RUN ~The 1st contact~
死因は銃殺。しかも執拗なリンチをかけられてからの、とどめの一発だった。すぐに銃を所持していた暴力団系の幹部が逮捕されたが、刑務所内で謎の死を遂げた。兄の死も、犯人とされる人物の死も、その詳細は未だ不明である。
「十年ほど前かな。俺が仕事で日本に来た時、まだ新米刑事だったおまえの兄貴と会った」
「え……」
突然、ランがそう話し始めた。
「お互いに、同じ獲物を追っていた。当時、日本最強だった暴力団だ。ある時、俺は偵察で、とあるビルの屋上にいた。そこに来たのが、おまえの兄貴だった」
約十年前、とあるビルの屋上。
風の強いその場所から、ランは目の前にあるビルの様子を伺っていた。ランの元に舞い込んできた依頼は、とある暴力団組員の抹殺だった。
ふと、ランは横目で振り向いた。暴風の中で、人の気配が近づいているのを感じる。異常なまでの感覚の鋭さは、殺し屋の性だ。
ランはそのまま、近くにあった貯水タンクの陰に隠れた。
「誰かいるのか!」
屋上につながるドアを開けるなり、そんな男の声が聞こえた。普段は鍵がかけられているはずのドアが開いていたことを、不審に思ったのだ。だが、ランが答えるはずもない。
男は辺りを見回すと、真っ直ぐにビルの端へと向かい、先ほどランが見ていた場所から、隣のビルの様子を伺う。
この男こそが、圭子の兄、石井直人である。
「……張り込みか?」
満を持して、貯水タンクの陰から、ランが声をかけた。
「……誰だ」
一瞬、言葉を失って、直人が言った。
「目的は、おまえと一緒だろうな」
ランはそう言うと、直人から少し離れたところに腰をかけ、煙草に火をつけた。
「俺は警察官です。職務質問に答えていただきたい」
警察手帳を見せてそう言う直人に、ランは警察手帳をまじまじと見つめる。
「石井直人……所轄の新米刑事さんか」
「あなたは?」
「……俺は、ラン」
「目的は……?」
「……漆黒龍会幹部の、首」
それを聞いて、直人はとっさに警棒を片手に身構えた。だがその前に、ランに一手を取られ、すでに警棒は屋上の床へと転がっている。
「なあ。この棒って、何か役に立つの?」
「なにを!」
直人はランに体を取られたまま、持っていた手錠を握り、力を振り絞って手を振りかざした。
ランはすぐに直人から離れたが、その顔は余裕以上に退屈すら感じさせる。
「結構、身軽のようだけど……悪いが、おまえなんか眼中にないんだ。俺のターゲットは、ヤツ一人」
二人の目に、隣のビルの一室にいる、暴力団員が映る。相手もこちらに気付いたようで、慌しい動きを見せ始めた。
「派手に動いて見つかったな」
苦笑して、ランが言った。
「おまえは……殺し屋か」
「だったらどうした」
「おまえを逮捕する」
ランと直人、睨み合いが続いた。
その時、屋上のドアが勢いよく開いたかと思うと、十数人の男たちがやってきた。
ランはちらりと隣のビルを見ると、さっきまで見えていた部屋にはブラインドが閉められ、数人の目玉だけが覗いている。
「おたくら、うちの会社に何か用かよ? 覗きだなんて趣味が悪いな」
厳つい風貌の男が、そう言ってじりじりとランと直人に歩み寄る。直人は警察手帳を見せて、口を開いた。
「警察だ。手を上げて観念しろ」
「手を上げて観念? どっちがだよ」
男がそう言うと、近くにいた男たちが一斉にナイフを構える。中には銃を持っている者もいる。
「あれ、日本は銃を持たない国じゃなかったっけ?」
ランが軽い調子で言った。その言葉に、直人は横目でランを見つめる。
「暴力団は別だ。警察もな……」
「ふうん……」
「おまえ、平然と何を考えてるんだ? 殺し屋なら、どうこの危機を乗り越える?」
今度は直人が尋ねた。小声の二人の会話は、暴風にかき消され、男たちには聞こえていない。それより、お互いの声すら聞き取りづらいくらいだ。
「危機ねえ……俺はただ、ターゲットがいなくてどうしようかと考えているところだ」
「ターゲット?」
「ターゲット以外の殺しは趣味じゃない。それに今日は、偵察のつもりだったんだが……」
ランはそう言うと、手摺りに寄りかかったまま、ビルの下を見た。地上は遥か遠くに見え、冷たい風が吹き抜ける。
「おまえ、体重何キロ?」
徐に、ランが直人に尋ねた。
「え……」
「早く答えろ」
「六十二……」
「よし」
ランはそう言うと、直人の手を取り、突然、ビルの手摺りを乗り越えた。
「な、なにを……」
直人がそう言っている頃には、すでに二人は宙に舞っていた。
風に煽られながらも、緩やかに落ち続ける。そして次の瞬間には、元いたビルから少し離れた、隣のビルの屋上にいた。しかし、見た目はランに仕掛けなどどこにもない。
「な、な、なにをしたんだ!」
取り乱して、直人が言う。
「ちょっとした仕掛けでね。風を集めるようになってる。体重制限はあるが、これでもちょっとしたきっかけにはなるんだ」
着ていたスーツを煽って、ランが言う。硬さなどは見受けられないが、確かに風を捉えていた。
「さて、でもまだピンチには変わりない。ここは建設中のビルみたいだな……」
降り立ったビルの屋上から、辺りを見回してランが言う。さっきまでいたビルからは、男たちが見つめている。だが、普通に飛び移るには、あまりにも遠い。
そんな時、直人は持っていた無線機を手に取る。
「石井です。張り込み中に気付かれて、囲まれました……今、隣の建設中のビルに落ち着いたところです。至急、応援願います」
直人はそう言うと、ランを見つめた。ランは不敵に微笑んでいる。
「いい物、持ってるじゃないか」
「張り込み中だったからな……仲間は近くにいるから、すぐに駆けつけてくれるはずだ」
「それはよかったな。一斉検挙が出来る。俺は仕事がしづらくなるがね」
「……どうして俺を助けたんだ?」
直人が尋ねた。ランは怪訝な顔をして、空を見上げる。
「……それもそうだな」
ランは苦笑した。直人を助けたことに、意味はなかったようだ。
「すぐに仲間が来る。ここから逃げられるか?」
突然、直人がそう言った。
「熱血漢の刑事か。俺を見逃すつもりか?」
「おまえには借りがある。どういう理由があったにせよ、俺を助けてくれた」
「無意識でやったことに、貸しを作るつもりはない。だが、ここは一先ず退散した方がよさそうだ。お言葉に甘えて、退散させてもらうよ」
そう言って俯いたランの目に、落ちている警察手帳が映る。ランはそれを拾うと、手帳に挟まれた写真が見えたので、それを素早く引き抜いた。そこには直人とともに写った、高校生くらいの少女の姿がある。
「恋人か?」
「違うよ、妹だ。両親も死んで、親戚はいるけど、家族は妹しかいないんだ。こういう商売柄、肌身離さず持ってる……」
ランはそれを聞くと、写真を戻して、手帳を直人に返した。そしてすぐに、辺りを見回す。さすがに都心のこの場所で、二度も空を舞い、地上へ降り立つことなど考えられない。直人の仲間が駆けつける前に、ここを出なければならない。ランは屋上のドアへと歩いていった。
「ラン」
ランの背中に、直人の声が響く。
「ありがとう。助かったよ」
作品名:RUN ~The 1st contact~ 作家名:あいる.華音