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VARIANTAS ACT 16 心のありか

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 迫る追っ手と、バルクと戦うティック。
 ジーナが、心の中で呟く。
 ――このまま捕まれば、全てが無駄になる。だが彼が傷付く事も無なる。私を護って戦い、傷付く彼の姿を見なくて済む…。だって私は彼を…
 ジーナの脳裏にティックの声がリフレーンする。

 ――私が憎いか。
 ――私を殺してみせろ。
 ――お前に、脳を刔られた同胞達の何が解る!
 ――仲間を失うのも…、任務を放棄するのも、もうたくさんだ!

 ジーナが、ぽつりと呟いた。
「その身を三つに切り分けよ…。一つは柩に、一つは屠り場に、一つは己で食い尽くせ…」


 ティックの振り回す巨大なブレードを、バルクはまるでダンスを踊るかのように華麗に回避してみせる。
 ティックのボディ、そしてパワー。その全てはバルクのそれを完全に凌駕している筈だった。それがどうだろう。
 スピード、そして変幻自在の律動。ティックがそれを捉えられないでいるのだ。
 それは情ゆえの事だった。
 しかしそれは言うまでもなく、致命的な物だった。
「捕まえましたよ」
 ティックのブレードをかい潜ったバルクが、ティックの背後にぴったりと張り付き、彼の背中に肘を当てている。
「昔のあなたはどこへ? あなたがその気になれば、100m以内にいる人間100人を一秒以内で全員あの世へ送れると言うのに。今のあなたは優し過ぎる」
 ティックの足先が、ぴくりと動く。
「無駄です。あなたは私の間合いの中。それに私の体外衝撃波破砕術は、あなたの装甲を貫通する。こんなふうにね!」
 背面に衝撃波が打ち込まれ、ティックの身体が弓なりに跳ねた。
 装甲が軋み、全身に電気のような衝撃が走る。
 その時だった。
 ――決心しろ、ティック。お前は誰かの笑顔の為に死ぬべきだ。
 そして、ジーナの声も。

