さんすくみ?
僕のもう一つの大切な場所。
そこに行くために歩き始めたのだった。
3.
ものすごく、どん底に突き落とされた気分だ。
本当に可愛くて、とても大事な弟に『兄ちゃんなんか大嫌いだ!』と言われてしまったのだ。
誰よりも可愛い弟に嫌いと言われたら、絶対に落ち込む。
しかも、永のことを思ってやったことについて、散々文句を言われ、その挙句に『大嫌い』と言われたのだ。
落ち込んでも仕方がないよな……。
俺は思わず遠くを見つめてから、視線を戻してリビングのドアに目を向けた。
そのドアから最愛の弟と今回の元凶が出て行ったのだ。
元凶…。
そいつは俺の中学時代からの親友だった。
中学に進学したときに初めて会い、話してみると妙に気があったので、そのまま友達になり、気がつくと親友と言えるような間柄になった相手で。
中学時代からこの家に出入りをしていて、俺の両親が不意の事故で亡くなった際も真っ先に駆けつけてくれて、俺達の家の中が落ち着くまで付き添っていてくれた、誰よりも信頼していた親友。
だが、そいつは事もあろうに、俺の大事な弟の恋人と言う座に納まりやがったのだ。
誰よりも俺が弟を大事にしていることを知っているにもかかわらずに、だ。
まぁ、どこの馬の骨とも知れないろくでもないやつに掻っ攫われるよりは幾分マシだとは思う。
しかし、あいつが恋人と言うだけで異常に腹が立つのはしかたがないのだろうか。
あいつ、正伸と永が付き合うようになったのは、正伸が告白したからだと言っていたが、永もずっと正伸のことが好きだったとも言っていた。
好きだったけれど、告白すらできなかったと言っていたのだ。
だから、今回正伸と付き合うようになって嬉しいと、本当に嬉しそうな顔で永は言っていたのだが、兄としては本気で複雑だったりするのだ。
と言うか…あいつは永の高校の教師だったはずだよな…。
高校教師が教え子に手を出していいのかと付き合ったいることがわかったときに、思いっきり突っ込みを入れたのだが、正伸からは卒業するまで待ったという答えが返ってきた。
永からは正伸がいる学校に行きたくて高校を決めたと言われたので、さらに困惑度が増してしまった。
あいつらはいつから、お互いを異性に感じるような思いで見ていたのだろうかとも思うのだが、付き合うようになってしまったんだったら、それは関係なくなってしまうよな。
……あ、ちょっと待てよ……正伸の奴……永に手を出してないだろうな……。
恋人同士だからすでに出していて当たり前じゃないかという突っ込みはくるかもしれない。
だが、もしも手を出していたとしたらマジで殺してやる。
俺はにやりと人の悪い笑みを浮かべると、思い切り自分の拳を握り締めた。
4.
「やっぱり、ここにいたか」
俺は、円に永のところに行ってくると宣言してから、一応いないとはわかってはいたが、永の部屋を覗いて本当にいないのを確認したあと、まっすぐに自分の家へと戻った。
永には俺の家の合鍵を渡していたからいるとしたらここだろうと思っていたのだが、やはり勘は外れていなかったらしい。
親と離れて一人暮らしをしている俺の家には永も押しかけて来やすいのか、合鍵を渡したその日からよく転がり込むようになった。
別に円と仲が悪くて、避難するためにここに転がり込むわけではなく、ここは俺の匂いがするから落ち着くのだと思い切り抱きしめたくなる笑顔で言われたのだ。
それ以降、いつでも好きに来ていいと言ったら、本当に好きなときに来るようになった。
まぁ、俺も仕事から帰ってきたときに恋人が家で待っていると言うことに憧れていたから、永がここに来ることに反対はしていないどころか、大歓迎なんだけどな。
ただ、円がいるからそう頻繁には来れないのだが。
だけど、今はここにいた。
自宅にいては、許して欲しいと思っている円に襲撃されると思ったのだろうか、俺の家に来て……熟睡していたのだ。
着てきたコートは永用だと渡していたハンガーに掛け、俺のベッドの上で眠っている。
ここにいることに安心しきっているのだろうか、先ほど軽くその頬に触れたのだが、気持ち良さそうに眠ったまま、起きそうにない。
説得は後ででもいいか。
俺はその無邪気な寝顔を見ながら思わず苦笑を浮かべると、とりあえず着ていたコートを脱いで、そばにあった椅子に向かって放り投げた。
投げて椅子に掛かったのを確認すると、俺はベッドに寝たままの永の顔を覗き込む。
本当に無邪気な顔をして寝てるよな。
円が大騒ぎをするのもわかる気がする。
こんな無邪気な寝顔を見せてる相手をどうこうしようなんて思う奴がいたら、俺だってきっと円のように切れてるはずだ。
……まぁ、どうこうしようとしているのは俺なんだけど。
それでもまあ、今は我慢しておこう。
永はまだ未成年だ。
19歳だから本当は手を出してもいい年齢ではある気がする。
だが、今下手に手を出したら、俺はきっと円に殺される。
あいつのことだ。俺が永の体も手に入れたら、きっと指をぽきぽき鳴らしながら、笑顔で近づいてくるだろう。
でもだ。永が成人するにはあと1年しかない。
1年したら、あいつの保護者としての役割も終わるから……まぁ成人しても心配だと大騒ぎはするだろうが、永が何をしても文句は言えない……はずだ。
本格的に手を出すのはそれからでもいいだろう。
「だから、それまで待っていてくれよ」
俺も永のことが大好きだからな。
幸せそうに眠る永の頬にそっと口付けてから、俺は小さな声でそう呟くと、永の頭をそっと撫でた。
5.
ふと目が覚めると自分の隣に人の気配があった。
正伸さんの家に来て、落ち着こうと正伸さんのベッドの上に乗ったまでは覚えている。 ここは正伸さんの家だけど、家主がいない一人きりの空間では寂しくてしかたがないから、僕はよくベッドの上に来てしまうのだ。
ここは他の部屋よりも正伸さんの匂いがして、すごく落ち着けるから。
まぁ大体、落ち着きすぎてそのままコトンと眠っちゃうんだけど。
今日も家を飛び出してきた後にここに来て、そのままベッドの上に寝ちゃったんだけど、起きたら自分の隣に人が……正伸さんがベッドに頭を乗せたまま眠っていたのだ。
僕が家から出てきたときには兄ちゃんと一緒にリビングにいたんだけど、きっと僕のことを追いかけてきてくれたんだろうな。
嬉しいと思わず顔を綻ばせそうになったが、僕は慌てて表情を引き締める。
だってきっと正伸さんが僕を追いかけてきたのは、兄ちゃんと仲直りをさせたいためだろうし。
本当に大好きで仕方がない僕の恋人の正伸さんは、やっぱり兄ちゃんの親友でもあるんだよね。
僕と兄ちゃんをこのままにしてはいけないと絶対に思っているに決まってるもん。
でもさ、わかってる?
僕は寝たままの正伸さんの額に掛かる髪の毛を掻き上げながら、小さく呟いた。
僕は兄ちゃんも大事だけど、正伸さんはもっと大事なんだよ。
だから、これ以上生傷を増やして欲しくない。
でも、それも無理だろうな。