はるかな青空
【虫とり】
クロが家に来て一週間がすぎた。
羽もきれいにのびて、しっぽの模様もはっきりしている。体重は十八グラムになった。
ふわっと飛んでテーブルから床に降りて歩き回ったり、ぼくやお母さんの手や肩に乗ってくる。
表情も豊かで怒ったときは目尻がつりあがるし、瞼を閉じてすました顔もする。
あれからジョギングのたびに、ぼくとさやかはおじさんの畑に寄って虫を捕まえるのが日課になった。
おじさんは害虫を退治してくれたからと言って、とりたてのキュウリやトマトをくれる。
なんだかジョギングをしているんだか、畑をやっているんだかわからなくなった。
でも、おじさんの話は楽しいし、ためになる。ときどき、口振りが先生みたいなのはどうしてだろう。だけど、ぜんぜん説教臭くない。
このおじさんのような先生がいたら、学校も楽しいかもしれない、なんてぼくは思った。
さやかも同じように思ったらしい。
どんなに谷川先生に気に入られていても、
さやか自身は、先生のことをあまり好きじゃないんだ。理由は生徒を差別するからだって。
実際、ぼくがいびられるようになってから、
さやかはなにかとぼくをかばって先生に言ってくれていた。
だけど、先生はさやかには関係ないからと、たしなめるばかりだった。
おじさんは白髪が多いので、実際の年よりずっとおじいさんぽく見える。
ないしょでさやかとおじさんの年がいくつか当てようなんて遊んでいたら、しっかり聞こえていて、残念でした、なんて言われた。
ほんとうは六十八才なんだって。七十五才なんていって悪かったと思う。
「名前はなんておっしゃるの? いくら虫をとるからって、いつも野菜をいただいてばかりじゃ申し訳ないじゃない。たまには草むしりくらい手伝いなさい」
お母さんに言われた。すると、さやかも、
「うちのお母さんも同じこと言ったわ。ほんとに気の合う二人ね」
と、笑った。
「それにきゅうりを丸ごと、みそをつけてばりばり……よ。すごいわよね」
「ほんと? うちもだ。おいしいおいしいって、ほとんど一人で食べちゃった。いっそのこと二人とも草むしりを手伝えばいいんだ」
「そうそう。そうすればシェイプアップにもなるし、無駄な長電話もしなくていいし……ね!」
ぼくたちは大声で笑いながら、草むしりを手伝った。
お母さんが名前を聞いてこいとうるさいので聞いたら、山下さんというのだそうだ。
でも、ぼくたちには畑のおじさんというのがぴったりのような気がしていた。
「君たちのおかげで虫は少なくなったし、雑草をむしるのもはかどったよ。ありがとう」
草むしりは思った以上に重労働だった。
ある時、木陰で一休みしていると、枝に、みなれないアブラムシのような虫がいた。
たくさん捕まえたので食べさせようとしたら、カメムシみたいな臭いにおいがした。そうしたらクロは怒って、ぷいっと横を向いてくわえたその虫を捨ててしまったんだ。
目をつり上げて口をへの字に曲げたその顔が、なんだかおかしかった。
毎朝、ぼくはツバメのようすをこと細かくおじさんに話した。その虫のことも話したら、
「へえ、ツバメはどんな虫でも食べると思ったら、そうでもないんだね」
と、感心していた。
クロがとくにかわいいのは、夜になるとぼくの首のところで眠るとき。つぶしてしまわないかとびくびくで熟睡できないけど、こんなになついてくれるなんて感激だ!
「あんまりかわいがりすぎると、巣立つときにはさびしくなるわよ。ツトム」
お母さんが皮肉っぽく言った。
このごろではお母さんよりもぼくのそばのほうがいいみたいだ。
ところが十日過ぎたころ、ぼくはクロが普通と違うことに気づいた。
もうクロはとっくに飛べるようになっているはずだった。
なのに、一メートルくらいふわふわと、まるでチョウチョのようには飛ぶけれど、ちっともツバメらしくないんだ。
クロは時折ツバメの鳴き声をきくと、それに反応してぴくっと首をあげて外を見る。でもはばたきもしないし、鳴きもしない。
窓の外ではたくさんのツバメが飛び交っている。クロと同じくらいの二番子も、一人前に飛んでいるのに。
「居心地がいいんで、自分がツバメだってこと忘れちゃったのよ」
さやかが笑った。
「すり込みっていうんだ。ちがうものを親だと思いこむの。ツトムはツバメの母!」
久しぶりに遊びに来た竜二も笑っている。竜二も誘っておじさんの畑に来ていた。
「君はよくしっているんだね。竜二君」
「ええ、動物は好きなんです。でも、うちはマンションで、ペットはだめだから、インコを飼ってます」
「ほう、インコも手乗りだとかわいいからね。セキセイインコかい?」
「はい」
「わたしのうちにはオウムがいてね。子供がいないから、そのかわりっていうか……。今度、遊びにおいで。家内は子供がくるのが大好きなんだ」
「はい。きっといきまあす」
ぼくたちをおしのけてさやかが大きな声で言った。