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LOVE HOTEL

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 宝石だと思って大事にしていたものは、実は牛の鼻糞だった。いや、それ以下だ。あんないかがわしいものにときめいていた自分に腹がたった。男子だけが聞いた性の話は、いったいどんな内容だったのだろうか。もしかすると「セックスは普通ラブホテルでやるもので、ラブホテルと言うのは例えば中屋さんの家がやっているブルーシャトーみたいな所です。子供は絶対に近付いてはいけません」みたいな話をされているかも知れない。そんな事ばかり考え出すようになったわたしはそのうちに、実家がいやらしい仕事をしているのを理由に、いじめのターゲットにされるのではないかと妄想し始めるようになった。おねしょは流石にしなくなっていたが、同級生から「ラブホ」とか「ブルーシャトー」とか「セックス」とか、わたしをからかう言葉を連呼される夢を見て魘されるようになった。胸が膨らみ始めたり、股間の産毛が濃くなってきたり、自分の体に成長による異変を見付ける度に、早熟な同級生がわたしの秘密に気付いて騒ぎ出すのを恐れて吐きそうになった。
 学級副委員長をやった事もある割と活発だったわたしは、鬱ぎがちになり、少しずつ、自分の存在を消していった。
 授業で手を挙げる回数を減らし、男子と話す回数を減らし、意味なく笑う回数を減らした。暗い子でも明るい子でもない。勉強が出来る子でも出来ない子でもないようにテストの答えをわざと間違え、運動の出来る子にも出来ない子にもならないように跳び箱をわざと失敗したり、徒競走を三着狙いで手抜きしたりした。クラスでは同じ国道沿いにある定食屋の息子の肥満児が、無視されたり蹴られたりしていつもねばねばした汗をたらしていた。わたしはいつ自分の番が来るかと怯えながら、フォークダンスでは他の女子と同じように、幼馴染の中指の第一関節だけを握った。
 確実に、あれが、わたしの人生を変えていった。

「東京のおばちゃんサインして」
 弟の背後から子供の頃の弟そっくりな坊主頭が現れて、CDとマジックを渡された。東京のおばちゃんとは、間違いなくわたしの事だ。わたしたちの家族には、地元ではない所に住んでいる親戚を、頭に地名を付けて呼ぶ習慣があった。そしてどう見ても、この子は弟の息子だ。確か二十歳ぐらいで出来ちゃった婚した筈だから、もう五歳ぐらいだろうか。わたしはこの子の名前さえ知らない。弟の結婚を聞いたのも事務所のスタッフからだし、結婚式のあった日には、海外ロケのスケジュールを入れた。
「いいよ」
 ハンカチで涙をおさえて鼻水を拭った。こんな時、絶妙のタイミングで現れて化粧や髪を直してくれるメイクさんは、当然ながら今日はいない。一昨年の今頃に発売して、未だに在庫の山を抱えているCD〈EIMI BEST〉にサインして、水疱瘡の跡がある坊主頭を撫でた。
「葬式やのうて結婚式やったら美江ちゃんに一曲歌ってもらうんやけどのお」
「ほうやのう」
 笑い声に振り向くと、近所の年寄りや親戚達。奈良のおじさん夫婦、滋賀のおばさん夫婦も全員集合して、珍しそうにわたしを見ている。
「こんばんは」
 誰とも目を合わせずに言って立ち上がり、彼らの間を通り抜ける。こうやって自分を小さく、小さく。目立たないように、厄介事に巻き込まれないように、そう思いながら振る舞うのも、十年振りの事だ。

 仏間を出たわたしは居間に入り、やっと丸めていた背中を伸ばした。そして、そこに貼られたわたしのポスターに気付き、すぐに目を逸らした。白いホリゾントの前に立つわたしは天使の羽根を着けてCGの涙を流している。染みだらけの絨毯も、おとうさんの煙草のヤニで茶色くなったカーテンも、ブラウン管のテレビも、テレビの脇に飾られた虚無僧の竹人形も、十年前と何も変わらない部屋の中で、偽善者のポスターだけが異様に浮いている。
「お風呂入るんやったら洗ってあるでそのままお湯入れて入って」
 おかあさんが入ってきて、冬以外は座卓として使っている家具調炬燵の上に、お茶を置いた。湯呑みの置かれた場所は、わたしがいつも座っていた席だ。
「東京と違うて未だに四つしか映らんけど寂しかったらテレビ点けるか」
「ううん。いい……」
「ほうか。あら美江ちゃんどうしたんや。立っとらんで、ほら座ってや、変な子やのう」
「ありがと……」
 苦しまなければならないわたしは座布団に座り、飲む資格のないお茶を啜った。
「よう帰ってきたのう。べっぴんさんになって誰に似たんやろう」
 隣りに座ってわたしの顔を覗き込んだおかあさんが、そう言って笑う。鼻と目を、少し直しているわたしには、おかあさんの視線が痛い。気付かれているだろうか。
「どっちかっていうと、おかあさんじゃない」
「そうやろ。よかったのう、おとうさんに似んで。しばらくはゆっくりしていかれるんか」
「明日の夕方過ぎには、東京戻る」
「ほうか。あ、梨あるけど食べるか」
 わたしは頷いて、台所に去って行くおかあさんに、ごめんなさいと念を送った。胃が持たない。
 わたしはちゃんと、声に出して謝らなければならないし、話さなければならない事も沢山ある。まだ甥っ子の名前も知らないし、おとうさんの病気が何だったのかもちゃんと確認しなければならない。明日の葬儀の段取りも、今日はあと何をして何時に寝ればいいのかも、風呂に入ったらわたしの部屋で寝ていいのかも、何も分からない。
 廊下の方から甥っ子の声がする。
「東京のおばちゃんはナカタクと結婚したかったけどできんかったんやろ」
 消えてしまいたい。
 わたしは息を殺し、目を閉じ、自分の存在を消した。
 中学生の頃のように。




 マクドナルドもデニーズもない北陸の郡部のド田舎に、私立中学に入る道などなかった。地元の公立中学校は、学区内に三つある小学校をまとめたもので、近所の同級生は引っ越しでもしないかぎり、全員同じ進路を進む事になる。そして、わたしは、その町立中学校に入った。この町には、お受験も学習塾もなかった。
 校則遵守の髪型、スカート丈、セーラー服のリボンの結び方で並んだ入学生の列でわたしは気が付いた。街の小学校出身の子は、校則を守っていない。街と言っても家と家の間があまり離れていないだけの違いだけれど、その差が、服装や態度に現れている。入学式のその日から、わたしは計算していた。どのぐらいの髪型、どのぐらいのスカート丈、リボンの大きさにすれば、一番目立たないか。お洒落過ぎても、ださ過ぎてもいけない。普通か、その少しだけ下の格好が丁度いい。
 最初の中間テストで良い点数を取り過ぎてしまった事と、目立たないようにと入部した美術部に同級生の女子が自分を含めて三人しかいなかった事以外は、ほぼ完璧だった。入学して最初の夏休み前には、わたしはクラスで一番目立たない女の子になっていた。
作品名:LOVE HOTEL 作家名:新宿鮭