 ティックの両足が甲板をしっかりと捉えて立ち、ぽつりと呟く。
「顧みられる事の無いカタコンベ、集められし魂は、憑代なく舞い踊る…」
「………!!」
 バルクの背中に寒気が走る。
 それは、今まで感じた事も無い程の凄まじい殺気。
 バルクは、直感的に悟る。
 ――この化け物を殺さなければ、こちらが殺される!
 次の瞬間、バルクの身体が無意識に動き、ティックに切り掛かった。
 しかし、ティックはブレードを足元に捨て、両腕をだらりと下げている。
 ティックの首に掛かるバルクのブレード。それを、ティックは右手で受け止める。
 反応したバルクが間髪を入れずに右手で掌底を打つ。
 その瞬間、ティックはバルクのブレードを弾き、左腕でバルクの掌底を打ち払った。そして、ブレードを払った右手と、打撃を崩した左手は、円を描きながら徐々にその中心へ収束し、芯へ達した瞬間、彼の両手は諸手掌底となってバルクの胴へ放たれた。
 バルクは咄嗟に、両腕を交差させてガード。爪先で地面を蹴る。
 次の瞬間、諸手掌底がバルクを捉え、突き飛ばした。 
「ぐっ!」
 彼はブレードを甲板へ突き立ててブレーキを掛けるが、ティックは瞬時に追い付き、さらに手刀を打つ。
 バルクはブレードでガード。
 しかし、ティックの手刀は巨大な質量弾となってバルクのブレードを粉々に打ち砕き、寸のところで回避したバルクを掠めてから甲板に深々とめり込んだ。
「班長!!」
 彼の部下達が、援護しようとライフルの銃口を一斉に向ける。
「よせ! お前達は手を出すな!」
 ティックを睨み付けるバルク。
 ――優しくなっただと? とんでもない! ファントムめ…、遂に正体を現した…!
 ティックが、めり込んだ手刀を引き抜いて立ち上がり、言う。
「ジーナ」
「え…?」
 彼女の心が脈を打った。
 初めて呼んでくれた自分の名。
「先に行っててくれ、今度は追いかける」
 ジーナが、大きく息をついた。
「先に、行っています」
 彼女が、張り出しに掛かっていた手を離す。
「いかん!」
 バルクの声と同時に兵士は腕を伸ばしたが、兵士の手は届かず、ジーナが夜の闇の中へ落ちていく。
 それと同時に、ティックはあの詩を詩いだした。
「踊れ、踊れ、踊り狂え。我らは亡霊滅びの子…」
 バルクが、下肢に渾身の力をこめて甲板を蹴り、突撃。そして、その加速力をそのままに、ティックに殴り掛かる。
 ぶつかり合う拳と腕。
 己の身を守ろうとするバルク。
 バルクを倒そうとするティック。
 そして、“詩”。
 正反対の目的を持ち、掛け離れた基本性能を持ちながらも、この時二人は互角に渡り合っていた。
 それは、バルクの生存本能が勝っての事である。
 弱小な小動物が常に警戒を怠らないように、バルクは油断をしなかった。
 強化された感覚器官を総動員し、全身の人工筋繊維一本に至るまでに意識を配り、同時にコントロールする精神力。
 しかし、ただひとつ言える事がある。
 弱者がいかに警戒しようとも、すでに掛けられた牙からは、決して逃れられないのである。
 そして今、その牙が獲物を切り裂こうとしていた。
 バルクが、ティックの右パンチを左手で弾き、立て続けに放たれた左パンチも崩した時だった。
 バルクは、跳ね上げられた右腕によって右脇腹にできた隙に、左で打撃を打った。だが、それはティックの巧妙なトラップであった。
 跳ね上げられたティックの右腕が、そのまま振り下ろされ、バルクの左腕を粉砕。右腕は、ボールが地面を跳ねるように急激に軌道を変え、今度はバルクの顎に孤拳を打ち込んだ。 
「がっ!!」
 脳が揺さぶられて出来た、ほんの一瞬。右手はバルクの胸へ打ち下ろされ、彼の胸部を砕く。
 ティックが、詩う。
「しかし心せよ。亡霊を装いて戯れなれば汝、真に亡霊とならん…」
 薄れゆくバルクの視界の端に、煌めく紫電が映った。
 ――終わった…。
 紫電を纏い、振り上げられた拳を、バルクは網膜に焼き付ける。
 振り下ろされる拳は彗星のように煌めきなから、闇を蹴散らす。
 しかしその拳は、バルクを捉える事なく、甲板にめり込んだ。
 溜め込まれた電撃が開放され、落雷のような閃光が周囲を飲み込む。
 その瞬間ティックは、兵士達の頭上高くを跳び越し、闇に飛び込んだ。
 スラスターを噴射。強制落下。
 ジーナを追うティックを狙い、一斉にライフルを撃ちだす兵士達。
 火線が交差し、暗闇を切り裂く中、ティックはジーナの姿を確認すると、スラスターをさらに吹かした。
 迫る海面。
 腕を伸ばすティック。
 ティックの視界の端に表示されたタイマーがゼロを示すと同時に、彼の右手が気絶しているジーナの腕を掴み、抱き寄せる。
 未だ撃ち続ける兵士達。
 一人の兵士が、携行型の対空ミサイルを構えたその時だった。 
「やめろ!」
 撃ち続ける兵士達を制止するバルクの声が、大きく響く。
 彼は、満身創痍の身体をやっとの思いで立ち上がらせると、搾り出すような声で呟いた。
「私の負けだ…」
 銃口を下ろす兵士達。
 バルクは、暗闇の遠く先、街の明かりを見ながら深く息を吐いた。



***************



 どうしてここは、こうも暗く、静かなのだろう。
 聞こえるのは自分の鼓動だけ。
 その暗闇の中に、私は一人で居る。
 そう、一人だ。