エイプリル・フール
明らかに苛立った口調で社長は話していた。4時間以上もバンの中に閉じ込められていたからだろう。エンジンが切ってあり、クーラーも付いていない密室は、息苦しく、暑いことだったろう。
「なんだよ、ちゃんといるよ?太陽が今沈んでいく方だよ。」
西側だ。といえば井上が担当している方だった。
「お前がいるのか。」
「ははは、まぁね。僕だね。」
幹部直々に出てきているのか。いや、そんなはずはない。また何かの罠か。警戒心がいっそ深まる。
その時、井上の無線から連絡が入った。
「こちらW。こちらW。」
Wとは、“西”の英訳、つまり“West” の頭文字をとったものだ。
「妙な機械を発見しました。」
社長と幹部との会話は続いた。井上の情報を利用し、社長は幹部に鎌をかけた。
「しかし、君はここにはいないだろう。どうやら、連絡手段として何かしらの物体を残した。違うかね。」
またカサカサした笑い声が聞こえて来た。
「そうさ。気づいてくれた?まぁ、映像の様なものだね。わざわざ表に出る訳ないじゃない。見つけたんなら、それ、起動してよ。」
「起動すると言ってもだな。その言葉、信用できるものではない事は自分がよくわかっているだろう。」
社長が時間稼ぎをしている事に井上は気付いた。慎重に機械を鞄に入れ、社長が待つバンへと向かった。最初は早歩き、次第に加速し、ついには走っていた。ラブラドール・レトリーバーも一緒になってペースを上げた。
機会をいじくるのは、全員が揃ってからの方がいいだろう。井上はそう判断していたのだ。
「怪しんでいるの?」
「言わせるつもりか?まともな機会だという証拠はないのかね。」
「証拠って言われてもな。まぁ、とりあえず開いたらこっちから起動してあげるよ。普通に起動するだけさ。」
ようやく井上が到着した。圭介と千春はもう戻っていたが、桐島はまだのようだった。安否の確認は取れていたので、とりあえず安心ていた。
井上が持って帰ってきた機械はノートパソコンを小さくしたような形をした機会だった。
「社長、持ってきました。開けますか。」
社長は少し躊躇いがちに頷いた。
携帯電話に向かって話しかけた。
「よし、分かった。この機会を開こう。起動はそっちで行うのだな。」
「そうだよ。」
井上は深呼吸をし、恐る恐る画面を開いた。数秒間何も起こらなかった。緊張で車内の空気が重かった。
突然、機会が唸りだした。全員身構えたが、画面はただ青く光りだしただけだった。テロリストの言っていた事はどうやら嘘ではなかったらしい。
社長の携帯で声がした。
「ほらね。起動できたでしょ。さぁ、初のお対面だよ。」
一瞬何の事を言っているのか分からなかった。すると、その機会が答えを教えるかのように、一つの画面が浮かび上がった。
誰が見ても、やたら機材の多い薄暗い部屋。ごちゃごちゃしていて、圧迫されるような印象を与えられる。部屋の中央に構えるように一人の人間が座っていた。
画像かな、と思ったその瞬間だった。その男が喋った。
「これは、皆さん、お揃いで。」
軽く頭を下げた。
携帯からも同じ声が聞こえてくる。
「じゃ、社長、もう携帯はいらないから。」
と言うなり、プツリと携帯は切れた。画面にいる男と言動が連動している。また喋った。
「人が挨拶しているんだからさ、そっちも挨拶ぐらいしてよ。全く、僕が幹部さんだよ、幹部さん。」
~第七章~
娘を拉致され、妻には秘密で捜査を行う旦那。共に闘う仲間たち。そして、仲間の死。まるで悲劇の主人公を圭介は演じているようだった。
狭苦しいバンの中で、圭介は茫然と娘を拉致した犯人グループの幹部職の男を見つめていた。何とも言えない、不思議な気分だった。
最初は、ひたすら見ず知らずの犯人たちに対して殺意を抱くばかりだった。しかし、こうして画面越しに対面すると、不思議とそういった感情は沸いてこなかった。
「なんか、初めましてって感じじゃないね。」
男が言った。あまり歳を取っていないようだった。服装は若者の様だし、口調もどう考えても大人びたものではない。
サングラスをかけ、帽子を深くかぶり、見えるのは口元だけだった。
「ふざけた事を言うな。」
社長が言った。真剣に画面を睨めつけている。
「そんなに怒るなよ。もう一回言っとくけど、これは簡単な交渉なんだよ。僕は“宝”が欲しい。君たちはあの娘が欲しい。交換するだけだよ。」
圭介は心の中で絡まっていたひもが一気にほどけたような気がした。男の発言に愕然とした。以前の怒りがみるみる蘇った。
すでに車内に戻り、普段の格好に戻っていた桐島を押しのけ、圭介は画面の方にグイッと近寄った。
「交換するだけだと?!ふざけるな、この腐れ外道が!!!他人事のように、“あの娘”とはなにごとだ!人の大切な家族を勝手にさらって、脅迫のビデオ送りつけて来て、挙句の果てに人一人を殺して!!貴様は一体命を何だと思っているんだ!貴様の常識はどこにある!?」
押しのけられ、窓ガラスにへばりついていた桐島は、圭介の方をちらっと見て、小声で囁いた。
「ね、ちょっと、痛い。」
血管が圭介の額に浮いていた。画面を大きな目で凝視していて、全く動いてくれない。桐島は何も言えなくなった。
「何人も殺した。」
「は?」
「一人なんてものじゃねー。もう何人も殺してる。」
圭介はおびえた表情になった。
「何なんだよ、お前は。」
「別に。人間だけど。て言うか、お宅ら、常識とか言ってられんの、本当に。」
圭介の爆発した怒りの言動に、犯人は少々逆ギレをしている様子だった。
井上が口をはさんだ。
「君の言いたいことは分からなくもない。確かに、私たちのやることにも目が余るところはあるだろう。だが、それが君とどう関係があるのだ。」
「別に。とにかく、さっき言ったように、そんな面倒なこと考えないでよね。交渉してるだけなんだからさ。」
男はいつもの口調を取り戻した。
その後、男はとんでもない話を持ちかけて来た。今までの出来事がまるですべての序盤だと思えるくらいだった。
「それでさ、本題に入りたいと思うんだけど。」
誰の返事も待たず、男は続けた。
「今さ、こうしてお互い、警察が邪魔じゃない。」
圭介は嫌な予感がした。
「だからさ、ここはひとつ、協力しようよ。」
予感的中だ。犯人が協力するという更なる交渉条件を付け加えて来た。
「そうか。協力するとしたら、こちら側からも一つ要求があるのだがね。」
「なんだい。」
「タイムリミットをなくさないかい。」
「やだ。」
「それは、何故だ。」
「君たちにそれは知る必要ないだろ。とにかく、お互い欲しい物が手に入るまでは、警察に気付かれないように協力。」
舐め切った言い草だ。
「それで、ロンドンにいたらやばいでしょ、っていうことになったのさ。だから、ここは一つ、母国に一時帰国しましょうよ。」
「娘さんは日本で返すよ。ねぇ、お父さん。」
男の口元がゆがんだ。不気味な笑みの様な形になった。
圭介の方を向いている。目は見えないものの、圭介は思わず目をそらした。
「なんだと?!日本に・・・」
桐島が言った。
「かと言って、全員来るようなことはしないでよ。まぁ、当たり前だけどね。」
「誰を行かせたいんだ。」