手首が飛んでしまう話。
気の迷い
幼い頃、薄暗い座敷の中でテーブルに宿題を広げ、ノートの上に鉛筆を走らせる自分の手と、少年らしく細い華奢な手首を見ながら、「コレは、実はとても簡単に落ちるものではないのかしらん?」と、よく考えていたものである。
僕がその夢想に取り付かれるようになった切っ掛けは一体何だったのだろうかと思い返せば、まず最初に、僕の頭の出来が余り宜しくなかったことが上げられるだろう。
というのは、お天道様の昇る方向も分からぬ、物の道理もわからぬ子ども、というのでなく、考え込んでぼーっとするのが多く、すぐに手の止まる愚鈍そうな性質だったのである。
加えて、どうやら僕は生来にぶきっちょな子どもであったらしく、図画のみならず、文字の手習いに関しても、算数に関しても、手指が思った通りに手指が動いてくれなかったのである。
なので必然、僕という子は、誰にも読めないような汚い字の並んだ、消しゴムをかけそこなって、あちこちに破れ目や黒鉛の跡が残ったボロボロのノートを抱えてぼけーっと空を見上げているような子となった訳だ。
家はそこそこ裕福であったので、身なりこそは最低限にきちっとさせて貰っていたが、確かに、級友や、もしかしたら先生からしたら、気味の悪くて近寄り難かったことだろう。
そのせいもあって、教師や同級生からは事あるごとに、「お前の馬鹿は死ぬまで治らんな」などと失笑され、時に、軽い折檻も加えられていたりした。
しかし、頬を打たれたり、その汚いノートを取り上げられて囃し立てられてられている最中、僕の考えていたことといえば、「果たして僕が聡明な男子に生まれ変わったとして、誰がどうやってソレを見つけてくれるのかしらん?」ということだったのであるから、教師も同級生も、僕がいよいよ本当の馬鹿者だと思ったことであろう。
やがて、誰も僕を相手にすることがなくなり、後に残ったのは、解き方や書き方は分かるのに手指が上手く動いてくれない毎日の宿題と、不器用な僕の右手だけだった。
そんな僕を、父や母は叱らなかったのかといえば、どちらも商いで忙しく、家を空ける事が多く、幼い頃からねえやや乳母に世話をされていたので、勉強を見られたり、出来ないことに叱咤されるということはなかった。
それに、僕は不器用で木訥な少年のよくある例に漏れず、出来もしないのに生真面目な性質だったので、一向に進まぬ宿題も、家に帰ってからすぐに取りかかり、おやつの盆を下げに来たねえやが気づいて部屋の電球を点すまでかかって、終わらせるのが常だった。
なのでその頃を思い返しても、学校の行き帰りの畦道と、と休み時間以外の校庭以外で、外遊びというものをした記憶がとんとないのだった。
僕はといえば元々大人しい性質の子であったし、僕のような暮らしをしている身体の弱い子どもでも、部屋の中の遊びで気を紛らわしたりということもあっただろう。
しかし、先に言ったように僕はぶきっちょで、テーブルの端にぴかぴかに研がれた肥後の守など置いてみた所で、鉛筆さえも不細工にしか削れない子どもだった。
戯れにノートの端に絵を描いてみても線がよれ、大切な教科書に一度だけ、出来心でした落書きは、消そうとした時に余計な力が掛かり、その部分が印刷ごと禿げてしまった事を教師にこっぴどく、以来、やらなくなった。
そんな状態だから、竹を削って凧や飛行機を作ったり、女の子のような、塗り絵や折り紙や姉さん人形、なんて女々しい遊びを上げてみた所で、結果は押して知るべきであろう。
その中で唯一、熱中できた遊びといえば、僕に似ず活発な妹がたまに居間に放り出して行くセルロイド製の安い赤ん坊の人形を、こっそりと拝借して行なう遊びであった。
それも別に、服をはいだり着せたり、ましてや身体をなで回して遊ぶとか、そういったことではないのだ。
ただ、セルロイドの間接を力一杯引っ張って外す時の、きゅっぽん、という小気味良い音に魅せられたというだけなのだ。
勿論、妹の人形だから、そのままという訳にもいかない。なので、ぶきっちょな僕にも戻すことの出来る、首とか腕の間接を狙って、引っ張ったり嵌めたりを繰り返していた。
だから毎日の僕といえば、家に帰って来たら居間に籠もりっぱなしで、宿題をやるか、畳から拾った、手の中の人形を弄び、きゅっぽんきゅっぽんと言わせることしか知らない子どもだった。
それが、僕が、自分の手首や首に関しての妄想を膨らませた、恐らく第二の切っ掛けである。
そういえば、そんな僕をねえやや、店に回らない使用人達は、一体どんな目でみていたのだろう。考えたこともなかった。
きっと、恐ろしく気味の悪い光景だったことだろう。
活発さもない、考え込む性質の無口で色の白い少年が、座布団に座ってテーブルに向かいながら、良い天気の日に、部屋に籠もり、ノートにペンを走らせる以外、俯いて無心に、赤ん坊の首をきゅっぽんと言わせて笑っているのだから。
きっと、だからだろう。僕がおやつの配膳の時以外に、あの部屋でねえやと話した記憶がないのも、手垢で黒く汚れたセルロイドと、手の先だけが黒鉛で汚れた生白い自分の手とを、じーっと見比べていても、何も言われなかったのは。
薄暗い部屋で遊び相手もおらず、真っ白なノートと黒鉛だけを相手に暮らしている少年が、ノートに落ち、ちらちらと蠢く自分の手の影を見ながら、そんな夢想を育ててしまったのは。
だけどそれでも、最初は思うだけであったのだ。自分のこの役立たずの手が、東京の師範学校教員を出たという先生賢いおつむが、同級生の器用な手が、妹のやわらかな手が。
トンと、この人形のように落ちる。――そこできゅっぽん。
もしそれらを一斉に落としたらきっと、大騒ぎだろう。クラス一器用な、あいつの手など、奪い合いになるかも知れない。――ここでまた、きゅっぽん。
街の往来で落としたなら、好きな男の首を風呂敷に包んで持って帰ろうとする官能的な少女も居るだろうか。――きゅぽん。
もしその中に僕が居たとして、僕の両親が拾い間違えて、うっかり女の子になってしまうかも知れない。――きゅっ、きゅっ。
だがしかし、頭は仕方ないとしても、この右手が誰かのソレと変わっただけで、僕はもしかしたら、馬鹿だのと言われなくなるのではないか。――きゅぽん。
そう思うと、何と憎たらしい右手だろうか。僕の足を掴んで引っ張るだけで、他には何も出来やしない。――きゅっきゅっ。
さて、いくら使っても言い聞かせても言う事をきかないこの右手に、何か、この身体の主として思い知らせてやる方法は無いだろうか。――きゅぽん。
そんな事をまた、宿題の合間にまた、人形の手足や首をきゅぽん、きゅぽんと引っ張ったりくっつけたりしながら考えている時にふと、僕はあることに気づいた。
最初の頃は、右や左に捻る度、僅かな抵抗と耳障りな音を立てていた人形の腕が、いつの間にか、音も抵抗もなく、くるくると回るようになっていたのだ。
僕はその様子をまじまじと見て、何度もその薄汚れた腕と首を回し、はっはぁと、大人を真似て首を捻って息をついた。
作品名:手首が飛んでしまう話。 作家名:刻兎 烏