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僕がミリーに伝えたいこと

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第一章 1 出会い 




 湿った空気を帯びた風、僕は草原に立っていた。
背後には蔦の這った石の門が見える。どうやら西洋風の庭園のようだ。
風が強い。草は馬のたて髪のように揺れ、木々はざわめいて、滝のような音がする。

 周りに目をやった。が、誰も居ない。緑の丘を駆け上がった強風が、崩れた石の壁にぶつかり、通り抜け際に千切れた草を巻き込み、そのまま透き通った青い空へと運んでゆく。そして此処が、今ではもう、久しく誰も訪れていないであろう廃墟だということに気付いた。

 何故こんな所に僕は居るのであろう。そんな漠然とした考えと共に、改めて周囲を見回した。

 すると、崩れかけた石門のアーチの向こうに、うっそうと葉を茂らせた、一本の木立を見つけた。木立は、風が吹くたびにその立派な枝葉を揺らし、緑の光を反射させていたが、その足元では、暗く涼しげな木陰を作り出していた。そしてそれは、なだらかな丘の斜面の一番高いところにあり、眺めも良さそうに見えた。

 僕は、木陰を目指して歩き出した。そして、横から吹く風に流されるようにして丘を登りきったところで、木陰の中に人の気配を感じた。僕は立ち止まり、その薄暗い空間へと目を向けた。

 女の子だった。揺れる木陰の中、座って本を読んでいた。年は僕と同じくらいであろうか。木陰の印象かもしれないが、とても静かで落ち着いているように見えた。もしくは、俯いた横顔のせいかもしれないが、どこか寂しそうにも見えた。膝の上に開かれた本は、ここからでもその革の装丁が分かる程、重厚で立派なものであった。風でページが飛ばされないように押さえたり、髪の毛を押さえたりして読んでいる。

 彼女は、まだこっちには気づいていないようだった。話しかけようとも思ったが、同時に、邪魔をしてはいけないようにも思った。なので、もうしばらく、彼女の様子を眺めていることにした。周りには何もないし、他にやる事も無かったのだ。

 僕は、本当はというと、この瞬間にでも、考えるべき事が沢山有るはずなのだと、自分でも気付いていた。けれども、それらの事に対して追求しようとする欲求は、湧いてこなかった。例えば、ここは何処なのであろうか、とか、これから一体どうすればよいのだろうか、とか、そんな、常人であれば真っ先に確認したくなるようなことも、どうでも良い事のように感じられた。むしろ、今立っているこの場所は、全く思い出せないにも関わらず、これまで自分が過ごしてきた、きっと変わり映えのすることの無かったであろう日常の、当たり前の延長線上にあるものなのだと、半ば無意識に受け入れていた。

 ふと気が付くと、女の子は空をボンヤリ眺めていた。これからどうするのだろう、と思っていると、彼女は足元のラベンダーの花を少し引きちぎると、それをパラパラと地面に撒いた。その瞬間──、一陣の風が、つむじ風と言うのだろうか、立ち尽くす僕の背中にぶつかったかと思うと、そのまま彼女めがけて吹きつけた。風は彼女の髪を掻き揚げ、薄紫色のラベンダーの花びらや緑色の若葉は、彼女を取り囲むようにして回りだした。

 彼女は何を思ったのだろう。ドサッと本を草叢の上に投げ出すと、日なたに出て、空に向かって両手をうんと上げた。髪の毛はクシャクシャだが、素晴らしい笑顔だ。風はもっと強くなる。僕はもう立っていられない程だったが、彼女は楽しそうだ。両腕を伸ばしくるりと回る。その姿はまるで、風と手を合わせてダンスを踊っているかのようだった。

 僕は自分でも知らないうちに彼女に向かって歩き出していた。彼女も僕に気付いたらしく、しばらく立ち止り僕を眺めた後、服についた草花を払って、こちらに歩きながら近づいてきた。そして、僕の目の前に立つと、手を差し伸べた。僕は「はじめまして」と言った。すると彼女は微笑みこう言った。

「実際、こんなに風の良い日だと、私は何処にでも行けそうな気がするの。あなたはこの国の事、何も知らないようだけど、私も本の知識で知ってるくらいなの。でも、それももう飽きちゃった。今日は良い天気ね、一緒に出かけましょう、風と一緒に」

 実は結構、お転婆なのかとも思ったが、僕は頷いた。
 彼女は名をミリーというそうだ。教えてくれた。
 これから何処に向かうかは分からない。
 けれど、良い天気だし。
 
 丘を滑る風が、本を開き、頁をパラパラとめくった。