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LOVE HOTEL

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「読んでみたら?」おかあさんがわたしに顔を近付けて言った。「ごめん、ほんと言うとおかあさんもう読んだ。いいこと書いてあるよ」
 考えが纏まる前に、勝手に両手が封筒を開いた。出てきた便箋の文字は乱れていて、それだけで胸が詰まった。読み始めて二秒後には、わたしの胸は粉々に壊れていた。


美江へ

お父さんはもう死にます。
美江が東京に行ってもう十年経ちますね。テレビで観る美江ちゃんはべっぴんになったけど、誰に似たんかな。
直接会わないまま死ぬのはちょっと寂しいけど、立派な子に育ったのをいつも見れて、満足しています。おとうさんも自分の格好悪い姿を見られなくてちょうど良かったかも知れんな。
島田さんに振り込んでもらってるお金は、ちゃんと貯金しておいたから困った時に使うように。携帯電話の番号も教えてくれんのにと最初は思ったけど、美江ちゃんが連絡してこない理由を島田さんから聞いて、本当に悪かったと思っています。お父さんは親父を早くに亡くして、土地と田んぼしか持っていなかった。他にもっといい商売を思いついてやれればよかったけど、ラブホテルしか思いつかんかった。
淳宏も跡継いでこれからも続くけど、仕事だから堪忍してください。家族を育てていくのは大変です。
あと何書いたらいいか分からんようになってきたわ。
とにかく、お父さんは子供二人ちゃんと育ってくれて満足してます。
ありがとう。たまにはこっちにも帰ってこい。おかあさんと仲良くやれ。元気で。

父より


 声を抑えられない。わたしは三歳児みたいに、声を上げて泣いた。
「美江ちゃん、おとうさんもおかあさんも何も怒ってないよ。近く来たらいつでも寄ってな」
 おかあさんのやわらかい指が、わたしの髪を撫でた。わたしはその瞬間に、本物の中屋美江に戻れた気がした。
「ごめんな。ごめんな。おかあさんごめんな」
 わたしはおかあさんに抱きついて、頭を擦り付けた。おかあさんは鼻水だらけのわたしをぎゅっと抱いて、だいじょうぶや、だいじょうぶや、と耳元で囁いた。
「おかあさんもあっちゃんもおとうさんも、わたし全然嫌いじゃないし……」
 最後は声にならなかった。弟の大きな掌が、わたしの背中を撫でた。
 わたしはやっと、この家に、戻ってきた。




「じゃあ、行くね。また帰ってくる」
 平松の車にキャリーバックを積んで、おかあさんに手を振った。来る時に抱えていた胃袋の中の鉛は、もう随分軽くなっている。
「納骨の日にち決まったらまた言うから。島田さんに言えばいいやろ?」
「携帯の番号とメール、恥ずかしいで紙に書いて部屋に置いておいた。直接掛けて」
「ほうか」
 おかあさんは笑ってくれているのに、わたしはまた垂れてきた鼻水を啜っている。
「ごめんの、泣いてばっかで。女優失格や」
「だいじょうぶや。子供のときはよう泣いてたがの。スイカに蠅が止まっただけで泣く子やったよ」
「うそ、全然憶えてない」わたしはやっと笑って、おかあさんの目を見た。「携帯……、あっちゃんにも教えといて」
「分かった」
 外はすっかり夜になっていて、蝦蟇蛙と秋の虫が競い合って鳴いている。国道を走るトラックが、低い音を発てて通り過ぎていく。稲の匂いがする空気を深呼吸して、わたしはおかあさんに、頭を下げた。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
 わたしが見えなくなるまでずっと、おかあさんは玄関で手を振っていた。弱い人だと思っていた。いつもおとうさんの言いなりで、文句も言わずに働いてばかりいた。少し小さくなった筈のおかあさんが、今は十年前より大きく見える。
 おとうさんには悪いけれど、わたしは、どう見てもおかあさん似だ。




「お疲れさまです」
 平松が遠慮がちに小声で言い、車は国道に乗った。おかあさんが見えなくなって前を向くと、入れ替わりにブルーシャトーが姿を現す。わたしは手の甲で、目尻に残った涙を拭い、少しイントネーションのおかしい東京弁で言った。
「お疲れ。ひらまっちゃんどこ泊まってたの?」
「駅前のビジネスホテルって看板出した旅館です」
「そっか」
「これからまただいぶかかりますんで、寝ててください」
「ありがと」
 空室ありのサインが、オレンジ色に点滅している。駐車場のアーチが、カップルたちを誘い込もうと大きく口を開いている。
「ねえ」
 わたしは運転席に身を乗り出した。
「はい」
「ちょっと寄り道していい?」
「いいですけど、どこへ」
「ブルーシャトー」
「はい?」
 冷静な平松が、体ごと振り返ってわたしを見た。
「一回入ってみたいと思って」
「いや、それは」
「ひらまっちゃん何勘違いしてんの。ちょっと入ってみるだけだよ、ってこれじゃまるでラブホに誘う男の台詞か。とにかく、ちょっと停まって。UターンUターン」
「でも……」
「いいじゃん、何もしないから」
 そう言った自分が可笑しくて、わたしは声を出して笑った。
「でも写真でも撮られちゃったら首になっちゃいますよ。いや、それより先に社長に殺されちゃううかも」
「大丈夫。わたしもうそんな人気ないから。スキャンダル女優だし」
 平松が答えに困っている。わたしは平松が喋る間を潰して、話を続けた。
「ひらまっちゃん知ってるか分かんないけど、ここわたしの実家がやってんの。一回入ってみたいけど一人じゃ入れないし男もいないし、親に内緒でちょっと見るだけだから、ねっ、Uターン」
「いや、でも……、まずいですよ」
「お願い。ひらまっちゃんわたしより年下でしょ、今日だけ、お願い」
 平松は聞こえないくらいの声で分かりましたと言い、路側帯に車を寄せた。

 ホテル ブルーシャトー この先200M左

 Uターンした車のフロントに看板が迫り、すぐにまた、青い城が見えた。




「一番上の階の向かって右の一番奥の部屋取ってよ」
「はい」
「あ、どうせこんなの経費で落ちないだろうから、持ち合わせなければ香典から使って」
「え、それは、まあ、何とかします」
 受付の中の人とは目が合わない構造になっているように見えたけれど、わたしは一応その死角に入ってロビーを見回した。昔、渋谷で見たのと同じような水槽があって、その中でグッピーが泳ぎ回っている。そう言えば子供の頃、グッピーを飼った事があった。弟がザリガニを捕まえてきて同じ水槽に入れ、次の朝、全滅したグッピーを見たおとうさんが真っ赤になって怒ったのを思い出した。あれはいくつの時だっけ。
「あのすいません。休憩でいいですよね」
 平松が早歩きで戻ってきて、小声で言った。
「いいに決まってんじゃん」
「すいません」
 わたしは少し平松が可哀想になって、また小走りに戻って行く彼の背中に、「ごめんね、ひらまっちゃん」と囁いた。

 少なくとも半径五キロ以内には一つしかないだろうエレベーターに乗って、最上階(と言っても四階)の廊下に出た。当たり前だけれどもここで舞踏会をやっている筈はなく、目の前に現れたのは、地味なドアが並んだただのラブホテルだ。
作品名:LOVE HOTEL 作家名:新宿鮭