エイプリル・フール
千春はどうやらビデオをDVDに落とす作業を行っているようだ。「“ロンドン・アイ”と言えば、観光名所じゃないですか。」
「そうです。観光名所で、観覧車です。ここからそこまで遠くはありません。当たってみますか。」
ジャイルズが得意げに言った。
「そうしましょう。だけど、まずあのビデオが撮影された場所をどうにかして探し出すこともしたいです。それも大きな手掛かりになるに違いない。」
圭介の提案に、ジャイルズは納得したように何度も頷いた。今まで黙りきっていた井上が立候補した。
「それじゃ、それは僕がやっとくよ。」
「あ、すみません、宜しくお願いします。それじゃ、井上さんがそうしてくれている間に私達はロンドン・アイを当たってみてもいいですか。」
圭介が全員に聞き渡すように言った。反対する者はいなかった。
***
桐島、ジャイルズ、千春の三人と共に圭介はロンドン・アイへと向かっていた。地下鉄の中の四人の間に緊張感が漂う。スーツの下には防弾チョッキを全員装着し、それぞれの武器も持っていた。拳銃のホルスターは勿論見えないようにスーツの下に隠してある。“Embankment”と記された駅で彼らは降りた。改札口を出たところで桐島が聞いてきた。
「ところで、娘さんの事、千恵子さんにはどう行ってあるんだい。」
圭介の妻の事を聞いていたのだ。
「ああ、一応今は春休みだから、友達と一緒にどこかに行ったことになっている。」
そうか、と呟き、桐島は遠くを見つめた。ジャイルズは溜息をつき、千春は何も言わない。四人は黙々と歩き続けた。
間もなくして彼らはロンドン・アイの真下に来ていた。辺りを見回したが、これと言って怪しい人はいなければ、不自然な物もない。
「さて、どうしましょうか。」と桐島が言い終えた途端だ。
金属が擦り合うような音が頭上で響いた。圭介たちは目を疑った。
「なんてこった・・・」
観覧車の一つが崩れ落ち始めているではないか。何が起こっているというのだ。
すると、今度はでかい爆発音が聞こえ、箱が完全に観覧車の本体から離れ、宙に舞った。
「危ない!」「逃げろ!」
圭介たちは背後を確認しつつ来た道を駆け戻った。ドォーンという音と共に観覧車の一部は地面に崩れ落ちた。そこら中に激しく破片が散らばる。周囲は悲鳴で包まれていた。
冷や汗をかきながら、圭介たちは事故現場を見つめた。いや、事故ではない。何にしろ、爆発が起きたのだ。これはテロだ。
「罠・・・なの?」
千春が声を震わせながら言った。完全に地べたについてしまっている。誰かに質問したというよりは、独り言のように聞こえた。圭介は鼓動が高鳴るのを感じた。こめかみからは汗がにじみ出ている。
「俺らがここに来るのを知っていたのか・・・ロンドン・アイは。」
お前らの命は俺らの手の中だ。というメッセージなのだろうか。とてつもない恐怖感が圭介を襲った。愛しい娘、真美。一刻でも早く真美をやつらから助け出さなければ。
~第三章~
浮かない様子で帰還した圭介達のことを怪訝そうに井上が会議机から見あげた。
どうしました、と聞いてきた。圭介は一連の出来事を話した。
「なるほど、早くも頭角を現してきたのか。ちんたらしていられませんな。」
「本当だよ、死ぬかと思ったぜ。」
相変わらず他人事のような口調で話す桐島は、千春にじっと睨まれていることに気付き、咳払いをして発言をごまかした。
会議室は、新しくできた反テロリストチームである彼らの本部として使用されることになった。表の標識には「新プロジェクト開発チーム本部」と名義上のラベルが貼ってある。
貿易会社がどんな新プロジェクトだよと思いながらも、圭介は会議室に出入りしていた。
どうやら、こちらの方では多少の情報が増えていたみたいである。ビデオレターを使って入手した情報だと、どうやら彼らが撮影をしたのは下水道の通る地下らしい。音の響きに水滴が混ざっていた上、コンクリートの素材もどうやら似ていると言うことだ。
さすがは情報機関、と圭介は改めて思った。よくこんなビデオ一本でここまで分かるよ、と感心し、ふと我に返った。
感心なんかしている場合ではない。こっちにはタイムリミットがある。今日は四月一日。あと五日間。もたもたしていられない。真美の命がかかっているのだ。
会議室に社長が入ってきた。彼も状況を把握しているみたいだ。眉間にしわを寄せている。圭介は、ビデオレターを見たときから気になっている事がいくつかあった。それを、社長に尋ねるべく、近寄って行った。
「あの、社長、少しうかがいたい事があるのですが、宜しいでしょうか。」
「うむ、どういったことかね。」
「あの、ビデオレターで言っていた“宝”って一体。。。」
「あぁ、“宝”か。あれはだね、恐らく我々小笠原貿易が所持している絵画の数々だと思うのだよ。というよりか、それしか私には考えられないね。」
顎鬚を触りながら社長は答えた。
「絵画、ですか。」
答えを聞いてもピンとこなかった圭介はそう答えるしかなかった。
「一体、何枚あるんですか。」
どうしてこんな事を聞くのだろう、と自分でも思いながら質問を続けた。
「確か、全部で五枚だったはずだ。」
「そうですか。しかし何でテロリストたちはそれを求めているのに、自分たちの居場所とか、交渉場所とか、それと言った情報をくれなかったのでしょうかね。」
「いやぁ、それは私にもさっぱり分からんよ。」
「そうですよね、すみません。しかし、五枚の絵画がそんなに価値があるものですかね。」
言ってから、しまったと思い、圭介は言い訳を始めた。
「あ、いや、そういう意味ではなくて、私は特に、その、美術などにはあまり興味を持っていないもんで。」
「いやいや、君の言いたいことは分かるよ。」
社長は笑いながら言った。
「はぁ、どうもすみません。色々とお尋ねしてしまって。」
「いや、いいんだよ。それより、今後も十分に厳戒態勢で挑まないとな。」
社長の顔が真剣な表情に戻った。
「はい。」
桐島たちも会話を聞いていたらしく、頷いている。
とにかく今日中に地下水道の捜索に手を駆けると言う事で一同の意見はまとまった。彼らだけではあまりにも膨大な作業となるため、会社を使った。勿論、社長の許可あってのことだ。
小笠原貿易と提携している水道会社のコネを使い、下水道の点検をしてもらうことになった。しかしそうするためにも、ジャイルズがわざわざロンドン中を会社の車で周り、水道をいくつか破壊しなければならなかった。国民からも苦情が殺到し、点検せざるを得ない状況を作り出すためだ。不審物があれば報告するという意図も含めた。
気が付いたらもう夜の九時を回っていた。そういえば、今朝は早く家を出ている上に、妻の千恵子にまだ何も連絡を入れていなかった事に気付いた。コートを羽織り、表に出た。携帯を取り出し、妻の連絡先に電話をかけた。
「あ、もしもし、俺だけど・・・うん。忙しくて・・・うん、連絡できなくてごめん。まだちょっと残業がありそうだからもう少し遅れそうだよ・・・うん。はい、じゃあね、またね。」
電話を切り、軽くため息をついた。
「奥さん、ご機嫌斜めかな。」