小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

欲龍と籠手 上

INDEX|1ページ/6ページ|

次のページ
 
第一章 ファーブニエル・エルコット
僕はいつも通り粥の乗った盆を持ち、母さんの寝ている部屋のドアをいつも通り開けた。
しかし、ドアを開けて目に入ったのはいつも通りの光景では無かった。
次の瞬間僕の目に入ったのはベットからだらりと垂れた母さんの青白い腕だった。
嫌な予感が胸をよぎる。僕は持っていた盆を床に落とした。
僕は母さんの横たわるベットにかけよった。
がちゃんと音を立てて粥を入れた皿が粉々になった。

「かあさん!目を覚まして!!かあさん!」

僕はひざまずいて、細くなった手を強く握り締めた。
かあさんはうっすらと目を開けて、僕に語りかけた。
「ごめんね…」
かあさんの声は今にも消えてしまいそうな声だった。
僕は涙を瞳にいっぱいにためた。嗚咽を止めることができなかった。
耐え切れずにベットのシーツに顔をうずめ、僕は声をだして泣き出した。
母はそんな僕の頭をやさしく撫でた。
「私ね、あなたがいて、とても、幸せだったわ。」
母はそうささやくと頭を撫ぜる手が止まった。

僕はシーツから顔を上げると母の手を握った。母の手は温もりを失い始めていた。
「かあさん!かあさん!目を覚まして!お願いだから目を覚ましてよ!」

かあさんの口元はかすかに微笑んでいた。だけど、いくら僕が呼び掛けても二度と目を覚ますことはなかった。

数日後、母の葬儀が街外れの教会で執り行われた。
その日、街には雨が降っていた。そして相変わらずカビ臭い蒸気とやかましい機械の音がお構いなしに溢れかえっていた。
だけど葬儀に僕以外にほとんど参列者らしい参列者はいない。
近所に住んでいる人が数人いるくらいだった。

僕は着慣れない黒い礼服をきていた。
礼服は体にごわりとして、馴染まず、なんだか落ち着かなかった。
僕は寂しい葬儀だなと思った。
これがあんなに優しくて、みなに慕われていた母の葬式なのだろうか。
僕はかあさんを見取った日に涙が枯れたのか、ちっとも涙が流れなかった。
牧師さんの説教が始まった。
抑揚のない牧師さんの声がだんだんと僕の耳から遠ざかっていく。
僕はぼんやりと昔のことを考え始めた。

父親の事業がうまくいっていた時には母のまわりにはたくさんの友人がいたのに。
その人達はいったいどこに行ったんだろう。
すべての始まりは父親の事業の失敗だ。
おやじが多くの借金を残していなくなってから、まわりの人達の態度は手のひらを返したように変わった。
みんな離れて行った。母さんに対して本当はいけすかないと思ってたんだと陰口を叩く人さえいた。
僕はそいつにかみついてやりたかったな。
そんな僕をかあさんはいいから、いいからといつもなだめていた。
それからしばらくして、かあさんは僕をかばように住んでいた町を出たんだ。

母さんはそれから女手一つで僕を育ててくれた。
朝から晩まで慣れない工場で働いて、監督に怒鳴られてかあさん辛かったろうな。
それなのに、無責任なおやじの悪口も後ろ指をさす周りの人の悪口もかあさん、結局最後まで言わなかったな。
あんなに奇麗だった母さんの手、ひび割れて、真っ赤になって、さぞ痛かっただろうな。
立派にお金を稼いで、いっぱいかあさんが苦しんだ分、いっぱい楽しい思いをさせてあげたかったなぁ。

牧師さんの説教が終わり、僕はふとわれにかえった。
いつの間にか葬儀は終わっていた。

ほんの数人の参列者が散り散りになって行く。そのうちの一人が気を落とさずにと僕の肩を軽く叩いた。
僕にはなんの慰めにもならなかった。

しとしとと雨が降る中、僕は傘をさして、どんよりとした街の中をとぼとぼ歩いていた。
これからどうしようか。どこにいこうか。家賃も前から払えてない。そのうち、借りているアパートから追い出されるかもしれない。僕はぼんやり思った。それでも今日はアパートに帰るしかない。今僕の帰る場所はあそこしかないのだから。
僕はアパートに向かって歩き始めた。

