欲龍と籠手 下
このままじゃ。クオレが、自分を助けようとしてくれた娘がクロイモリの餌食になる。ウォーレンは血相を変えて木から飛び降り、着地するとあらん限りの力で石畳を蹴った。
「頼む!間にあってくれ。」
クオレの瞳に迫ってくるクロイモリの巨体が写る。
無数の金貨がうごめくその体。無数の足と長い胴体で石畳を這うおぞましいその姿にクオレは恐怖し小さな悲鳴をあげてその場に立ちつくした。
「小娘の分際で!」
クロイモリの巨大な腕がふりあげられる。
ウォーレンとクロイモリの距離はまだだいぶある。ウォーレンは絶望的な状況に呼吸がいっそう荒くなった。
「やめろー!!」
「俺の邪魔をするんじゃね!」
そう怒鳴ると凄い勢いでクロイモリは自分の腕をクオレにむかって振り下ろした。
バキ!!
あたりに鈍い音がひびいた。
ギチギチギチ
クオレの目の前にはワインレッドのコートを着た男の背中が見えた。クロイモリの腕をエルコットがその体で受け止めてクオレを守っていた。
「エルコット!」
クオレは瞳に涙をためて名前を呼んだ。
エルコットは肩で息をしながら、ぶっきらぼうに言った。
「はぁ、まったく!勝手にしろって言われて、本当に勝手にする奴がいるかよ!」
「エルコットめ!死にぞ来ないの分際で!今度こそ消えろ!」
クロイモリのもう一方の腕が横殴りにエルコットに迫った。
「エルコット!逃げて!」
「くそ!避けられねぇ!」
クロイモリの腕がエルコットを襲うその寸前にウォーレンが間に割って入った。
「間に合った。」
ウォーレンは剣でクロイモリの腕からエルコットを守った。
エルコットはその様子を見て、戸惑った顔をした。
「てめぇ。一体何のつもりだ?」
「いや、なに。あんたが傷つくとそこのお嬢さんが悲しむからな。」
ウォーレンは顎でクオレのことをさした。
「クオレ。とっととクロイモリのバカから金貨を引っぺがしてやれ。」
クオレはこくりと頷くと左手にはめた籠手をクロイモリにむかってかざした。
「おい!貴様!やめろ!」
クオレの左手に黒い影の渦が発生して激しい風が舞い起こった。
エルコットを抑えていたクロイモリの太い腕がバラバラと崩れて次々に渦に吸い込まれていく。
「うあああ!やめろ!」
5mあったクロイモリの巨体からガラガラと金貨がこぼれおちてどんどん小さくなっていく。
波にさらわれる海岸の砂山のようにクロイモリの体は影の渦の中に吸い込まれて崩れていく。
もはやクロイモリの巨体はサンショウウオの原型からかけ離れ、ただの金貨の塊となりはてていた。
その金塊の中から黒い小さな生き物が這い出してきた。
それは黒いトカゲのような平たい生き物だった。黄色いビー玉のような二つの目が爛々と光っている。
「あいつか。クロイモリの正体は」
ウォーレンは黒い生き物をにらみつけた。
クロイモリの本体は怒りをあらわにして金貨の山の上で体をのけぞらせた。
「もう金貨は残ってない!もう終わりだ!クロイモリ」
ウォーレンは怒鳴った。
「お前たち!よくもやってくれたな!」
クロイモリの言葉には憎悪がこもっていた。
「もう許さんぞ!」
「お前に何ができるっていうんだ?」
「おまえらはわかっちゃいない。イモリの怖さは毒にある。お前らに本当の苦しみを教えてやる。」
クロイモリはより一層体を反らせると胸をはった。クロイモリの胸が風船のように膨らんだ。
エルコットはクオレを庇い彼女を抱きしめた。ウォーレンは剣を構えて、クオレとエルコットをクロイモリから守る姿勢をとった。
「悶え苦しむがいい!」
