欲龍と籠手 中
部屋にはカーテンがしてあって、薄暗かった。
それとも、ここは天国の前の待合室か何かだろうか。まぁ、盗賊の自分が天国にいける保障などないが。
扉があいて、少女が入ってきた。
アンジーは息を飲んだ。可憐な黒髪の少女だった。
艶やかな黒髪をボブカットにしている。
大きな瞳に厚く真っ赤な唇、とても健康的で活発な印象を受ける。
白いワンピースがよく似合っているなとアンジーは思った。
「あの、君は天使かなにかですか?」
少女はアンジーに声をかけられてアンジーが目を覚ましたことに気がついた。
「よかった。目が覚めたんだ。」
少女はかがみこんで、安堵の表情を浮かべた。
アンジーの頬がぽっと熱くなる。
「あの、その、僕は一体?君が手当てを?」
「あなたは家の裏に打ち上げられていたの。大した怪我がなくて幸いだったわ。」
「大した怪我じゃない?」
アンジーは体を起こす。脇腹の周りに包帯が巻いてある。
少女が巻いてくれたに違いない。包帯をずらして、撃たれた脇腹の傷を見てみる。
脇腹には大した傷が見当たらない。
おかしい。あの時は確かに脇腹をピストルで撃ち抜かれたはずだ。
あんなに血が後から後から流れていたのに。アンジーは自分の手のひらを見つめる。
撃たれたときに血がべっとりと付いていた感触をありありと思い出す。
それとも、あれは自分が撃たれたと大げさに勘違いしただけだったのだろうか。
今思えば、そんな気もしてくる。実は弾丸は自分の脇腹をかすっただけで、気が動転した自分が思ったよりも血が出ていると慌てただけのような気がする。
「だいぶ元気になったみたいで、よかったわ。」
少女はにっこりと笑った。
アンジーはふかぶかと頭を下げた。
「僕はアンジーと申します。助けていただいて、どうもありがとう。なんとお礼を言えばいいか。えっとお名前は?」
「私はクオレ。気にしないで、これも神様の思し召しなんだから。」
そう言うとクオレはすくっと立ちあがった。
「さて、アンジーさんがはやく元気になれるように、私朝ごはんの準備をしてくるわ。準備できたら呼ぶから、少し待っててね。」
「はい~」
アンジーはクオレが部屋から出ていくのをニコニコ笑い。手を振りながら見送った。
バタンと扉が閉じて、部屋の中が静かになる。
「くー」
アンジーは枕を頭に押し付けるとベットの上でごろごろと転がった。
悪くない。自分は天国よりもよっぽどいいところに来たんじゃないかしら。
幸運過ぎて、次の瞬間なにか天罰が下される前触れではないかと不安にすらなる。
耳を澄ますと下の階でまな板を使う音が聞こえてくる。
下は厨房らしい。クオレが料理しているにちがいない。
「でな、聞いてくれよ。昨日は最悪だったんだぜ。」
すると突然、クオレの声とは違う男の声が聞こえてきた。何か愚痴を言っているように聞こえる。
アンジーは耳を澄ませた。
「そうなの。フフッ、それは災難だったわね。」
クオレが楽しそうに笑う声が聞こえる。
なんだか、風船のようにパンパンに膨らんだアンジーの心がしょぼしょぼしぼんでいく気がした。
「俺は途中で母さんの形見のロケットがないことに気がついたんだ。それで、家にかえったわけよ。そしたらな、薄汚い顔した二人組のコソ泥が俺の家に勝手に上がりこんでやがったんだ。」
「まぁ。」
「見せてやりたかったね。俺が部屋に入ってきた時にそのコソ泥がどんな顔したか。こんなんだぜ。」
クオレの朗らかな笑い声が聞こえてくる。一緒にいる男がコソ泥の驚いた顔でも真似して見せたんだろう。アンジーは少しいらだたしげに指でベットの縁をコツコツと叩いた。
「フフッ、そうなの。あなたに鉢合わせするなんてその泥棒も気の毒ね。」
確かに、忍び込んだ家の主が突然帰ってきて鉢合わせするなんて、相当不運な泥棒だとアンジーも泥棒に同情した。
「それでな、許せないのがそのコソ泥、何を盗もうとしてたと思う?よりによってもそいつ、俺の母さんの形見を手に握ってやがったんだ!」
男は語気を荒らげていた。
アンジーはこの声をどこかで聞いたことがあるような気がした。
一体、どこだったか。
「え?それってもしかしてあなたの大切にしてるお母さんのロケットのこと?ねぇ、エルコット?」
エルコットだって!?
アンジーははっとする。そうだ。この声はエルコットの声に間違いない。昨日家に忍び込んだコソ泥とは自分とウォーレンのことではないか。どうしてよりによってあいつがこの家にいるんだ?
アンジーはふとんの中で頭を抱える。
やばい。あのロケットはあいつの母親の形見だったのか。道理であんなに怒っていたわけだ。
エルコットがどんと机を叩く音がした。
「そうだ。よりによってもロケットを持って、そのコソ泥は逃げやがった。あの忌々しいメガネザル。もし見つけたら、ただじゃおかねぇ。大砲で腹に大穴をあけてやる。」
どうしようか。ロケットはエルコットに襲われるのが怖いからとウォーレンに渡して、持っていない。
もしも、あいつに見つかったらだだではすまない。今度こそ殺されるかもしれない。
ロケットをどこにやったのかと、ひどく痛めつけられるかもしれない。
アンジーは背筋が凍る思いだった。
ここはやり過ごすしかない。
「あらあら、お腹に穴が開いたら大変ね。」
クオレはのんびりと答えた。
「ところで、クオレ。今日は1人分皿が多く用意されてるみたいだが、だれか客でも来るのか?」
アンジーは嫌な予感がした。ベットから飛び降りて、床に耳を当てる。より一層耳をすませる。
「ええ。アンジーさんっていう男の人の分だよ。」
「男?」
明らかにエルコットの声は不満そうだった。
「川で溺れていた気の毒な人なの。温かいものでも食べてもらって、はやく元気になってもらおうと思って。」
エルコットは呆れたような口調で言った。
「お前は本当にお人よしだよな。そんな奴、ほおっておけばいいのに。」
「あんたはまた、そういうことを言う~。神様、お天道様はちゃんと見てるんだよ。そんないじわるなこと言わないで二階にいるアンジーさんを呼んで来て頂戴。」
「へーい。」
エルコットは気のない返事をした。
階段を一段一段ゆっくりと上がってくる音がする。エルコットの足音に違いない。
アンジーは慌てふためく。
やばい。見つかったら、エルコットに殺される。
アンジーは床から飛び起きるとベットにもどり、頭から布団を被った。
足音はどんどん近づいてくる。そして、足音は部屋のドアの前で止まり、バンと勢いよく扉を開けられる。
「おい。飯だぞ。」
エルコットがベットの近くまで寄ってくる。
アンジーは冷や汗をかいた。布団をめくられたら一貫の終わりだ。
アンジーはわざとらしく寝息を立てた。
「おい。本当に寝てるのか?お前?」
エルコットは問うた。
しまった。嘘だとばれたか。アンジーは心臓がバクバク言っているのを感じた。
布団の中で息を殺す。
「本当に寝てるならしょうがない。無理に起こして飯を食わせる必要はないよな。」
エルコットはクオレと一緒に朝ごはんを食べるのをほかの人間に邪魔されたくなかったのだろう。
たいして調べることもせずに部屋から出て行った。