君といた時間
「アイツは家出同然でここまで来たんだけど、夏のはじめ頃に親父さんが急に倒れたらしくって。戻るつもりはなかったらしいけど、他に身内もいないからアイツが戻らざるを得なかったみたいだな。俺も伝えられたのは後期に3年担当の助手さんで、聞いた話だとほんと急遽戻ることになったらしい。
…親しい人間になーんにも言わず姿消すなんてほんと猫かよ、ってな。」
バカ野郎なんて苦笑いに毒づきながら、煙草に火をつけた。煙草の煙がそれを演出したのか、ちらっと窺った彼の横顔はどことなく寂しそうだった。そういうつもりではなかったのだが「吸う?」と目が合った彼が差し出す煙草に思わず手を伸ばしてしまう。つけてもらったジッポの揺れる火を先端に当てながら少し吸い込んだ途端、お約束のように軽くむせかけてごふっという変な声が漏れた。全くここまで格好がつかないとなんだか笑えてくる。落ち着いて今度はゆっくりと煙を吸い込んでみると、煙草独特の匂いと苦みが顔いっぱいに広がる――まるで胸に掬う苦みを味わっているような気分だ。
「煙草なんてサークルの飲み会で無理矢理吸わされた時以来ですよ。」
「これを機会に吸い始めるとかな。俺もマジで吸い始めたのは3年付き合った彼女にフラれた次の日に友達が開いてくれた飲み会からだよ。」
フラれた、のか。そもそも付き合っていたのかが疑問だけど。
思えば僕と怜二郎は約束などをまともに交わしたことがほとんどなかった。会おうと言ったのは、出会った日とあの夏のグループ展の時だけだっただろう。
やむを得ない急な事情があったにしろ、何も告げられないで別れてしまったのはそういう事になるんだろうか。怜二郎はどんな気持ちで離れていったんだろう。今は想像することしかできないけど、胸が締め付けられる。僕はまだ怜二郎が好きだった。
結局その日は小野寺さんが朝まで付き合ってくれた。僕は普段の何倍もの酒をしこたま飲んで生まれて始めて記憶を飛ばし、小野寺さんに多大なる迷惑をかけた。以降、彼には頭が上がらなくなったのは言うまでもない。助手展もしっかり手伝わされたが文句は言えなかった。