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LOVE HOTEL

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 学校祭が終わってからは、興味のないクラスメイトとグループ行動をする必要がなくなったし、受験や就職活動で大変な時期に、いじめられたりからかわれたりする可能性も低かったけれど、わたしはとにかく、目立ちたくなかった。陰で笑われたくなかった。可哀想だとか言われたくなかった。変わるのは、卒業してからだ。わたしは、東京に行こうと決めていた。
 最後は、卒業式に出る事すら馬鹿らしかった。式が終わって泣いたり笑ったり抱き合ったりする同級生達。涙や希望で活気づいた廊下を早足で擦り抜け、誰もいない玄関で内履きをゴミ箱に捨てた。そして、外履きの入った下駄箱に、封筒を見付けた。それは昔の青春映画に出て来るラブレターみたいな封筒じゃなくて、ゆるく筒状に巻いたB4サイズの茶封筒だった。
 表紙には、中屋美江様。左隅に写真在中とあり、裏には見覚えのある男子の名前が、自信なさそうに小さく書かれている。玄関を飛び出して、小走りしながら封筒の中を覗くと、予想した通り、あの時の展示写真が入っていた。
 まだ芽吹いていない桜の下で、わたしは思いっきりジャンプした。その瞬間、裏日本の湿った田舎町から、完全に解放されたと思った。




 いったい今は、何時だろうか。
 感覚的には二時か、三時か。枕元に置いた携帯電話を開けば正確な時間が分かるけれど、何か能動的な事をすると、ますます覚醒してしまいそうだ。
 国道をたまに通過する、トラックの音。それ以外、何も聞こえない。静か過ぎる田舎の夜は後悔ばかり誘って、わたしはもう眠れそうもない。
 半ば諦めて、目を開く。真っ暗になるのが恐くて点けっ放しにしている豆電球が、天井を弱く照らしている。十年振りに見る天井の染み。おねしょが天井に貼り付いたようなその形が懐かしくもあり、恐ろしくも感じる。寝返りをうつとそこに、おとうさんが立っていそうで、わたしは体を動かせなくなる。
 おとうさんと最後に話したのは、上京する日だった。おかあさんの運転で駅に向かう前、玄関先で言われた「真面目にやれ」と「変な宗教やらセールスやらに引っ掛かるな」。それが、彼がわたしに直接言った最後の言葉だ。
 優しい所もあったけれど、威圧感のある人だった。角刈りで無愛想な大男。腫れぼったい一重瞼の三白眼。その上の眉間には左右非対称の皺が刻まれ、その日の機嫌によって深くなったり浅くなったりしていた。左手の小指の爪だけを長くのばしていて、よくそれで耳の穴をかいていた。
 卒業したら必ず帰ってくるんなら東京の学校行ってもいいって。
 おかあさんが夫婦会議の結果を報告してきた時、わたしは心からほっとした。閉じ込められていた洞窟の扉が、わたしの体の幅の分だけ、すっと開いた感じだった。
 東京に行ける。
 わたしはベッドにダイブして、このシーツに顔を擦り付けながら喜びを噛みしめた。
 大学や短大には、行く気がしなかった。そこは巨大な〈友達もどき製造所〉みたいな気がして気持ちが悪かったからだ。写真の専門学校を選んだ理由は、消去法。大学に入る学力がなかったからここに来ました、みたいな学校を外していくと、芸能系やメディア系、ファッション系やアート系しか残らず、その中で人に知られて一番恥ずかしくない専攻が、写真だっただけだ。と、あの頃は思っていたけれど、引出しの中の写真も、少なからず影響を与えていると、今は思う。何かを変えてくれるかも知れない不思議な力を、わたしは写真に感じていたのだ。
「卒業したら帰って来いって言うたのに。学校も勝手に行かんようになって、どんだけ無駄な金使わすんや」
 突然の声に驚いて起き上がると、遺影と同じ赤いポロシャツに金のネックレスをしたおとうさんが、わたしを見下ろしていた。声がくぐもって聞こえたのは、口の中に綿が入ったままになっているからだ。
「携帯の番号も教えてくれんと」
 おとうさんは不機嫌そうに言い、眉間に深い皺を寄せている。
「ごめんなさい」
 わたしはぎゅっと目を閉じて、直角に頭を下げた。
 自分の頭頂部に意識を集中して、リアクションを待つ。沈黙に耐えられなくなってそっと片目を開けると、おとうさんは小指の長い爪で耳の穴をかいている。でもそこにも綿が詰まっていて、思うように指が入らないようだ。おとうさんはチッと舌打ちして、優しいときの顔でわたしを見た。
「まあ、いいわ。終わったことやし。よう帰ってきたなあ」
「ごめんなさい」
 それしか、もうわたしには言えない。
「ほやけど、えらいべっぴんになったなあ。誰に似たんやろう」
「おとうさん……。だと思う」
「ほうやろ。美江が子供んときからよう言われたもんやわ」
 少しだけ機嫌が戻った所で、おとうさんの口癖が出た。
「あー、お前らにいったい幾らつこうたやろうなあ」
 それは、わたしが一番嫌いだった台詞だ。
 少しだけ冷静さを取り戻してきたわたしは、反論しそうになって口を開き、その言葉を発する直前で、矛盾に気付いた。言おうとしたのは〈おとうさんがつこうたお金の何倍も、もう返したやろう!〉だ。
 わたしは事務所経由で、毎月、かなりのお金を実家に入れている。事務所がわたしを裏切る可能性は、あまり考えられない。同じ事をしている事務所の先輩からも後輩からも、トラブルの噂は聞こえてこないからだ。なのに、何故、わたしの実家は十年前と同じなのだろうか。ここに来た時から、ずっと胸にあった違和感の原因はそれだ。何故何もかも、十年前と変わっていないのか。テレビもカーテンも絨毯も、いくらでも買い替えられた筈なのに。わたしは言葉と唾を、同時に呑み込んだ。
 それよりも……。
 わたしはもっとすごい事に気が付いた。ふつう霊が現れる時は、死んだ状態と同じ格好をしているものじゃないだろうか。映画でもドラマでもコントでも今まで見た映像は、だいたい決まってそうだった。頭に逆三角形の白い布を付けていたりするのは、つまり棺桶やお墓から出てきましたよ、みたいな事を表現しているのだろうと思う。たまに、生きていた時と同じ格好で出て来る場合もあるけれど、目の前のおとうさんはどちらでもない。と言うか、ミックスだ。服装は遺影と同じ普段着なのに、口と耳には綿が詰まっている。遺体はげっそりとやつれていたのに、その頬には張りがあり、病人や幽霊にはとても見えない威圧感がある。
「まあ、元気で何よりや。麻薬やったり不倫したりせんと真面目にやらなあかんぞ」
「はい」
「あ、それから。変な宗教やらセールスやらに引っ掛かるな」
「わかった」
 もしかしたら、これは夢なんじゃないだろうか。そう言えば、わたしはさっきまで布団で寝ていた筈なのに、真っ黒な空間に靴を履いて立っている。小指の爪の伸びた左手をぴっと上げて去って行くおとうさんのBGMはテクノっぽい電子音で、普通ならそう言う効果音は、背中が小さくなるとともにフェードアウトするものなのに、あろう事か、逆にどんどん大きくなってくる。
「美江ちゃん」
 今度は、おかあさんの声がする。
「美江ちゃん、携帯鳴ってるよ」
 わたしは飛び起きて、携帯電話のアラームを切った。
「あ、なんや目覚ましやったんか。もうちょっと寝ててもいいよ」
「いや、起きる」
作品名:LOVE HOTEL 作家名:新宿鮭