ゆめくい
4. あらゆる某日
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
――「新約聖書 マタイによる福音書」第七章七節
遠野家には男児の双子が居た。シロとクロと言う名の双子である。二人はとても仲が良く、何処へ行くも一緒だった。だが、互いに触れた事は無く況してや手を繋いだことも無い。二人にとってはそれが当たり前のことだと思っていた。
両親はシロよりもクロへ愛情を注いだ。クロが長男だったからだろう。それに対してシロは何も思わなかった。クロが居ればそれでいいとさえ思っていた。だから、気付かなかったのかもしれない。
二人は至って平凡な暮らしをしていた。十八を過ぎる頃までは。十九歳の誕生日を迎えた二人はその日、ようやっと気付いてしまったのだ。遠野の家に『シロ』と言う人間は存在しないことを。あまりにも遅い認識にクロは至極驚いた。自分だけが視えている。自分だけが知っている。道理で両親は自分ばかりを気にかけていたのだと。道理で、シロのことを話すと雰囲気が悪くなるのだと。
遠野家は多重人格の多い血族だった。それは古くから、祖先からのことである。
気付いてから、識ってしまった。自分には『平和思考』があるにも関わらず、シロには『殺人思考』があることを。思考するだけならば誰にだってタダだ。構わないだろう。それでも、クロは恐怖した。自分の中に『悪魔』が住みついている。この悪魔は何れ誰かを殺してしまうかもしれない! 早く、その前に、手を、手を、手を、手を、手を、手を、手を――――!
シロが表に出てくることは決してなかった。ただ、クロの中でひっそりと息衝いているだけ。それでもクロは畏れた。その大人しさが、いつしか『自身』を食い破ってこの身体を奪われるのではないかと。だから、平和思考を少しだけ歪め自己防衛へ走った。
その夜、初めてシロが世界を視た。シロはクロが『何か』に脅えていることを悟ってはいたが、それが何かは知らなかった。精神の疲労がピークに達している頃、ようやっとシロは表へ出ることが出来た。初めて視る街はあまりにも穢れていて憧れを壊してしまうには十分だった。それ、でも。視たことのない世界は煌びやかだった。だから、彼が目の前に迫るまで気付けなかった。
「ハジメマシテ」
――そして、サヨウナラ。
丸い月を背負った黒ずくめの男はキチッとシロに焦点を合わせてトリガーを引いた。夜闇を切り裂くその銃声に呆気を取られるのが早いか否か。脳天を穿つ銃弾を、シロは寸で交わした。――おそらく。『殺人思考』がそれを理解するよりも早く肉体を動かしたのだろう。シミュレートは万全だ。
唐突な『敵』に覚えた感覚は恐怖ではなく、怒り。獣のように牙を剥いたシロへ男は嗤った。そうでなければ面白くないとでも言いたげに、銀色の髪を流しながら。
「どうして……」
「キミ――いや、クロくんに依頼されたんだヨ。シロくんを殺せとネ」
腕の立つ殺し屋が居る。きっと彼なら中身だけを殺してくれるはずだ。――刹那にシロは悟る。恐怖されていたのはじ、ぶ、ん、なのだと。そして、今日この瞬間表に出られたのは精神的疲労がピークに達したからではなく、クロに誘われたのだと。
「ウ――――――ォオーッ!」
咆哮。獣の遠吠えにも似たそれに男は嘲笑した。きっと、興味は無かったのだろうけれど。
そしてシロはその場から立ち去った。男はそれを追わかなかった。仕事は未遂であるものの、目的は果たされていたのだから。殺すのは自分の仕事ではないと、その咆哮を聞いて悟ってしまった。
シロがまず自宅に帰りしたことは、キッチンから包丁を一本取って家族を殺害することだった。クロにとっては家族ではあるもののシロにとっては血の繋がりも何も無い。あるとすれば視た記憶だけだろうか。遠野の血筋は多重を生む。こんな血でなければ自分はきちんと『人』として生まれたかもしれないのに。やりきれない思いで母と呼べる人の喉を裂いた。苦痛に耐えて父の心臓を刺した。『殺人思考』は思考だけであり、決してそれを実行する力などなかったというのに、クロ自身がそのスイッチを誤って押してしまった。だがそれでも、シロは苦痛だった。思考することと実際に行うことは違う。シロの心は限界で、精神で目覚めたクロもまたその光景に限界を迎えていた。
だ、か、ら、
「じゃあオレが貰うわ」
その声に、耳を傾けてしまったのかもしれない。