クロイモリが口から毒を吐きだそうとしたその瞬間青い閃光が金貨の上で体をのけぞらせていたクロイモリの体をとらえた。
クロイモリの体は青い閃光に焙られ、吹き飛ばされて、数メートル先の石畳に叩きつけられた。
「間に合ってよかった。」
ウォーレンが声がした方を見やるとラッパ銃を構えたアンジーが立っていた。
金貨に押しつぶされて危うく窒息しかけていたせいか、ぜいぜいと息を荒らげている。
ウォーレンはアンジーに駆け寄った。
「よかった。無事だったんだな。」
「金貨風呂は天にも昇る気分だったよ。もう二度とやりたくないけどね。」
アンジーは冗談めかして言うと苦笑いした。
ウォーレンはアンジーが冗談を言ったことで少しほっとしたようだった。
青い閃光に体を焙られ、石畳に叩きつけられたクロイモリの体、ぐったりとしていたその前足の指が突然ピクリと動き出した。
クロイモリは黒い体をのたりのたりと引きずって夜の闇の中にこっそりと逃げようとする。
そんなクロイモリの体を大きな影が覆った。
「ひぃっ!」
クロイモリは思わず小さな悲鳴を上げた。
その影は略奪の籠手を装着したエルコットの左手だった。
クロイモリは籠手の五本の指で体をがっちりと握られて身動きがとれなくなる。
クロイモリはエルコットの手の中で死に物狂いでじたばたと暴れている。
「聞けよ。クロイモリ。」
エルコットは手の中のクロイモリにむかって、静かな口調で言った。
なおもクロイモリは身をよじり、手の中から必死に逃げ出そうとしている。
「あのな。クロイモリ…俺、お前に裏切られた今でも、お前のこと怒ってるわけじゃないんだぜ。」
「………」
クロイモリはじたばた動くのをやめた。
「長い間、俺に付き合ってくれて、ありがとな。」
エルコットはクロイモリの体を握ったまま庭の木陰にしゃがみこんで、そこで手をゆっくりと開いた。
「たっしゃでな…」
クロイモリはのたりのたりとエルコットの手のひらから這い出すと庭の茂みの中に消えて行った。
第16章 真実
「おい!お前ら!コソ泥二人組!!」
アンジーとウォーレンはエルコットの声を聞いて、ドキリとする。
二人がエルコットのいる方を見るとエルコットが何かを投げるのが見えた。
「うわぁ!きっと爆弾だ!」
アンジーは頭を抱えて、その場にしゃがみこんだ。
「いや、違う見たいだぞ。」
弧を描いて何かが二人の立っている場所に飛んでくる。
ウォーレンはエルコットの投げたものを両手で受け止めた。そして、それをしげしげと眺めた。
それは手のひらに穴のあいた籠手だった。
ウォーレンはそれを見て、エルコットの姿を眺めた。
「もう金貨を集める理由がなくなったからな。お前らにやるよ。お前らもとっととどこかに行っちまえ。」
「ああ、そうさせてもらうよ。」
ウォーレンはそういうと早速、籠手を左手にはめた。
そして、盗賊二人組は屋敷の塀にむかって走り出した。
「アンジーさん!ウォーレンさん!本当にありがとう!」
クオレは去ろうとする二人組に手を振った。
ウォーレンは塀に腰掛けると、左手で軽く手を振り、塀の向こうに姿を消した。
「クオレも元気で!」
アンジーも塀によじ登り、立ち上がって両手で手を振った後、塀の向こうに姿を消した。
屋敷の中にはクオレとエルコットだけしかいなくなる。
「みんな行っちゃったね。」
クオレはエルコットの傍に歩み寄った。
「これから、どうしようか?」
ふと、クオレはエルコットの目からポロポロ涙がこぼれているのに気づいた。
エルコットは突然うずくまり、鼻を鳴らしながら泣きだした。
「急にどうしたの?エルコット?」