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LOVE HOTEL

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 その理由は、わたしが中二の時、運悪く地元に公立の高校が出来たからで、馬鹿高校を作って街を不良だらけにしたくなかったこの町の教育委員達が、わたしの中学の馬鹿以外の生徒を、全員その新設校に入れるように指導したからだ。秀才でも落ちこぼれでもなかった透明なわたしも、当然新設校に行くように勧められ、それは抗いようがなかった。バスと電車を乗り継いで、市内の私立に通う事は、熱心にスポーツでもやっていない限りは不自然で、わたしは不自然な事をしたくなかったし、する勇気もなかった。
 公立なのにエスカレーター。
 同級生の半分弱が同じ中学出身者だったその高校で、わたしは何も変われずにいた。中学時代目立たなかった女の子の中には、眼鏡をコンタクトに変えたり、髪をほんの少し明るく染めて来たり、ガールズバンドを始めたりして、華やかに高校デビューする人もいたけれど、わたしはどうしたらいいのかも、自分がどうしたいのかも分からないまま。授業が終わるとそっと家に帰り、部屋に閉じこもってライトノベルとアイドル雑誌ばかり読んでいた。
 今の自分からは考えられないけれど、わたしは恋に恋する少女だった。学校で溜まったストレスは、この狭い部屋の中で処理された。空想の中では、ある日突然、男子たちがわたしの魅力に気付いて騒ぎ出したり、アイドルの中田拓哉と付き合い始めてキスしたりした。そしてその空想は、その後、二つとも現実になった。

 わたしはまた学習机の引出しを開け、モノクロの写真を見た。
 高校生時代で唯一の、高校生らしい想い出(いや、高校生と言うより中学生レベルだ。わたしは人よりいつも、三年遅れている。そう言えば年もちょっとだけ、サバを読んでいるし)。手に取った印画紙は、十年分の湿気を吸ったり吐いたりして、山なりに歪んでいる。指先に吸い付くような紙の質感が、青臭い記憶を運んでくる。

 高校三年の秋、学校祭の時だった。
 わたしは友達の振りをしていつも一緒にいた地味なクラスメイト二人と、食べたくもないたこ焼きのパックを手に持って、校内を地味に歩いていた。ちょうど講堂での学生ライブが終わって、大人しい生徒と活発な生徒が廊下で混じり始めた頃、空き教室に行く途中に通りがかった写真部の展示室手前で、妙な視線を感じた。擦れ違う後輩の男子三人組。その内の一人、ニキビ面で背の高い子が、ねっとりとした目でわたしを見た気がした。わたしは俯いて目を逸らし、全身の皮膚をアンテナにして彼の気配が遠くなって行くのを待った。何年もの間、密かにそして真剣に学内の人間観察を続けてきたわたしには、その時の視線が、間違いなく男が異性を意識する時のものだと分かったし、それがあろうことか自分に向けられた可能性がある事に背筋を冷やした。わたしは珍しくクラスメイトを誘い、逃げ込むように展示室に入った。
 室内ではパーテーションで迷路状に仕切られた通路に、どうでもいい写真が飾られていた。盥の中のスイカとか、逆光の稲穂とか、舌を出した雑種の犬とか、乳歯の抜けたその辺の子供とか。リレーで最後のコーナーを曲がる男の子とか、ひび割れたアスファルトから雑草が顔を出して何かを暗示しているやつとか。桜が舞う校庭の隅で空を見上げている女の子とか……。
 それは、わたしだった。
 グラウンドの隅、プールの更衣室の屋上あたりから撮ったであろうその写真は、桜の枝を手前に入れ込んだ引きのサイズで、誰もわたしだとは気付かないようなものだったけれど、わたしには分かった。写真の瞬間に、覚えがあったからだ。
 三年生になった春、掃除の時間にゴミ捨て場に行った帰り、風が吹いて花びらが舞った。その時のわたしは迂闊にも、空を見上げて息を吸い、背伸びをしてしまった。何故そんな恥ずかしいことをしたか。それはその時期流行っていた中田拓哉の歌のせいだ。曲名は〈さくら〉で、わたしはその歌を一日に何十回も聞いていた。高校を卒業して遠距離恋愛するカップルが、桜の花びらを一枚ずつ持って離れ離れになる。そんな青臭い恋を歌ったバラード調のラブソングだ。
 前を歩くクラスメイトが、何も気付かずにスルーするのを見て、わたしはほっとした。危なかった。わたしは確かその後、落ちて来る花びらを掴もうと、ジャンプまでしてしまったのだ。二枚の花びらを同時に掴んだら、二人はきっと幸せになれるよ。間奏の途中で、ナカタクがモノローグする。わたしは〈掴んだらいつかナカタクみたいな男の子と両思いになる〉と願をかけて跳び上がり、一発で二枚の花弁を掴んだ。
 この写真をずっと見ているのはまずい。悟られないように、関心がない顔をして、前に進もう。そう思って無表情と笑顔を九対一で浮かべた。いつものように存在を透明にして歩き出したわたしは、いつの間にか立ち止まっていたクラスメイトの踵を踏んでしまった。
「あ、ごめん」
 振り返った友人もどきの目が普段の一・五倍の大きさに開かれて、わたしを見た。靴を踏んだ事が理由でないと察したわたしは、彼女たちの前に溜まった五六人の学生達が見ている写真に気付いて、息を止めた。
 今度はクローズアップだった。
 花びらに向かってジャンプする瞬間の、微笑んだわたし。普段は眉毛にかけていた前髪が持ち上がって、おでこが丸出しになっているわたし。今度は誰も疑いようがない。それは明らかにわたしで、粒子の荒いその写真は、とても奇麗だった。グラウンドの土は黒く潰れ、空中に静止したわたしと花びらだけが、白く浮かび上がって見えた。
 学校祭が終わって一月も経つと、友達もどき達がわたしを避け出す予兆を感じた。思い上がりや思い違いなんかではない。それまであった〈お互いを憐れむ感じ〉が薄らいでいた。理由は、断言出来る。わたしがもてだしたからだ。
 学校の中での人気も、世間の中での人気も、きっかけは同じだ。陰で誰かが誰かに好意を持って第三者にそれを話し、その噂がどんどん広まっていく内に、好意の気持ちが感染していく。結果、どうってことのない生徒がもてだしたり、どこがいいのかさっぱり分からないタレントが、テレビ局へロケ先へと分刻みで移動したりしている。もっとも嫌われるときもそれは同じで、落ちるのはあっという間だけれど。
 とにかくわたしは、もて始めた。
 卒業を目前にして、集中力が切れかけていたのかも知れない。存在感を消しているつもりでも、たまに男子に話しかけられるようになり、何人かの男子が、わたしを好きだという噂が流れた。同じクラスの中では、テニス部の部長だった男子が明らかにわたしを意識し始めた。人の顔色ばかり窺っていたわたしには、彼の不自然さがすぐに分かった。外国種の猟犬を想像させる利発そうな目が、気が付くといつも、私の方を見ていた。わたしは彼を嫌いではなかったけれど、彼と極力目を合わせなかったし、意識して彼に近付かなかった。
 わたしは気を引き締めて、その時を待った。
作品名:LOVE HOTEL 作家名:新宿鮭