ゆめくい
×××
「あれ、ばっくん何してんの?」
扉を開けたら空き巣に入られてました、よろしく古き友人が勝手に冷蔵庫を開けてスーパーカップのバニラ味をこれまた勝手に食していた。流石にこんなことじゃあ吃驚するほど若くも無く、加えて何だかんだで何時も通りなので対する文句はスルーする。深夜三時、夜型人間の行動時間はわかりやすい。だがしかし、"何してんの"は、食事のことではなく"何で仕事上がりに此処に来てんの"の意である。おかげで部屋には血臭が充満している。ああ換気扇でも追いつきそうに無い。明日は大掃除だと脳内で綿密なプランを音速の速さで立てて行く。
「キミが呼んだんだろう、昨日」
「普通シャワーでも何でも浴びてから来るでしょ。臭いよそれ」
見た目は黒いが臭いでわかる。随分な量の血が滲み込んでいるに違いない。そんなコートを平然と着ていられるんだからまったく、『殺し屋』の名は伊達ではない。抜けた銀の髪もよくよく見れば赤が少し残ってたりと本当、何しに来たのさ。いや呼んだのは俺だけど。俺だけど、まさか仕事上がりに来るとは思わなかったしなぁ。
「別にイイだろ、新鮮で」
「捌いて美味ければ文句は言いませんけどね」
人喰趣味は生憎持ち合わせていないもので。
肩を竦めて魅せれば友人は冷蔵庫を漁るのを止め、近場の真っ黒なソファに腰掛けて手の中のバニラアイスを食すことに専念し始める。おなかが減ってるのはこっちだって変らないって言うのに何で人の冷蔵庫を漁るかね。
「食料って言ってもアイスしかないじゃないカ、冷蔵庫には」
「アイス美味いじゃん」
「栄養面を考えろってことだヨ。それに、たまにはストロベリーも食べてみるとイイ。あれはあれで処女を連想させる」
「オレ、そーゆーイロモノ、無理。やっぱシンプル・イズ・ベストよね」
後ろ手に扉を閉めて同じく冷蔵庫からスーパーカップのバニラアイス(百円)を取り出した。冷蔵庫のすぐ傍に常備していたスプーンを引っ張り出して淡いクリーム色のそれを口に運んだ。そろそろ少なくなって来たからまたスーパーで買わないとなぁ、と思いつつ血臭とバニラの相性はあまりよろしくないことを身をもって知るのである。まったく遅い認識だ。血臭と合うとしたら明るいダンスパーティか狂った謝肉祭<カルナヴァル>かのどちらかだ。どちらにしても、ご縁がない事をひたすら祈るしかないのだが。
「シンプルすぎてもつまらないだろうに。――いや、シンプルを追求したキミだからこそ言えることなのカ?」
「さて、どうでしょう?」
唇の端を吊り上げて笑って魅せれば、やれやれと軽く呆れられてしまった。まったくもっと心外だ。友人の家に殺人(殺害)を犯したそのすぐ後にやって来るその神経に、本当はこちらが呆れてしまいたいくらいなのに。今日の標的<ターゲット>は余程つまらなかったと見た。その鬱憤をこちらで晴らしてもらっても困るのだが、一人で抱えてイカレてもらっても困る。危ういのはオレであり、またこの世に蔓延る犯罪者の諸君なのだから。加えて大事な依頼先を失うのもかなりの痛手。
「それで。今回はどんな相手だイ?」
「何を期待されてるのかは知らねーけど、ばっくんが望むような『悪魔』は居ませんよ?」
「当然だろう。『悪魔』なんてものはヒトの心の中、何処にだって居るからネ。それを犯せ<ころせ>るのはソイツ自身だ」
正論だ。悪魔は甘言ばかりを囁いてその心を喰らおうとする。天使はその甘言を聞かせないよう努力する。どちらに傾くかは自分次第。心なんて不確かな精神カテゴリーはさっさと捨てちまえばいいものを、けれど捨ててしまえばそれこそ"ヒト"として機能しなくなってしまう。彼の偉大なる詩人、パーシー・ビッシュ・シェリー殿も仰っていたじゃあないか。The head was heavy, and the hands and feet were exhausted. Thing, it which move me are not life.(頭はおもく、手足は疲れはてた。わたしを動かすもの、それは生命ではない)、と。
不器用ながらも一生懸命心を育てるのが人間なんだと物騒な刑事さんは仰っていた。スーツの趣味は相変わらずわからないのだが、それにはなるほどなぁ。などと納得してしまうほど理解した。"理解した"だけではあるが。
「容疑者は双子。ほら、街外れのお屋敷あるじゃん? あそこの娘さん一人を殺して欲しいんだって。アキさんもやっぱ物騒だよなぁ。手が出せないイコール殺害しかねーんだもん」
警察にすら手に負えなくなるくらいに容疑者を放置するのも如何なものかと思うのだが、まあそうなってしまったからには仕方がない。この街は五年ほど前から異常で溢れている。住人は異常に慣れすぎてそれを『普通』として認識し終えてしまった。だからせめてと動いているアキさんはしかし立派だ。ほぼ唯一、この異常に呑まれていないのだから。
「双子なのに一人しか殺害しないのか、案外つまらなさそうだネ」
「なんでも、姉は既に妹に殺害されているんだとよ。簡単な話、成り代わりってことでしょ」
人が人に憧れるのには当然理由がある。それは、自分に無いものを他人が所持しているからだ。自分に無いものを他人が持っている。他人が持っていないものを自分が持っている。それを互いに埋めあうから人と人は触れ合う。それこそ傷の舐めあいと嘲笑うことも出来るが、至極当たり前の生き方なので誰も責めない。責められるはずがないのだ、自分とて例外ではないのだから。例外としたらばっくんのような奴のことだろうか? いや、この友人もまた、何かに憧れたからこうして生きているのだろう。
「双子関係には随分冷たい言い方をするネ、キミ。
類は友を呼ぶ。この事件に後ろ髪でも引かれるのかイ?」
「ま、さ、か。こんな茶番はさっさと終わらせるに限る、と思ってるだけだよ」
憧れて、その地位を手に入れたとしても。その本人になんかなれるはずがないのに。人間は、たったひとりにしかなれないことをまだ識らない。街行く人々をただ傍観して、羨ましがる術しか学んでいないのだ。滑稽。狡猾に生きるのは疲れてしまえ。そして天上人に『最後の審判』を仰ぐべきだ。そうすれば、もう一度今度は正しく神様は創世してくれるのだろうから。この世界はあんまりにも醜く失敗してしまった、から。
「ふむ。アダムとイヴに幻想を抱くには後二十年遅かったネ。……いや、だがキミはアリなのカ? 五年前のキミからではまったく予測の出来ない言葉ダ」
他人の過去を引き摺り出すのはやめてくれないか、好き友人<トモ>よ。