借りているアパートの前まで来て、ふとあることに気がついた。
自分の借りている部屋の窓に灯が灯っている。
おかしいな。僕は首をひねった。電気は消して部屋を出たはずなんだけど。
不思議に思いながら僕は階段を上がって部屋に向かった。
部屋のドアは半開きになっていた。
いやな予感がして、僕は部屋に飛び込んだ。
「あんたたち、一体何やってるんだ!」
僕は思わず大きな声をあげた。
僕の目に飛び込んで来たのは、部屋の中をひっかき回す大家とその息子の姿だった。
眼鏡をかけた中年の大家は引き出しにしまってあったかあさんのロケットを手に握っていた。
僕は思わず大家に飛掛かった。
「この泥棒!汚い手で!かあさんの形見に触るな!」
大家はぎゃっと悲鳴をあげた。僕が大家の腕に噛み付いたのだ。
僕はその隙に大家の腕からロケットをひったくった。
大家の息子が僕の襟を掴んで大家から引き剥がした。
次の瞬間、僕は大家のおやじに力一杯顔を殴られ、後ろに倒れた。
大家のおやじが怒鳴った。
「なにが泥棒だ。何か月も家賃を滞納しやがって!払えなきゃ埋め合わせするのが筋だろうが!忌々しいちびめ!」
僕はロケットを握り締め、ドアに向かって走り出した。
ここにいちゃダメだ。ここにいたら、取り返したこのロケットまで奪われる。
僕は無我夢中で外に飛した。
そして雨の中を傘もささずに走り出した。
雨はどしゃぶりに変わっていて、僕の体を打ちのめした。それでもかまわず僕は走り続けた。

できるだけ遠くへ、遠くへ。ひたすら雨の中走って僕は街のはずれの古びた屋敷に行き着いた。
屋敷はレンガの塀で囲まれていたが、鉄の門に鍵はかかっていなかった。僕は鉄の門を押すと門は軋んだ音を上げながら、ゆっくりと開いた。
屋敷の庭は石畳から草は伸び放題。安置された獣の彫像は首がもげているというありさまだった。
屋敷の庭を見回すとふと井戸が目に入った。
井戸は石を積んでできていた。相当古いのかあちこちに苔が生えている。
僕はその井戸にもたれかかり、地面にへたり込んだ。
「ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!」
僕は握りこぶしを作ると井戸の縁を何度も何度も殴った。
庭に鈍い音が響き。僕の拳から血が滲む。井戸の縁は黒く汚れた。
俺やかあさんが何したっていうんだ!
俺やかあさんがなんでこんなめに会わなきゃいけないんだ!
雨の中で俺の感情は炸裂し自分ではもうその思いを止められそうになかった。

「ちくしょう!ちくしょう!」
俺は自分の拳が真っ赤になるまで井戸の縁を殴り続けた。
俺がもっとしっかりしていれば、かあさんに辛い思いをさせなかったのに。
俺がもっと強かったら、人に馬鹿にされることもなかったのに。
もっと金があれば。もっと僕に力さえあれば。こんな辛い思いしなくて済んだんだ。

そんな時。突然声が聞こえてきた。
「おまえ。望みを叶えたくはないか?」
それは重々しい響きの声だった。

俺はまわりにだれもいないとばかり思っていたのでびっくりした。
そして、取り乱す姿をどこかで見られていたかと思うと少し気まずい気持ちになった。
「おれはここだよ。こ・こ…」
どうやら井戸の中から声は聞こえてくるようだ。
俺は身を乗り出して井戸を覗き込む。
作品名:欲龍と籠手 上 作家名:moturou