温泉に行こう!
ふと。
久坂の唇が動いた。
それは寺島に話しかけるためではない。
その口から紡ぎだされるのは、詩だ。
美声である。
特に詩を吟じているときは、その声はいっそう艶やかになる。
極楽浄土に住む迦陵頻伽にたとえられるほど美しい。
久坂の詩吟を何度も聞いたことがあるが、つい聞き惚れてしまう。
しかし。
人の気配を、それも、大勢いる気配を感じて、寺島は我に返る。
まわりを見渡した。
なんだこれは……!?
ぎょっとした。
まわりには、老若男女問わず多くの人々がいた。
皆、なんだか、うっとりした表情をしている。
もしかして。
これは。
久坂さんの詩吟に聞き惚れているのか……!
そう寺島は驚く。
いつのまに、こんなに、人が集まったのか。
というか、人を集めてしまったのか。
自分たちは、ここに来たばかりの旅人なのに……。
寺島は何気なく眼を川のほうに向けた。
川は先ほどまでと変わらず、穏やかに流れている。
それを見て。
久坂さんが詩を吟じれば、川も流れを止めて聞きいるということはさすがにないけれど、まわりに人垣ができるんですね……。
そう寺島は思った。
ここに来るまでのあいだも、久坂はまわりにいる人々から注目されていたのだろう。
その容姿の美しさで。
寺島は久坂とよく一緒にいるので、久坂がまわりの視線を集めている状況に慣れて、他人の眼が向けられていても害意を感じなければ意識しないようになってしまっていた。
故郷を離れた、この旅先でもそうだ。
おそらく、久坂の容姿に眼を惹かれていた者が多くいて、そこで久坂がさらに詩を吟じ始めたので、まわりに集まってきたのだろう。
すごすぎです、久坂さん。
ハハ、と寺島はがらにもなく笑いたくなった。