ひとつの恋のカタチ
「さあ……まあ昔はヒロさんも、いろいろと噂もあったけど、今は全然聞かないわね……」
広樹の昔馴染みの友人として、理恵が答える。
「中にはモデルの子で社長のこと狙ってる人もいるらしくて。ハードル高いんですよ。鷹緒さんも結婚しちゃうし、もしかして社長もそろそろ……」
その時、時計が午後一時を示した。昼休みの終了だ。
「まあ、私はそういうことは知らないわ。本気だったら諦めないことね。さあ仕事、仕事」
理恵はそう言うと、気の抜けた事務員たちを仕事に戻らせ、自分のデスクへと戻っていった。
社長室で、ふと広樹は一日休暇を取っている鷹緒のことを思い出し、結婚について考えていた。
思えば同じ年であり、長い付き合いの鷹緒は、結婚に踏み切り、自分とはまったく別の人生を歩んでいる。
若い頃はそれなりに遊んでいた時期もあった広樹だが、未だ恋人以上の関係になるような相手が見つからず、親友の結婚は考えさせられるものがあった。
そんな広樹のもとに、副社長の理恵がやってきた。広樹とは、鷹緒と同じく十年以上の付き合いの友人である。
「ヒロさん、どうかしたんですか? ぼうっとしちゃって」
苦笑しながらそう言う理恵は、数枚の書類を広樹の前に置く。
「鷹緒さんからメールが来てました。AE社の新雑誌の特集ページで、うちの新人モデルを起用してくれるよう、取り計らってくれたみたいです。社長のほうから、正式契約お願いします」
「うん、了解です。まったく、休みと言いながら、仕事に抜かりないんだから……」
広樹が苦笑しながら、書類を見つめて言った。
「理恵ちゃん……なんであいつはモテるんだろうね?」
「え?」
突然の広樹の言葉に、理恵は驚く。
「やっぱり仕事が出来て、自然とそういう気配りが出来るところかなあ」
しみじみと広樹がそう言ったので、理恵が苦笑する。
「なんですか? しみじみしちゃって。ヒロさんだって、モテるでしょう?」
「僕が? それ、嫌味?」
「まさか。本心ですけど」
それを聞いて、広樹は大きく笑う。
「僕の一番のモテ期って、中学から高一にかけてなんだよね。何度か告白もされたし、付き合ったし、バイトすればちやほやされるし。だけど、そんな一番有頂天の時に鷹緒が現れて、圧倒されたよ。毎日のようにラブレターは貰うし、街を歩けば知らない人からでも告白されるし、まるで芸能人みたいだったからね」
広樹の言葉に、今度は理恵が笑った。
「本当、男の人って、女心が分からない動物ですよね」
「え? どういうこと?」
怪訝な顔をして、広樹が理恵を見つめる。
「だってヒロさん、本当になんにも気付いてないんだもの。確かに鷹緒は目立つ存在だけど、ヒロさんだって同じでしょう? 二人並ぶと、どちらかが霞むんじゃなくて、そこだけ華があるのに」
「……言うね、理恵ちゃん。うまいなあ」
「なに言ってるんですか。まあ、気付いてないならいいですけどね……でも、ヒロさん。大抵、モテる人っていうのは、自分じゃ気付いてなかったり、気にしてないと思いますよ?」
「まあね。それは鷹緒見てたらわかるよ。あれでカッコつけなら嫌味だもんな……でも僕はモテてないよ。告白だってここ数年されてないし」
「ヒロさんは社長だから、社員もモデルもそうそう告白出来ませんって。それに好きになってくれるのを待ってるんじゃなくて、やっぱり自分が好きになった人には、自分から行動するべきじゃないのかなあ」
理恵の言葉に、広樹は静かに微笑んだ。
「……そうだね。確かに自分から行動しなきゃ、何も始まらないよね。その相手を見つけるのもまた、苦労するところなんだけど」
「どうしたんですか、今日は」
「んー、なんだろ……ここしばらく、ちゃんと恋愛してなかったからさ。理恵ちゃんにも恋人がいるし、なにより同じ年の鷹緒が結婚するって聞いて、ちょっと考えさせられてるんだ。僕は何をしてるんだろうってね」
広樹の話を聞きながら、理恵は首を傾げる。
「そういえば、ヒロさん、最近はそういう話、聞かないですね。若い頃はモデルだなんだって噂、結構聞きましたけど?」
「あはは。いつの話? それに、僕はまだまだ若いですよ。でもね、そうやって考えてみると、僕も鷹緒のことを言ってられなくて、ちゃんと恋愛してこなかったと思うんだよね……」
「へえ。そうなんですか?」
いつの間にか、恋愛相談の聞き役になっている理恵は、広樹の話に聞き入るように頷く。
「うん……それに最近、やけに思い出す人がいるんだよね……僕が高一の時に好きだった人なんだけど、結婚して会わなくなって……伝えることすら出来なかったけど、思えば本気といえる恋って、その時だけなのかもしれないって思ってさ……」
真剣な顔をして広樹が言う。そんな広樹に、理恵は優しく微笑んだ。
「今でも好きなんですね、その人のこと」
「え?」
「もう思い出かもしれないけど、原点はその人なんでしょう? ちゃんと過去の恋愛に向き合わないと、先へ進めませんよ……って、経験者は語る」
理恵の言葉に、広樹は笑った。理恵もまた、不器用な恋愛を繰り返してきた女性だ。広樹の気持ちには共感出来た。
「説得力が違うね……そうだね、勉強になったよ。悪かったね、こんな話」
「いいえ。じゃあ契約の件、お願いします」
理恵は社長室を出て行った。広樹は静かに微笑んで、外を見つめた。
しばらくして、広樹の携帯電話が鳴った。着信画面を見ると、鷹緒からの電話である。
『おう、ヒロ? 今、大丈夫か?』
広樹が電話に出ると、鷹緒の声が聞こえる。
「ああ、なんだよ。そっちは終わったのか?」
『うん。今、式場の下見中だけど……おまえ、今晩暇?』
「は? なんだよ、急に……」
『暇なら一杯付き合えよ。沙織もおまえと一緒に飲みたいってさ』
結婚式場で、婚約者の沙織と視察をしながら、鷹緒は電話しているようだった。
「まあ、いいけど……」
『じゃあ、七時にホテル・マリージュベルのレストランで』
「ホテル? そんなところで?」
少し驚いて広樹が言った。いつも飲むといえば、近くの居酒屋か小料理屋に決まっているからである。
『まだ式場の下見してるんだ。もう少し見たいし、たまにはそういうところで上品に飲むのも良いだろ? 奢るよ』
「そんなのはいいけど……」
『じゃあ七時にな。俺もスーツだし、ホテルなんだからジャケットくらい着て来いよ』
一方的に、鷹緒はそう言って電話を切った。
鷹緒がホテルのレストランへ自分を誘うのは初めてなので、広樹は首を傾げながらも、鷹緒の誘いに乗ることにした。
「ヒロさん!」
ホテルのレストラン入口で、ヒロはそう声をかけられた。見ると、少し大人っぽい服装の女性が駆け寄ってくる。広樹の事務所の専属モデルであり、鷹緒の婚約者でもある沙織だ。
「沙織ちゃん、おつかれさま。なんか鷹緒に呼ばれて来たんだけど……僕、お邪魔じゃないのかな?」
「いえ。私のほうがお邪魔みたい。こっちです」
沙織に案内されながら、広樹はレストランの中を進んでいった。すると、窓際の席に鷹緒がいるのが見えた。しかし一人ではなく、鷹緒の前には女性が座っている。
「ヒロ」