欲龍と籠手 上
井戸の中は真っ暗な闇で満たされている。
その闇の奥で耳を澄ますと水のしたたる音がする。
その井戸の水の中で黒い影がうごめくのがみえた。まるでムカデか蛇のようにそれは体をくねらせている。井戸の奥で蛍のような光が二つ光るのが見えた。もしかしたら、それは井戸の精の目玉なのかもしれない。
「お前は何がほしいんだ?」
井戸の中の何かは、また重々しい調子でもう一度俺に問うた。
第2章 ウォーレンとアンジー
「じゃあ、ステーキが二つほしいな。」
アンジーは注文を取りに来た熊髭のウェイターにあっけらかんとした調子で言った。
「僕のは、もうどっちが縦だか横だかわからないステーキにしてね。焼き加減はうんと火を通してかまわないから。」
いろいろ注文をつけられてうんざりしてそうだなっ、このウェイターとウォーレンは思った。
ウォーレンはウェイターにあなたはどうしますかと尋ねられて、おっちゃんの好きなようにやってくれと答えた。
ウェイターはそそくさと厨房に戻って行った。
「で、そのファーブニエル・エルコットって奴はそんなに強いのか?」
ウォーレンはぼさぼさに伸びきった黒い髪をかきながらアンジーに尋ねた。
「ああ、とんでもなく強いらしいよ。」
アンジーは眼鏡をくいっと人差し指で持ち上げなら言った。
街の外れのうらぶれた酒場の薄暗い隅の席で、眼鏡をかけたおさげ髪の男と黒髪ぼさぼさ頭の長身の男がしゃべっていた。
この二人、実は盗賊で次の獲物について話し合っているところであった。
アンジーは眼鏡をかけていて愛想の良さそうな丸顔の青年だ。
腕も細く、肌も白い。一見盗人には見えない外見をしている。
歳は18だが、街中を歩いていたら、学生と間違えられるにちがいない。
一見まじめそうに見えて、よく食べ、よく寝て、女好き、アンジーがさっきから酒場のウェイトレスにちょっかいばかりかけるもんだから、ウェイトレスの代わりに熊髭の親父が注文を取りに来るようになっていた。
まったく盗賊に見えないアンジーに対してぼさぼさ頭のウォーレンはまさに盗賊といった風貌をしていた。
細い眉に真っ赤な眼、頬についた傷のあと、不機嫌そうにへの字に曲がった口、がっちりとした体格。とてもアンジーより1つ年下とは思えなかった。
街中を歩いていたのなら、みんな逃げだすことだろう。
そのせいか、二人の座っている席の周りには誰ひとりよりつかない。
アンジーは折りたたまれた新聞をコートの内ポケットから取り出すと机の上に広げた。
「ほら、これ見てよ。『欲龍の凶行!ファーブニエル・エルコット』おそろしいね。」
広げられた新聞、一面の写真には月を背景に屋根の上に立っているテンガロンハットの男が写っている。
見出しにはでかでかとこう書かれていた。
“欲龍の凶行!黄金狂のエルコット またも大金庫襲撃!特殊部隊壊滅”
なんでもエルコットは1人で大富豪の邸宅に押し入り、駆けつけた特殊部隊をみな病院送りにしたらしい。
アンジーは机の上の新聞記事を指でコツコツと軽く叩きながら言った。
「これは一週間前の記事らしいんだけど、この事件で奴の悪名はさらに上がった。17歳にして現在の奴の懸賞金は600万。懲役200年なんて、大した悪党だよね。」
「確かに俺と同い年で600万の懸賞金大したもんだな。なぁ、アンジー。エルコットはなんで黄金狂って呼ばれてるんだ?」
ウォーレンは首を傾げた。
「それは、なんでもエルコットが黄金にしか興味がないかららしい。奴は目の前に札束や美術品があってもまったく目もくれないのさ。狙うのは金貨だけ。あいつは盗んできた金貨をしこたまどこかにため込んでるって話だよ。」
「なるほど。」
ウォーレンは納得して頷いた。
「隠された山のような金貨なんて十分素敵だけど、僕らの本命は金貨じゃない。」
「もっとすごいお宝があるっていうのか?」
「本名はエルコットの持っている略奪の籠手っていうお宝さ。」
「略奪の籠手ってなんだ?」
ウォーレンはアンジーに尋ねた。
「写真のここ見てみて」
アンジーは写真に写ったエルコットの左手を指差した。
エルコットはその左手に籠手を装着している。
ずいぶんと古そうな籠手だ。
「この略奪の籠手は盗賊ならのどから手が出るほどのお宝だよ。」
「こんなぼろっちそうな籠手がお宝なのか?」
ウォーレンは疑わしそうにアンジーを見た。
「確かに見た目は手のひらに大穴の開いたガラクタみたいな籠手なんだけど、すごい力を持ってるのさ。」
「というと?」
「略奪の籠手はその名の通り、触れられる範囲にある、あらゆるものを奪うことができる籠手なんだ。小さいものから大きいものまでなんでも手のひらに空いた穴に吸い込むらしい。ただし、生き物は吸い込むことはできないし、吸い込んだものの重さはどうにもできないらしいけどね。」
「ふーん。そりゃ確かに便利そうな道具だな。」
ウォーレンは腕組みしながら頷いた。
「なるほどな。しかし、エルコットっていうのはそうとう強いんだろ。どうやって籠手を奪うんだ?」
アンジーはよくぞ聞いてくれたという顔をする。
「確かに、エルコットの強さは異常らしい。特殊部隊をたった一人で壊滅させたり、鉄の壁を殴って粉砕したなんて話まで聞くよ。奴は不死身のうえにもの凄い怪力をもっているらしい。でも、エルコットだって最初からそんなだったわけじゃない。」
「というと?」
「話によれば、数年前まではごく普通の人間だったらしい。ところが、ある日突然奴は化け物じみた強さを手に入れた。」
「ふーん。」
ウォーレンは興味深げにあごに手をのせた。
「きっと何かが奴を変えたんだ。強さには秘密があるにちがいないよ!」
アンジーは語気を強める。
「それに狼男には銀の弾丸。吸血鬼には十字架。不死身の連中にもなにか一つくらい弱点はあるものさ。神様だって、不死身のうえに、弱点がまったくない化け物を世に送り出すほどいじわるじゃないさ。」
「ああ、足は不死身じゃないとか。髪を切られたり、顔が濡れると力がでないとか、そういうのを探すわけだな。」
「そういうこと。」
お待たせいたしましたという声とともに机にふたを被せられたステーキの皿が運ばれてきた。
「おっ!来た来た!」
アンジーは目を輝かせる。
皿を置くとウェイターはさっさと厨房に戻って行った。
ウォーレンがふたをあけると熱した鉄板の上で油がはぜ、肉からうまそうな湯気が立ちのぼった。
アンジーもふたを開けた。その瞬間アンジーの期待に溢れた顔は失望で色で陰った。
「確かに、僕は縦だか横だかわかんない肉がいいって言ったけど…何これ。」
「ん?どうした?」
ウォーレンは肉を頬張りながら怪訝そうな顔をする。
アンジーは皿の上の肉にプスリとフォークをさしてウォーレンに肉を見せた。
「こんなステーキがあるかい!」
アンジーのフォークにはサイコロくらいの大きさの肉が親の敵とばかりに真っ黒焦げになって刺さっていた。
確かにどっちが縦だか横だかわからない肉でよく火が通っている。
アンジーはウォーレンの皿の上の肉を羨ましそうに眺めている。
「ウォーレン!ウォーレンの肉おいしそうだね。取り換えっこしようよ。」