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僕がミリーに伝えたいこと

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第一章 2 レジェの町へ




 丘を下るミリーについて歩きながら、たわいのない話をした。「暑そうだね」と僕が言うと、「さっきちょっと回りすぎちゃった。貴方も見てたでしょ、久しぶりに汗をかいたわ。でも風も涼しいし、すぐに乾くでしょ」とミリーは答えた。小道の両側は花畑に囲まれており、爽やかな風が黄色い花を揺らしている。

 歩きながら僕は、さっき彼女が木陰で読んでいた本のことが、妙に気になりだしていた。立派な皮の装丁のそれは、今は薄い布に丁寧に包まれ、彼女の持つ籐の手提げの中にすっぽり収められていたが、近くで見ると、改めてその本の放つ存在感に気付かされた。一体どんな本なのか。彼女に尋ねようとも思ったが、結局、今はまだ、止めて置くことにした。木陰で本を読んでいた時の彼女の横顔を、何故だか、瞬間、思い出したからかもしれない。

「貴方は何処から来たの?」隣を歩く、軽快な足取りのミリーが尋ねてきた。
 
 そこで僕は、気付いたらあの廃墟に立っていたということ、記憶の一部を失っていて、自分の名前も、何処から来たのかということも思い出せないということ、それに加えて、これから何処に行けばいいのかも、何を当てにすればよいのかも分からない、ということを伝えた。ミリーは、しばらく驚いていた様子だったが、何やら心得たようで、途中から僕の話に、うんうんと相槌を打ちながら聞いていた。そして僕が話し終わると、ミリーは言った。
 
「記憶喪失の人には初めて会ったわ。それで貴方は……不安じゃないの?」
「ああ、僕は特に心配はしていないんだ。やらなければいけないことなんかも特に無い、というか思い出せないし。お陰で別に焦ってもいない。だから別に、君も気にしなくて良いよ」
 すると、ミリーは少し難しい顔をしてみせた後、こう言った。
「楽天的な人なのね。色々忘れているせいかしら。でももっとしっかりした方が良いわよ、自分のことなんだから。街まで付いてきて貰うことにはしたけど、私にはこれからやりたい事があるのよ、世界の勉強をしたいの。貴方は私に付いてきても良いの?」
「いや、人事ってわけじゃないさ。これから君が行こうとしている町が、僕の住んでた所とか、知っている所かもしれないじゃないか。僕を知っている人が居るかもしれない。世界の勉強って、君が何をしたいのかは分からないけど、君について歩いていれば何かを思い出すかもしれない。それに思い出したら、いつでも帰れるさ。子供じゃないしね。それに」
「思い出す努力をしていない訳じゃないよ、当然、気にはなるしさ。家族とか、他にも待たせている人とかも居る……かもしれないし」
「……待たせている人、ね」
 ミリーは斜め上の空を、遠い眼差しで一瞬見つめた後、クルッとこちらに向き直った。
「そうね、見たところ、貴方悪い人じゃなさそうだし、嘘だとしてもあんまり意味の無い嘘よね。まあ記憶が戻ったら、どうなるのか分からないけど」と笑いながら言った。
「いや、僕は多分悪人ではないと思うよ。 なんか恰好からして……地味だしさ。概ね、あの丘で昼寝でもしてたら、強風で転がってきた石に頭をぶつけた一般人とか、そんなとこじゃないかな」
 確認するつもりで頭を擦りながら、僕はそう答えた。別に頭は痛くはないようだ。

 話している間にだいぶ打ち解けてきた。ミリーもしまいには、「お気楽なのね、そんなに気楽になれるのなら、あたしも記憶喪失になればよかった」なんて言っていた。

 いろいろ話した結果、何も知らないもの同士、互いの都合が悪くなるまでは、一緒に行動する、ということで落ち着いた。

「記憶を早く取り戻したいのなら、もっと敏感にならなくちゃ。目で見て呼吸するのよ、花が揺れる音は聞こえる? しっかりしてよね。あ、ほら、小川が見えるわ」

 彼女の指差す方に、確かに小川があった。もっとも僕にも、初めから見えてはいたのだが。小さな橋が架かっている。なんとなく彼女を見た。なんとなく嬉しそうだ。水色の小川で、透き通っていた。見ると丸石で護岸されている、人工の川だ。
 
 駆け寄ると、ミリーは屈んで、手を水に入れた。白い指と指の間に、白い小さな波が出来ている。彼女の、金色の犬の毛のような髪とそこから覗く笑顔を、光と水面が映している。
 
 僕も手を入れてみる。冷たい、踊りもしない自分には、少し寒くも感じさせる。手を引っこ抜いて、カバンからハンカチを取り出すと(実は、間の抜けたことに、僕がバッグを背負っているということに自分で気付いたのは、丘を下りている途中であった。ちなみに肩掛けバッグの中には、その他細々とした物が幾らか入っているようではあったが、それらを確認するのは、この先落ち着いた時にしようと思った)濡れた手を拭き、そのままミリーにも貸した。「私も持ってるわよ」そんな顔をした後、ミリーはそのハンカチで拭いた。

 立ち上がってみると、小川のその先に、周囲を壁でグルッと囲まれた、円形の街を見下ろすことが出来た。

「あれがきっと、レジェの町なんだわ。私が行きたかった所だわ」ミリーが言った。

 道はゆるゆると続いているが、まだ二、三時間は掛かりそうだ。三分の一くらい来たのだろうか。後ろを振り返ると、ミリーを見つけたあの木が、丘の上に一本ぽつんと小さく見えた。

「あと、もう少しね。さあ、行きましょ」目的地が見えて、気力がさらに湧いたのか、ミリーは弾んだ声でそう言うと、またすたすたと、丘を下りだした。

 僕は、ミリーの後姿を追いかけつつ、ふと、頭の中で考え込んでいた。

『街に着いたら何かを思い出せるかもしれない』
『待たせている人が居るかもしれない』

(本当に、それでいいのだろうか? もし、きっかけも何も……掴めなかったら?) 

──僕は一体、何者になるんだろう──

 風になびく彼女の髪と、揺れる草原を交互に眺めながら、僕は霧を払うように、大きく深呼吸をした。



<続く>