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RUN ~The 1st contact~

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2、接触



「食べないの?」
 ホテルの展望レストランで、ランが圭子に尋ねた。
 圭子は目の前にある豪華なまでの食事に、口をつけようとはしない。そんな圭子のステーキを、ランがつまみ食いした。
「毒なんか入ってないよ」
 身を持って証明したと言わんばかりのランに、圭子も渋々口をつける。だが、この状況で食欲は湧かない。
 未だ謎だらけの人物を前に、圭子はランを見つめることしか出来なかった。
「本題に入りたいって顔だな」
「……」
 苦笑してそう言うランに、圭子はやっとのことで頷いた。
「……言っておくけど、さっきのFBIは全員本物だよ」
 やっと出てきた疑問の一つに、圭子は顔を上げる。
「じゃあ、どうやって……」
「俺の周りに敵は多いけど、味方もそれなりにいるってわけ」
 ランの言葉に、圭子は驚いた。
「FBIが逃がしたっていうの?」
「ちょっと言葉が違うな。司法取引ってところだ」
「司法取引って、情報を渡す代わりに、自分の罪を軽くしたりすること?」
「まあ、そんなようなところだ」
 圭子は一瞬、言葉を失った。だが、疑問は沸々と湧き上がってくる。
「信じられない……相手はFBIよ?」
「関係ない。たとえ相手が日本の警察だろうと、折れる時は折れるだろ」
 黙々と食事を続けながら、ランは淡々とそう言った。圭子も負けじと、質問をぶつける。
「大統領暗殺を暗殺した犯人が死んだと聞いたわ。でも、本当の犯人はあなたじゃないの?」
 冷や汗をかきながらも必死に尋問する圭子に、ランは敬意を表するように、真摯に受け止めている。だが、軽く浮かべた笑みと反して、その瞳は研ぎ澄まされたナイフのように鋭い。
「仕事に関しては何も言えない。だがその死んだ犯人というのは、少なくとも暗殺に関わったやつだろう。警察が複数犯いるかもしれない可能性すら消したのなら、それは相手が俺みたいな大物だからだろうよ」
「……どうして?」
「簡単には捕まらない犯人なら、それこそ市民は恐怖におののく。逆に、世界的に知られているからこそ凶悪犯に仕立て上げることもあるが、今回は前者のほうだったというところだろう。犯人が一人でも捕まって、死んだともなれば、とりあえずは安心だからな。とにかく、その質問にはこれ以上答えられない」
 圭子の顔は、どんどん険しくなるばかりだ。
「じゃあ、あなたが日本に来た目的は何? あなたは本当に、コードネーム・ランなの?」
 食事時を終えて、ほとんど人のいないレストランで、二人の空気だけが静かに熱くなっている。
「……そうだ」
 二人の間に緊張が走った。
 圭子は、自分がなぜここにいるのか、わからなくなっていた。疑問だけが渦巻く。相手は詳細もわからぬ殺し屋なのだ。そんな相手と、なぜ二人きりで話しているのか、なぜ世界一と呼ばれる殺し屋が、こんなにも若いのか、なぜ彼はここにいるのか、考えれば考えるほど、答えが見つからない。
「俺の目的を言う前に、こっちも聞きたいことがある」
 その言葉に、圭子はランを見つめた。
 目の前の男は、決して殺し屋には見えない。だが、危険すぎる馨りが本能的にわかる。しかしその姿は、まるで青年実業家だ。フォーマルなスーツを身にまとい、品のある顔立ちをしている。なによりその顔立ちは、頑なまでの圭子の心でさえ溶かしてしまうのではと思うほど美しい。日本ですらも馴染んでしまうような、どこか懐かしい多国籍な顔にも見える。しなやかな黒髪は、触れなくても柔らかいようだ。
「前総理大臣は、ターゲットの一人か?」
 夢心地のように観察を続けていた圭子は、その言葉で、一瞬にして我に返った。
 まるで暗号のような言葉だったが、胸を貫かれた感じがした。心を見透かされたように、圭子だけがその答えを知っている。
「あなた……何者なの?」
 その問いかけに、ランが軽く笑う。
「しがない殺し屋だ」
 冗談のような言葉も、その重みと冷たさが伝わる。
 ランはそのまま、ポケットから一枚の便箋を差し出した。圭子は何なのかわからず受け取ると、無意識にそれを開く。そこには、衝撃があった。

 “俺は今、重大な事件に関わっていて、命の危険に瀕している。日本と中国マフィアの氾濫で、治安は悪くなる一方だ。もう日本の警察だけでは手に負えない。だが、君にどうにかしてほしいとは思っていない。気がかりなのは、妹の圭子のことだけだ。俺を追っているやつらに、すでに圭子もマークされているはずだ。どうか圭子を守って欲しい。石井直人”

 切実なまでに綴られたその文章は、圭子の兄、直人のものに違いなかった。その筆跡は、懐かしいまでに見慣れた字だ。だが直人は、三年前にとある事件で殉職していた。圭子と同じ、警察官であった。
「これ……どういうこと?」
 目を泳がせながら、圭子が尋ねた。ランは淡々と、食事を続けている。
「三年前に、俺宛に届いた手紙だ。手紙と一緒に、生命保険の証書が入ってた。手紙が着くと同時に、保険金は俺の銀行の中だ」
「あなたと兄は、知り合いだったってこと?」
「まあね……」
 デザートまで食べ終えたランはそう言いながら、フォークを皿に置く。
「わけがわからないわ……兄は警官だった。あなたみたいな人と手を組むはずもない、正義感の塊のような男よ」
「別に手を組んだわけじゃない……そろそろ部屋に戻るか。食事も終えたし、続きは部屋でする」
「……あなたを信用していいの?」
 その言葉に、ランは圭子を見つめた。
「まさか。でも、生命の保障だけはするよ。これはビジネスだ」
 ランはそう言うと立ち上がり、レストランを出ていく。圭子もその後に続いた。
 無言のままのエレベーターは、最上階へと昇ってゆく。豪華な造りのスイートルームに、ランは手慣れた様子で入っていった。
「……最初に言っておくわ。私はあなたと取り引きするつもりはない」
 部屋に入るなり、圭子が言った。出入り口の側から中へ入ろうとしない。
 ランはそれに答えることなく、そのまま椅子に座った。二人の距離は、三メートル以上開いている。
「安心しろ。誰がおまえと取り引きするか」
「あなたの目的は何?」
 圭子の言葉に、ランは圭子を見つめた。
「……前総理大臣の暗殺と、日本マフィアの壊滅だ」
 ランの言葉に、圭子は耳を疑った。見開いた目を閉じることも出来ない。衝撃だけが、圭子を襲う。
「やっぱり……あなたが大統領を殺したのね? 何が目的なの!」
「大統領の件は、別件だ。だけど日本での仕事は、義理ってやつかな。石井直人の……」
「……」
「おまえも、もう掴んでいるんだろ? 兄貴を殺した犯人を」
 圭子はもう、何も考えられなかった。ただ、頭の中だけが不穏な渦を巻いている。酸欠状態のように、頭に血が回らない。
 直人は、圭子より五歳年上の優しい兄だった。早くに亡くなった両親も警官であり、直人も正義感の強さから警官になり、すぐに凶悪犯などを取り締まる刑事課へ配属された。
 そんな兄が突然殺されたのは、大好きな兄を追って、圭子が警官になったばかりの頃だった。