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エイプリル・フール

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不意に声を掛けられ、ギョッとして振り向いた。桐島が彼のコーヒーカップを突き出して立っていた。ありがとうと圭介は言い、カップを受け取った。近くのベンチに二人は腰を下ろした。
「なんで、こんなことになってしまったのかな。」
圭介が気の抜けた声で囁いた。
「うん、俺にもわからんけどさ。」
返事に困っているような回答だった。
「そもそも、俺は貿易会社に勤めていたはずなんだぞ。それが、なんだよ、情報機関って。これじゃあ、まるで警察とかの危ない仕事じゃないか。」
段々と様々な気持ちが怒りへと変化して行くのを圭介は自覚していた。
「しかも、警察沙汰にはできないだろう。うちらが困るだけだもんな。なんで、真美にまで被害が及ばないといけないんだよ。事が済んだとしても、どう説明すればいいんだよ、わが娘には。」
圭介の白い吐息を眺めながら、桐島は黙って聞いていた。
「ちくしょう。」
いつの間にか、泣き声になっていた圭介の声に桐島は気付き、ポケットティッシュを差し出した。広い背中が小刻みに揺れていた。俯いたままなかなかティッシュを受け取らなかったが、ようやく礼を言いながら受け取った。
「あー、寒っ。中に入ろう。」
鼻をかみながらそう言って、圭介は一人で勝手に社内に戻って行った。桐島もどっこいしょ、と腰を上げ、社内に戻って行った。

~第四章~

結局、帰宅したのは11時頃だった。マンションの階段を上り、ドアに鍵を差し込んだら、勝手にドアが開いた。不意を突かれたような顔をしていたら、声をかけられた。
「おかえり。」
千恵子が片方の手を腰に当て、片方の手にはゴミ袋を抱え、立っていた。
「あ、なんだ、千恵子か、びっくりした。」
「なんだ、じゃないでしょうよ。全くもう。晩御飯、まだでしょう。」
「ああ、何も食っていない。」
圭介は靴箱に寄りかかって靴を脱いでいる。
「じゃ、ちょっと待ってて、ごみ捨ててくるから。どいてよ。」
靴をあわてて脱ぎ終え、圭介は家の中へ押されるように入った。朝と違い、暖房がしっかりと効いていて、暖かい。寒がりである千恵子が温度を上げたのだろう。
その日の晩御飯は豚肉の生姜焼きだった。久しぶりに美味しいものを食べた気がする。さっきまで口の中は血の味がしていた事に気付かされた。
落ち着くと同時に、圭介は何とも言えない不安を感じた。こんな平和な日々が、名も知らぬ人によって脅かされている。
ロンドン・アイでの出来事を思い出した。今も犯人たちは彼の行動を監視しているのだろうか。そう考えると、背筋がぞっとした。
「そういえばさ、真美、いつ帰ってくるの。あの子が私に何も言わず出て行くなんて珍しいんだけど。全く、何考えているのかしらね。」
ドキリとした。鼓動が高鳴るのを感じた。当たり前のことだが、母親は娘の事が気になっているのだ。
「ああ、確か、5日間くらい泊ってくるって言ってたと思うよ。」
「5日間も?誰の家に泊ってくるのよ。」
「ん、さぁ。それは聞いていないな。」
挙動不審になりそうな自分を必死で抑えた。
「えーちょっと圭介、もうちょっとしっかりしてよ。」
「いやあ。」
会話をしながら、圭介は気が気じゃなかった。どこからともなくボロが出てしまうかもしれない。娘の居場所は、自分にもわからないのだ。
妻には話すべきなのか。
いや、しかしそうすると間違いなく妻は警察に連絡するだろう。それでは会社の約束と違う。
警察の協力はもらわない、という事になっていた。
その夜、圭介は布団に入り、すぐに寝息を立てていた。次第に大きくなる夫のいびきに、千恵子は少し苛立ちを感じていたようだが、そんな彼女もすぐに眠りに入っていた。

翌朝出勤すると、他の者たちは全員揃っていたがジャイルズの姿だけ見当たらなかった。
「ジャイルズはまだか。」
千春が答えた。
「ええ。まだ来ていないようですけど。」
桐島が会話に参加した。
「下水道は昨日ほら、あいつがぶっ壊しにいったろ。一応、どこを狙ったのかはここに地図が置いてあるけどよ。」
納得したように千春が頷いた。
地図を手に取り、圭介はしばらくそれを見つめていた。
一応ロンドン市内だけに攻撃は絞ったみたいだった。地図を一瞥し机の上に戻した。鞄を置き、圭介は椅子に腰をかけた。
カレンダーを見た。
4月2日。
あと4日。
それはそうと、下水道の点検の結果が気になる。今は井上がその情報を入手しに出かけているため、圭介たちに残された手段は待つ事のみだった。
しばらくして井上は帰ってきたが、ジャイルズが一向に姿を現さない。事実を知らされたのは帰還した井上からだった。
ジャイルズが下水道で殺された。

***
不気味な冷たさを肌に感じる。周りは暗く、水の滴る音があちらこちらから聞こえてくる。コンクリートの壁が妙な圧迫感を感じさせる。長いトンネルの奥の方では、懐中電灯の光がぼんやりとちらつく。
圭介たちはようやく現場にたどりついた。ジャイルズが殺されたその現場には、すでに何人もの警察の連中がうろうろしている。不思議な緊張感に襲われた。
警察には通報しない。その約束がまるで水の泡だ。
関係者として圭介たちは現場に入れてもらえた。ジャイルズの死体は既に片付いていたが、灰色のコンクリートには禍々しく血痕が付着していた。思わず圭介の手は口元を覆っていた。心の底からため息が出た。
全員その場で合唱をした。同僚である千春が最初に啜り泣きを始めた。社長はポケットに手を突っ込み、俯いた。プツリと何かが切れたように、桐島が辺りかまわず大声で泣き始めた。ジャイルズの名を何度も叫んでいる。周りのざわめきをかき消すように桐島の叫び声は空しく暗い地下のトンネル中に響いた。
様々な思いに圭介は胸を締め付けられた。掛け替えのない後輩を失った悲しさと同時に込み上げてくる「ロンドン・アイ」への怒り。そして、真美の身体への不安。ジャイルズが死んだように、真美の命も危機迫っているのだ。。。
止まったように思えた時間を切り裂くように、一人の警官が大声をあげた。
「警部!あちらの方に何やら、メッセージのようなものが!!」
圭介達はハッとして顔を上げ、目を見開いた。
ドタバタと警官に案内されて走って行く警部、そしてその他の警官たちと共に圭介達も駆け付けた。見る者の目を焼き尽くすような赤い血でそのメッセージは書いてあった。
圭介は背筋が凍った。おびただしい数のアリが背中を這い上がって行く感じがした。メッセージは一言で、場所を示していた。
圭介は書かれていた事をそっくりそのまま呟いた。
「大英博物館。」

~第五章~

その電話がかかってきたのは、その日の午後だった。圭介達は会社に戻っていた。桐島には大英博物館に行ってもらっている。護衛二人が付き、スリーマンセルになって行動していた。
桐島班が付けた監視カメラとの接続を千春が必死で頑張っていた。井上も手伝っている。
不意に社長が奥の社長室から受話器を片手に突入してきた。
送話口をふさぎ、指で指図するように大きく手を振った。
「ちょっ、早く、録音機とスピーカー。」
そういうなり、素早く通話に戻った。
千春がすでに机上に用意されていた録音機とスピーカーのスイッチをオンにした。
作品名:エイプリル・フール 作家名:しー太郎