。残念やなあ。帰る時ちゃんと言うて」
「うん……」
 帰るときちゃんと言うて。
 笑顔の口から零れたその言葉が、下腹に効いた。おかあさんは、わたしが黙っていなくなるかも知れないと思っているのだ。
「ほや、梨、持って帰るか?」
「ううん、いい。ありがと」
 しみる。

 骨と位牌になったおとうさんを連れて、バスはまた、家に戻る。
 ホテル ブルーシャトー この先7K左
 またあの看板が現れて、おせっかいな道案内を始め出す。
 おとうさんがいなくなったこの後、ブルーシャトーはどうなるのだろう。弟が継ぐのか、おかあさんが継ぐのか、昨日満室だった事から考えると、手放したとしても別の誰かが名前を変えて、また営業するのだろう。改装されて別のホテルになったブルーシャトーを想像してみたら、何故だろう、少し嫌な気分になった。
 ホテル ブルーシャトー この先5K左
 昨日まであれほど嫌いだったのに、今は変わって欲しくない。わたしが隠して、捨てたふるさと。
 重たそうな雲の切れ間から陽が射して、遠くの山と田圃を、放射状に照らしていた。

 スカウトの女、島田弥生が、わたしの最初のマネージャーになった。小さなスタジオで、バストショットとフルショットの宣材写真が撮られ、社長から中屋泳美と言う冗談みたいな芸名が付けられた。中屋でいたくなったわたしは名字を変えて欲しいと言い、じゃあなくしちゃう? みたいなやけに軽いノリで、二歳年下で高校二年生の泳美(エイミ)になった。
 宣材写真が出来たその日に、炭酸飲料のCMのちょい役オーディションを受け、すぐまた翌日に、使い捨てコンタクトレンズのCMオーディションを受けた。オーディションは毎日のようにあり、CMは何故か一つも受からなかったけれど、やたら高い服ばかり載っているファッション誌の専属モデルに受かり、それはとても凄い事だと言われた。わたしの載った雑誌が五ヶ月分くらい出た所で、事務所はわたしに投資し始め、わたしの顔や体の欠点が、少しずつ直されていった。
 その内に、あれ程わたしを落としまくったCMの仕事が、オーディションなしで決まるようになっていった。最初に撮ったCMがオンエアーした日の夕方、携帯電話が鳴った。液晶画面に現れたのは高校の友達もどきの名前で、彼女の第一声は「ひさびさやのう、元気か?」だった。「他の子と最近話題になってるんやけど泳美って美江ちゃんやろ」
 忘れていた田舎が追いかけてきたように思った。その時、既にわたしは歌とダンスのレッスンを始めていて、わたしの歌を田舎の人が聞く事を想像しただけで恥ずかしさに心臓が暴れ出した。みんなの前で歌を唄うようなタイプの女の子じゃなかった事も、年を誤摩化している事も、実家がラブホテルだという事も、すぐに世間にばれて、笑い者になる気がした。わたしは携帯の電源を切り、次の日に番号ごと端末を変えた。データの移動もせず、古い電話は捨てた。田舎の同級生も、初めてキスした男も、わたしの方から避けてほとんど会わなくなっていた知也も、中屋美江に関係したものは、すべて捨ててしまった。親も兄妹も、その時のわたしには不要だった。
 この業界は厚かましくないとやっていけないから。島田弥生は口癖のようにわたしにそう言った。実家の事やわたしの地味な過去を知る彼女は、携帯を捨てたと聞いて、また嬉しそうにその口癖を言った。わたしは彼女の思惑どおりに、どんどん厚かましく、貪欲になっていった。何年も何年も人の顔色ばかり見て生きてきたわたしには、スタッフがどんなわたしを欲しがっているかがよく分かった。反応を見て、少しずつ変えていく。その内にスタッフよりもファンの顔色を見るようになり、世間全体の顔色を見るようになった。わたしは彼らが欲しがる歌を唄い、演技をし、誰かの横で笑った。わたしの脳が考えた泳美の性格、歩き方、歌い方。体は、ただそれを表現するための道具だった。
 わたしは、身長と年齢以外の情報を、公表していない。でも、わたしが考えた泳美の出身地は横浜で、育った場所は東京の港区だった。朝はクロワッサンを食べる家に生まれ、イギリスのインディーロックが好きで、ユニクロにもしまむらにも入った事がない。

 ホテル ブルーシャトー この先すぐ左




「あー、今日は疲れた。おとうさんも疲れたやろう」
 そう言っておかあさんは仏壇に骨壺を置いた。
「あんな大きな人やったのに、軽うなってもたのう」
 誰に同意を求めるでもなく呟いて、暫くの間、遠い目をした。
 親戚達が次々に線香をあげ、次々に帰っていく。
「ほんならまた。あ、エミちゃんも頑張ってな、テレビ観てるよ」
 わたしの名前が混乱している奈良のおじさんが手を上げた。自分でも何故そう思っていたのか信じられないけれど、わたしは昨日まで、自分と泳美が同一人物だと親戚も近所の人たちもあまり気付いていないんじゃないかと思っていた。隠し事や嘘がばれていないと思っているのは本人だけで、町中の人が、いや、もしかすると県中の人が、泳美は中屋美江でラブホテルの娘だと知っているのかも知れない。地元を素通りしてツアーを回るわたしを、みんな憎んでいるだろうか。
 目を合わせないようにして応え、奈良のおじさん夫婦を送り出すと、家族だけが残った。おかあさん、弟。甥っ子は初めての葬式に疲れて、居間で眠っている。わたしはこんなとき、どんな人間を演じていいのか分からない。
「はー、何か食べよか、二人ともお腹減ったやろ」
 おかあさんがわたしたちを交互に見て、何もなかったような笑顔で言った。
「そやのお、ほんなら何かちょっともらおうか。お姉ちゃんも時間あるやろ?」
 朝の内に荷造りを済ませてあるキャリーバッグが、頭の中に浮かんだ。多分もう家の近くで待機している平松を呼んで、喪服のまま車に乗り込めば、わたしはここから逃げる事が出来る。でも……。
「じゃあ、お姉ちゃんも何か食べてくわ」
 わたしは最初に考えた事と逆の事を言った。このまま帰ったら十年前と同じだ。
 おかあさんは満足気に頷いて、台所に向かい、弟とわたしもその後に続いた。カルガモの親子みたいに一列になって廊下を歩き、玉暖簾を散らし、台所では自分の席だった場所に座った。当たり前のようにお茶と漬け物が出てきて、目の前に置かれる。
「仕事大変か?」
 食べながら話す弟の癖は変わっていない。
「まあ、そうでもないけど」
「そうか」
 その割に無口な所も、おとうさんとそっくりだ。
「あっちゃんは仕事の調子どうや?」
「まままあやの。ブルーシャトーの他に市内にホテル二軒やってて今度中古車屋も始めた」
作品名:LOVE HOTEL 作家名:新宿鮭