ひとつの恋のカタチ
広樹に気付いて、鷹緒が呼ぶ。広樹は最初、鷹緒の前に座る女性が誰なのかわからなかった。
「広樹君。お久しぶりです」
女性に声を掛けられ、広樹は驚いた。
「……聡子さん?」
それ以上何も言えず、広樹は鷹緒を見る。女性はもう十年以上会っていない、広樹の初恋ともいえる女性・中島聡子に間違いなかった。
このところ聡子のことがよく思い出されていたのは、この再会を予感していたのかもしれないと、広樹は思った。
「びっくりしたか? まあ座れよ」
鷹緒は満足気な顔つきで、広樹を見て言う。
広樹は聡子に会釈をして、聡子の隣にゆっくりと座った。
「びっくり……したどころの話じゃない。息が止まるかと思ったよ……」
「偶然会ったんだよ。結婚式場で働いてるんだって。久しぶりだし、おまえも会いたいと思ってさ」
未だ驚いた様子の広樹に、笑いながら鷹緒が言う。
「私もびっくりしたのよ。突然、諸星君に声かけられて、もうすっかり大人になったんだって気付かされたわ」
懐かしい声のまま、聡子がそう言った。変わらない、気さくで明るい聡子だと思った。
四人は昔話から近況まで、さまざまな話を弾ませる。広樹も久々に時が戻ったかのように、楽しい時間を過ごしていた。
「じゃあ、俺たちは先に失礼します。後はお二人でどうぞ。聡子さん、今日は突然誘ってすみません」
しばらくして、立ち上がりながら鷹緒が言った。それに続いて、沙織も立つ。
「いいえ。私も久しぶりに、二人に会えて楽しかったわ」
「よかった。じゃあ、また連絡します」
鷹緒はそう言うと、沙織とともに歩き出した。そんな二人を、広樹が追いかける。
「待てよ、鷹緒。僕も勘定を……」
慌てた様子で広樹が言ったので、鷹緒は軽く首を振った。
「ああ、もう払ってあるからいいよ」
「紳士か、おまえは……」
「そんなことより、聡子さん一人にするんじゃねえよ。あと、おまえは酒癖悪いんだから、酒はほどほどにしろよ。勘定はおまえが払ったことにしていいからな。ちゃんと家まで送れよ。送り狼にはなるなよ」
親のように、鷹緒が続けて言う。
「子供じゃあるまいに……わかってるよ」
「広樹サン。過去の恋愛に向き合わないと、先へ進めませんよ」
突然、悪戯な瞳になった鷹緒に、広樹は感付いた。
「おまえ……理恵ちゃんになにか聞いたな?」
さっき理恵に同じ言葉を言われたことで、鷹緒と理恵が自分について何かを話していたのだということを、広樹は悟った。
「べつに。仕事の件で話したついでに、あいつがおまえの様子がおかしいって言って、話してただけだよ」
「僕の様子って……」
「恋愛について考えてるとか、高一の時に好きだった人を思い出すとか。そしたら聡子さんに会っただろう? これは会わせない手はないと思ってね」
「余計なことを……」
「余計なことか? まあ、とにかく早く戻れよ。ああ、あと聡子さん、離婚したんだってさ」
「え……?」
広樹は、時が止まったかのように驚く。
「……終わるにしても進むにしても、ちゃんとケリをつけろよ」
いつになく人の恋愛で楽しそうな鷹緒に、広樹も苦笑するしかなかった。
広樹は二人を見送ると、聡子のもとへと戻っていった。
「すみません、お待たせしちゃって……」
席に戻った広樹は、聡子と対面する形で座り直す。
「ううん。相変わらず、仲が良いのね」
「そうですか? まあ、こんなに長い付き合いになるとは、正直思っていませんでしたけどね」
苦笑しながら、広樹はそう言った。
「でも、本当に驚いたわ。諸星君と偶然会って、その日に広樹君とも会えるなんて」
「あはは。それは僕もですよ。驚きました。聡子さんが、結婚式場で働いてるなんて」
「うん。数年前から働いているの。広樹君、社長さんなんてすごいわね。諸星君も有名になって……」
聡子の言葉に、広樹は静かに微笑む。
「……聡子さんは、今はどうされてるんですか?」
ゆっくりと、広樹が尋ねた。四人の時は自分たちの話ばかりで、聡子の話を聞けていない。
聡子は飲んでいたワインを置くと、静かに微笑んで広樹を見つめる。
「離婚して、今は娘と二人暮らし……」
「そうですか……あ、すみません、遅くまで。娘さん、寂しい思いしてるんじゃ……」
広樹の言葉に、聡子は首を振る。
「ううん、それは大丈夫。娘も大きくなって、彼氏だなんだで、結局私は放っておかれてるから……それに近くに実家があるから、今日は実家にお世話になってるし……妹も実家に住んでるから、よく一緒に食事したりしてて、大家族みたいで寂しくはないかな……」
聡子が笑った。そんな聡子は、どこか寂しげに見える。
そのまま二人は、静かに酒を飲んだ。
広樹は十代の頃に戻ったように、この時間を幸せと感じていた。聡子は自分にとって誰よりも、安らぎを感じられる人だと改めて思った。
その後、二人はレストランを出て、夜の街を歩く。
「本当にいいの? ごちそうになっちゃって……」
「ええ。鷹緒が奢ってくれて……」
広樹はそう言ったところで、自分が支払ったことにしていいと言った鷹緒の言葉を思い出し、自分の正直さに苦笑した。
「そう。今度お礼しなくちゃ。諸星くん、結婚間近なのに」
「そうですね……」
二人きりの帰り道、広樹はいつになく緊張し、気の利いた言葉の一つも言えなくなっていた。
そんな広樹に、聡子が微笑む。
「ここでいいわよ、広樹君」
「あ、いえ……送らせてください。遅くまで引き止めたのは僕ですから……それに、女性の夜道は危ないですし」
広樹の言葉に、聡子が笑う。
「じゃあ駅まででいいわよ。広樹君、路線も違うし、ここから遠いんでしょ? 家は駅から近いから、大丈夫よ」
聡子の気遣いに、広樹は嬉しさを噛み締め、駅へと歩いていく。
「あの……本当に、会えて良かったです。実はこのところ、よく聡子さんのこと思い出してて……どうしているか気になってたんです」
そう言った広樹に、変わらぬ笑顔で聡子が微笑んでいる。
「ありがとう……お世辞でも嬉しいな」
「お世辞じゃないです。本当に……僕、ずっと後悔していたんだと思うんです……聡子さんに、何も言えなかったこと……」
「……え?」
二人は静かに見つめ合った。
今ならずっと封印してきた気持ちを言えると、広樹は思った。聡子を見ていると、今まで薄れていた気持ちが、鮮やかに蘇るような感覚を覚える。
「聡子さん。あの……」
「お姉ちゃん?」
広樹が言いかけた時、女性の声が聞こえ、二人は振り向いた。それと同時に、二十代後半くらいの男女が近付いてくる。
「佳代子」
聡子が言った。広樹は、その女性が実家に住んでいるという、聡子の妹なのだと悟った。
聡子とともに働いていた頃、聡子を家まで送ったことが何度かあった。その時、妹の佳代子とも何度か会ったことがあるので、少なからず面識がある。
「お姉ちゃんが飲み会だなんて珍しいと思ったけど、ずいぶん早かったのね。もっとゆっくりしてくればいいのに」
聡子の妹・佳代子が、聡子に向かってそう言った。