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LOVE HOTEL

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 淳宏の職業とブルーシャトーの状況が、その一言で分かった。漬け物を齧る弟の顔には、成功者の威厳が感じられる。ふと、ラブホテルの建築資金に、わたしが送ったお金が使われているかも知れないと考えた。そう考えれば、弟のバブリーな話と、十年前とまったく変わらない実家のコントラストに説明が付く。
「そっか」
 頷きながら、また心が閉じて行くのを感じた。わたしが送ったお金で、またラブホテルが出来た可能性。産まれて来る子供が女の子でない事を、わたしは密かに祈った。
「こんなもんしか出来んけどごめんね」茄子の煮たのと肉野菜炒めをテーブルに置いて、おかあさんが言う。「あっちゃんもいま伸子ちゃんおらんし最近野菜食べてないやろ」
「会うたんびに野菜食えっちゅうのは年寄りんなった証拠やぞ。なあ」
 同意を求めて目配せする弟に、わたしは愛想笑いを返した。
「伸子さん心配やなあ。あっちゃん今日は病院行くんか」
 おかあさんがしんみりと言った。
「いっぺんウチ戻ってアキラ寝かしたらな。明日いっぱい待って出てこんかったら腹切るって」
「ほうか」
 わたしの知らない間に、家族はいろいろな問題を抱えている。そしてそれを乗り越える度に、少しずつ強くなっていく。
「東京は大変なんやろ。子供産むにも病院がないって」
 急に話を振られたわたしは頷きながら、喪失感と劣等感に押し潰されそうになった。

 これから。
 これからわたしは、どんな自分になればいいんだろう。
 人気没落の原因は、男だった。




 高校時代、脳内で何度もキスをしてパンツを汚したアイドルが、目の前に現れて携帯電話を開き、「メール交換しようよ」と言ってきたら、断る人がいるだろうか。
 二度目の共演映画の打ち上げで、中田拓哉はしゃぶしゃぶの肉を揺らしながら言った。
「メール交換しようよ」
 いったい何万回練習したら、これ程まで自然に、この台詞を言えるようになるのだろう。拓哉の声は音楽のようで、しゃぶしゃぶするために開いた腋の下からは、いかにも高級そうな甘いフレグランスが漂ってきた。左手はまるで指を鳴らすように、器用な動きで携帯電話を開き、肉の色が変わるのと同時に赤外線通信の準備を終えている。
 舞い上がったわたしは彼の書いた台本通りに、「いいですよ」と答えた。ほんの一二分の間に、わたしの心は彼のものになっていた。
 危険なことは分かっていたけれど、どうすることも出来なかった。泳美が恋をするとしたら、相手は絶対にナカタクみたいな男じゃない。泳美の相手はきっと、もっと深みのある文化的な男だ。俳優の中から選ぶとしても、もっとストイックで役が乗り移ったような演技をする男。アイドル上がりの男は、彼女には合わない。そう自分に言い聞かせながら、もう一方では夢の続きを体験したがっている美江が全裸になって暴れていた。
 彼は期待を裏切らず、美江はいつも最高の朝を迎えた。東京中がミニチュアみたいに見下ろせるマンション。体を覆う白いシーツは清潔で、田舎の部屋の青いギンガムチェックではない。そっと横を見ると、少しだけ年をとったナカタクが、決してテレビでは見せない甘え顔で、すやすやと眠っている。わたしは幸せだった。でもその幸せは、泳美にとっては猛毒だった。
 ナカタクとの関係がスクープされ、まず離れて行ったのは同世代の女性ファンだ。平気な顔をして人の男を寝取りそうな人。女性誌のそんなアンケートでトップを取った頃には、仕事が十分の一に減っていた。事務所の力でダメージを最小限に抑えたナカタクは、わたしを捨てた後、ドラマを二本当て、元の人気を取り戻した。美江の夢の続きはあっけなく終わり、漠然とした不安だけが、泳美に残った。わたしはもう、世の中がどんな泳美を求めているのか分からなくなった。漫画が原作のアンドロイドの役は、失笑を買った。臍を出してソウルダンスを踊るわたしは、完全に自分を見失っていた。安易なイメージチェンジを重ねているうちに、男性ファンも去って行った。事務所には時代に合った新人が入り、わたし中心だった戦略が彼女を軸にシフトチェンジされた。
 スケジュールの確認だと思って取った電話の用件が、訃報だと分かったとき、今までの皺寄せが、津波になって襲ってきたように感じた。当たり前にずっとあると思っていた自分の居場所が、巨大な波にさらわれていった。

 
「あー、おいしかったおかあさんありがと」満腹になった振りをして箸を置き、わたしは言った。「そしたらわたしそろそろ東京戻るわ」
 わたしには真っ直ぐにお母さんの目が見られない。
 ここに居ても状況は変わらない。最初から、やり直すしかない。わたしにはもう、東京で頑張るしか道がない。色々失敗したけれど、仕方なかった。おとうさんの言うように麻薬をやったり不倫したりしないで、真面目に誰かを演じるしかない。おかあさんに甘えていたら、わたしはもっと挫けてしまう。わたしももっと強くなって、成長しなければならない。金額は少なくなってしまうかも知れないけれど、この家のために、お金も送らなければならない。今度は逃げ出すんじゃない。捨てるんじゃない。自分や家族の将来のために、東京に戻るんだ。わたしは無理矢理に自分を正当化してとりあえず気持ちを前向きにした。
「お皿いいよそのままで、礼服汚れてまうし」
 皿を持って立ち上がろうとしたわたしを制して、おかあさんは差し出した手の指を開いた。
「五分。美江ちゃん五分だけ待って。ちょっと渡すもんあるから」
 おかあさんはそう言って台布巾で濡れた手を拭い、小走りに台所を出ていった。
「遺書かな」
 弟が呟き、わたしに視線を送ってきた。わたしはそれに気付かない振りをして、おかあさんが持って来る物の内容を考える。遺書だろうか。梨だろうか。小刻みなスリッパの音が小さくなり、またクレッシェンドで床を叩く。
「はい、おとうさんから」
 予測していたのに、一瞬息が止まった。
 目の前に差し出された物はやはり、〈美江へ〉と宛名書きされた、遺書だった。
「病院にいるときちょっと紙もって来いっちゅうて書いたんや。絶対読むなって言われてたからおかあさんも何書いてあるんか気になるわ」
 こう言う物は、誕生日のプレゼントみたいにその場で開くものなのだろうか。わたしの手は、手紙を受け取ったままの形で、固まっていた。
「俺には?」
「あっちゃん特別にはないよ。美江ちゃんだけ」
「なんや。お姉ちゃんちょっと見してや」
 どう答えようか迷っているわたしに、もう一つ、透明のポーチが渡された。受け取る掌に、汗を掻いている。動揺して聞こえづらくなっている耳に、おかあさんの声が響く。
「あとこれ、美江ちゃんの貯金。いっしょに渡してって」
 暫くの間、何を言われたのか分からなかった。
「貯金?」
 おかあさんはわたしを真っ直ぐに見て、にっこりと笑った。
「小学校んときに郵便局の人来てお金貯めてたやろ、そこに貯めといてやれって、おとうさんが」
「え……」
 ポーチの中には通帳と印鑑が透けて見える。体中の血管が、温度を上げた。わたしは恥ずかしさに息を荒げ、胃の痛みに背中を丸める。無意識に食いしばった奥歯が、骨伝導でぎりぎりと耳に響いた。
作品名:LOVE HOTEL 作家名:新宿鮭