欲龍と籠手 下
「あいつは夜な夜な手を真っ赤にしながら工場で働いて…バカみたいに1人で見捨てられた教会の掃除をして…ボロボロになった聖母に毎日手を合わせて、またかあさんと暮らしたい。またかあさんと一緒に暮らしたいって必死に祈ってんだよ!それなのに…母親があいつに会いに来る途中で交通事故で死ぬなんて、そんなのあんまりじゃないかよ!あいつはあんなに一生懸命なのに、こんな仕打ちがあってたまるかよ!あいつが一体何悪いことしたっていうんだよ!畜生。お前のほしいものなんでもやるから、頼むから早くあいつの母さんを生き返らせてくれよ。」
クロイモリはちらりとエルコットの方に顔を向けた。
「お前に一ついいことを教えてやる。いままで言わなかったが、妖精でもいくつか叶えられない願いがあるんだよ。どれだけ金貨を集めて願ったって、死んだ人間を生き返らせることなんて最初からできなかったのさ。」
そういって、クロイモリは大笑いした。空気がびりびりと笑い声で揺れ動く。
「畜生!畜生!!なんだよ!俺はおまえのこと信じてたのに!!バカにしやがって!」
「うるさい奴だな。消えろ。」
クロイモリはめんどくさそうに言うと平たい巨大な尻尾で辺りをふりはらった。
クロイモリの尻尾がエルコットの体を襲う。エルコットはなんとか籠手で防ごうとするが吹き飛ばされて、2m先の石畳に叩きつけられた。しっぽの衝撃で手にはめていた籠手が外れて、乾いた音を上げて、石畳の上を転がった。
「さて、あとはお前たちだ。」
クロイモリはのっそりと頭を上げるとアンジーとウォーレンを見下ろした。
「飲みこんでやる」
クロイモリは金貨の体を分散させると津波のようにひろがって、アンジーとウォーレンにむかっていった。
ウォーレンはなんとか金貨の大波を避けたがアンジーは金貨の波に飲み込まれた。
「うぁ!」
金貨が体にまとまりついて身動きが取れなくなる。
「アンジー!!」
アンジーにどんどん周りの金貨が群がり、まつわりつき雪だるまのようにどんどん大きくなっていく。ウォーレンにはどうすることもできない。
完全にアンジーは巨大な金貨の化け物に飲みこまれてしまった。
「金貨に埋め尽くされて死ねるなんて、お前の相棒はさぞ幸せだろう?え?そう思わないか?」
クロイモリはウォーレンを見下ろして、あざけるように言った。
「エルコット!お願い!目を覚まして!エルコット」
石畳に叩きつけられて気を失っていたエルコットは自分を呼ぶ声を耳にして、意識を取り戻した。
目を開けると自分をクオレが心配そうな面持ちで見下ろしている。
「よかった。エルコットが目を覚ましてくれた。」
エルコットが目を覚ましたことに気がついてクオレは安堵の表情を浮かべた。
「クオレか…。なんで、お前がここに…」
エルコットはぶつけた額を手で軽く押さえながら体を起こした。
エルコットははっとしたように眼を見開くと気まずそうにクオレに問いかけた。
「おまえ…まさか…さっきの話全部聞いていたのか…」
クオレはこくりと頷いた。
「ありがとう。いままで私のために一生懸命金貨を集めてくれてたんだね。あたしとても嬉しいよ。」
そんな時、突然ドシン!と石畳が激しく揺れた。
クロイモリがウォーレンを追いかけて庭の彫像に突っ込んだのだ。
庭は石畳がめくれ上がり、彫像は粉々になり、ひどく荒れ始めている。
「クオレ。ここにいたらやばい。クロイモリがあいつに気を取られている隙に早く逃げるぞ。」
エルコットはよろよろと立ちあがるとクオレの手を掴んだ。
しかし、クオレはその場を動こうとしない。
「クオレ。どうしたんだ?」
エルコットは怪訝そうな顔をする。
クオレはエルコットの目を見つめた。
「エルコット!お願い!あの人たちを助けて!」
「俺があいつらを?」
エルコットはわけがわからないという顔をする。
「なんで、俺があいつらを助けなきゃいけないんだよ。あんなやつら、どうなろうが俺は知ったこっちゃない。バカなこと言ってないで早く逃げるぞ。」
「あたしがあの人たちに、あなたを止めてほしいって頼んだの。だから私、あの人たちを見捨てられない。」
それを聞いてエルコットの顔色が変わった。
顔がみるみる赤くなっていく。
「はぁ?ふざけるなよ。お前まで俺を裏切ってたのかよ!畜生!どいつもこいつも俺をバカにしやがって。」
クオレはエルコットの言葉に動揺する。
「裏切るなんて…わたしは、そんなつもりじゃ。」
クオレはエルコットになんとか説明しようとすればするほど、うまく言葉が出てこなかった。
「そんなにあいつらが助けたきゃ。勝手にすればいいだろ。」
エルコットはクオレに背を向けるとつかつかと歩きだした。
第15章 決着
「どうしたらいいんだ…」
庭の木の枝に登りながらウォーレンがぼやいた。
金貨をまとったクロイモリにはまったく刃が立たない。
しかも、体にアンジーが取り込まれていて不用意に攻撃するとアンジーにまで攻撃があたりかねない。
ウォーレンがそんなことを考えていると木がずずんと音を上げて激しく揺れた。
クロイモリが木に体当たりしているのだ。
クロイモリは大きな口を開けて待ち構えている。
ウォーレンが下を見てみると木の幹をつたってクロイモリの体の一部となった金貨が這いあがってくる。
まるでそれは樹木の甘い匂いに誘われる無数の蟲のような様だった。
うごめきひしめき合って金貨の群れがウォーレンに近寄ってくる。
ウォーレンは靴で枝に近寄ってくる金貨を蹴り落とす。
しかし、ウォーレンの必死の抵抗も空しくあっという間に枝は金貨の群れに占領されて、ウォーレンの足元は金貨で埋め尽くされた。
「くそ。もうここまでか…。」
金貨がウォーレンの服の袖から首筋や腕にまとわりついてくる。
だんだん体に金貨がへばりついて身動きが取れなくなっていく。
その時だった。
突然、木の下にいたクロイモリの体が少しづつ崩れ始めた。
その拍子にウォーレンの体にまとわりついていた。
金貨もボロボロと剥がれ落ちる。
「何が起こったんだ?」
まだ体にへばりついている金貨を払いのけてウォーレンは木の下を覗きこんだ。
木の下には渦巻状の影が広がっている。
その影にずぶずぶとクロイモリの体が少しずつ引きずり込まれていくのが見えた。
ウォーレンがクロイモリから目をそらすと数メートル離れた場所に地面につけてひざまずく人間の姿が見えた。
「クオレ!!」
それは略奪の籠手をはめたクオレだった。
「ウォーレンさん!お願い!今のうちにそこから逃げて!」
クオレは木の上のウォーレンに必死に叫んでいる。
「小娘が!邪魔を!」
クロイモリは怒りをあらわにし、頭をクオレの方にむけた。
その様子を見て、ウォーレンは叫んだ。
「やばい!クオレ!あいつがお前を狙ってるぞ!頼む!逃げてくれ!」
ウォーレンは木の上からクオレに向かって大声で叫んだ。
クロイモリは無数の足をばたつかせ、長い体をまるでムカデのようにくねらせながら、石畳の上を這う。
クロイモリの巨体がボロボロと崩れながらもすごい勢いでクオレに迫る。
「くそ!この距離じゃ間に合わん。」